11人が本棚に入れています
本棚に追加
第十八話
薄暗い照明、耳障りなクラシック音楽、たちどころに並んだ悪趣味な人形、埃を被った数多の薬瓶──そこら中に転がっているマガイモノ。薬の中身は空のものもあれば、まだ半分ぐらい残っているものもあった。毒々しい紫色と桃色が混ざったような変な色彩。リノリウムの床上へ溜息を吐き出すように、瓶の口からは液体が垂れ出ているものも多い。“芸術病棟”という名の付いた棟らしいのだが、私には理解のできないシュールレアリスムの絵画の方がまだ芸術的である。ネジマキが設計したのだろうか、そうだとすればあまりにもセンスがないと思う。大人しく精霊王の彫像でも置いておいた方が何倍もマシなはずだ。
そんな不気味な廊下をサチと手を繋いで歩きながら、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「お互い違う言語で、果たして人間は愛し合えるものでしょうかネ」
「愛し合えるよ、きっと。お互いの愛の言葉が分からなくても、最終的に堕ちる地獄は同じなんだから」
「オー……ホホホ、中々に貴方様も酔狂なことを仰ル方でスね。ワタクシ、年齢に相応せず心臓がギュンッと相成りましたァ」
「それはどうかなぁ。私、まだ恋も愛もしたことがないから」
「恋はスるものではなく落ちルものデス!心配は、ご、むご、む、ご無用♡かと」
相変わらずバレリーナのようにくるくる回りながら先導するネジマキ。薬瓶を避けて歩かないため、ネジマキの足に当たるたびにカランカラン!と音を立てて隅っこの方に転がっていく。
私たちの足元にも転がってきて、危うく躓きそうになった。悪趣味なアンティークドールたちは数メートル間隔で両端に配置され、異様に大きなサファイアの瞳がこちらを見据えているようでかなり背筋に悪寒が走る。怖いので気づいていないフリをしながら進む。
「恋、かあ」
──もしもいつか人間になれたなら、恋をしてみたいなと昔は夢想していたものだった。その頃がひどく懐かしい。今こうして人間として生まれることができたのだから、もしかしたらその夢も叶えられるかもしれない。まあ、夢に過ぎないけれど。ここは電子の世界と比べたらかなり時間の流れが遅いように感じる。命が長ければ、その分夢を見続けなければならない時間も長いだろう。
「お姉ちゃん、見えてきた。あれがみんなの部屋に続く入口」
「フフ、その通リ!!この廊下は余興に過ぎませんッ!アア、滾って来る……!滾ル!最高に最悪な匂いがしますッ!!」
「っ、」
ネジマキの言う通り、確かに血なまぐさい臭いがこちらにまで漂ってきた。
臭いの元は確かにこの先の入口──透明なドアに閉ざされた所からだ。人は誰も出入りしている様子はない、だからドアが開けられている訳でもない……なのになぜ臭いが分かるのだろう?
「ちなみに申し上げておきますが……勿論、演出なんかではありませんよ!コレは、れっきとした生きとし生ける者による、迸る命の香り……」
あからさまに震え始めるサチの手。その反応だけでもこの先で行われていることは何となく予想がついた。私は更に嫌な気分になった。
興奮状態のネジマキのすぐ後ろを歩き、私たちはやけに重々しいガラス戸を開ける。頼りなく取り付けられたステンレスのドアノブがひんやりとしていて、なおかつ軽くて、内部から放たれる毒気とは裏腹な印象に面食らった。しかしその瞬間に聞こえてきたのは、──地を這うような呻き声。
『……ウ…ゥゥウ……ああ…』
『あああ……ああ』
その声には聞き覚えがあった。
けれどそれは囚人たちではない、紛れもなく全部子供の声だった。おそらく実験体の子供たち──おそらく、おそらくは。
微かだが、すぐ右斜め前の重厚な扉の部屋からそんな声が聞こえてくる。まるで刑務所のように連なった部屋と部屋と部屋。一つ一つの扉には中を様子見できるような小窓がついていて、私はちょっとした好奇心からすぐ隣にある部屋の中を覗いてみた……。
「!っ、」
その瞬間すぐに後悔した。
「……おや、オヤオヤ、何トモ気がお早いことで……お姫様…ッフ、フフフ……」
「お姉ちゃん!」
──衝撃で身が固まってしまった私の腕を、サチが後ろからぐいっと引っ張った。確かに見た、確かに私は中に佇んでいた「異形」と目が合ったのだ。それはおおよそ「赤ちゃん」だとは思えないものだったが、天井まで届くほどの巨体を有しているにもかかわらず肉付きや顔つきは赤子そのものだった。赤ん坊であるだけあって体は丸い。だからこそ呼吸がしづらそうな表情をしていることが、一目見ただけでも分かった。
「“花びら”、落ちてましタか?……可愛い“アルバートくん”のお腹には」
「……花びら?」
どうやら「彼」の名はアルバートというらしい。それにしてもなぜ、大人なんかよりも数倍大きな赤ん坊が存在しているのかすら疑問である。……実験か何かの影響だろうか。あるいはもともとあれほどの体格になる育ちをしていたんだろうか。私は歪んだ笑みを浮かべたネジマキが言い放った「花びら」という言葉を問い返した。
「ハハ、ハア。はっ、葉、花びらというのは、血液のことですヨ!!」
「……お姉ちゃん、アルバートは、血液を垂らしながら生きてる。もともとは……もっと小さくて、優しい男の子だった……はず、なんだけど」
「アルバートは世界一大きな赤ん坊!これほど魅力的な実験はッそうそうございませぬ!!“花びら”を流さなければ生きていかれないッ、しかし同時に食物を過剰に摂取しなければ死ぬことすらできないッッ!」
ネジマキの近くだからだろうか、サチの声は彼とは対照的にやはり震えたままだった。大丈夫、という意味を込めて、ネジマキをわずかに睨みながら私は彼女の頭を撫でる。
要するに……アルバートはもともとはサチと同じように普通の子供、でも実験で弄られてああなってしまった、と。
「……随分変わってるね」
私はそう吐き捨てた。変態野郎に理解を示すのは最低限でいいと思った。どうせ私の常識は通じないのだ。比較的オブラートに包んだつもりの私の言葉は ──しかしネジマキにとっては心臓に刺さったようだった。
「は!!!辛辣!辛辣ッ!!滾る!ズギュン!!!」
「……」
「……」
サチと私は顔を見合わせて真顔になり、一旦無視することに決めた。アルバートのこともいずれは救い出さなければいけないが、今はサチの仲間たちに会うことが先決だ。彼についての情報は少しだけにしておこう。
「……アルバートは、何をしたの?」
「エ……エ、何をした、というのは?」
「いや……だから、あれも一種の“懲罰”でしょう?だったら何か理由があるんじゃないかって思ったんだけど」
「!ア……なる、なるほど、成程!理解するのに3秒要しました!姫様はずいぶんと“人間”の常識にこだわりすぎているようでスね!」
「まあ、……」
「教えて差し上げましょう!理由!アルバートを無理やり大人にし、とても生き物とは思えぬほどの姿にした所以!ソレは……!」
少しの間を空けた後、ネジマキは言い放った。
「何もございません」
「……は?」
私は思わずそう呟かざるを得なかった。サチはこのことを知っていたのだろう、俯いたまま顔を上げない。大丈夫だろうか、何事もなく子供たちの元まで辿り着けるだろうか?前途多難、という言葉がよく合うような気がした。
ネジマキは、あっけらかんとした顔をしている。
「ソーーーソーーー、そもそもですね、行為に理由をつける方が、Nonセンスというモノですよ!生まれてきたこと自体がむむむむ無意味、notメイクセンスfor人生。アルバートもそれとて同じ!同じナノです!」
……やっぱりこの人とは分かり合えそうにないな。
「……分かった、じゃあもういいから早く子供たちのところに──」
そう思った途端、さっきうめき声が聞こえた部屋からガチャリと音が聞こえたかと思うと──。
「そっのとお~~~り~~♪なのだっ!」
この場には似つかわしいほど陽気な少女の声が、空間に響いた。
「……!?」
最初のコメントを投稿しよう!