第十二話

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第十二話

 ぐ、と唇をかみしめる。ぼーっと鉄格子を握るだけじゃだめだ。    「あの!私、貴方と話がしたいの!」    私はまた声を張り上げる。彼に届くように、精いっぱい。今まで声を出すということも考えられないようなところで生きていたのだ。いや「生きていた」のかすらも怪しいところだけれど。心臓に静かにしてくれと願ってもバクバク音は止まる気配すらなくて、緊張しっぱなしだけど。    「……だから、ちょっと、だけ!ちょっとだけ、こっちに来てもらえないかな」    我ながらかなり怪しい台詞だったと思う。まるでかつて見た詐欺広告と似たような言葉の羅列だった。    「不審者だな」    シンにそうツッコミを入れられ、ボンッと顔が赤くなる。    「うっ、うるさい!」    「……でもまあ、幸いなことに効果はあったみたいだな」    「……うん」    私はシンと顔を見合わせてから、ゴクリと息を飲んだ。誰かと会話という会話をしようとしない彼らは、彼らの中の一人は、一体どのように返事をするのだろう。    「……う、う……?」    金髪が気だるそうにゆらりと揺れる。ここには無い影に揺り動かされているように見えた。雪白の肌は赤い生傷でほとんど埋め尽くされ、私とあまり変わらない体躯に刻刻と刻み続けられる闇を思う。よほど長い間服を変えていないのか、もともと白いであろう入院着は血液やら体液やらで薄汚れてしまっている。    「おねがい、貴方から話を聞きたいの」    何かに気づいた様子で、彼はパッと顔を上げる。瞳が一瞬見開かれ、その双眸はシンと 私を交互に見比べたあとまっすぐ私に注がれる。  そして、ズルズルと歩きづらそうな足を引きずってこちらに歩み寄ってきた。    「ぁ……う……お、……が……」    ズルズル、ずるずる。  足首の後ろに鉛が見えるようだった。“囚人”なのに彼らには赤い手錠が嵌められておらず、彼は痛々しい隻腕の付け根を振り回して向かってくる。一歩、一歩。その足取りは重い。    「……ちゃんとこっちに向かってくるんだな」    シンはどこか感慨深そうに息を吐く。感動してる場合か。    「……」    私は違う意味で下唇を噛んだ。彼を待つ。カオスな光景の中で、ただ彼だけが異質だった。異色だった。光っているように見えた。唇から零れだす掠れた言葉と、命をしているだけの呼吸が混ざって飢餓状態。早く水を与えないと、と私は無意識に画策していた。    そして、彼の肌の肌理まで見えるほど近づいたとき。  私の心臓の態度は急変し、驚くほど冷静になったのだった。    「……はじめ、まして」    ガシャン、という音を立てて鉄格子を握りしめた彼に向けて、私は呟いた。  苦しいのだろう、ゼェゼェと半ば虫の息になりながら、彼は鉄格子に体をもたれかからせる。今は赦して赦してと叫んだりしない。声を掛けたからかは分からないが、静かな姿はずいぶんと人が違う。    「……し、シン。この子、大丈夫かな……話せるかな」    初めましてとは言ったものの次に何と声を掛けていいか分からない私は、そんなことが心配になってきてしまってシンを見る。ちゃんと言葉を発してくれるだろうか……というかこんな状態で、喋れるんだろうか。ずいぶん苦しそうだけど……もしかして叫んでないと死んじゃう体質だったりとか!?    「叫んでないと死ぬ奴なんてよほどの変態じゃない限り有り得んだろう。心配するな、どうやらこの“状態”は……呪いの副作用だな」    私は淡々とシンの口から語られた二文目に注意を向けたのではなく、    「え、なに私の心読めるの?」    心臓飛び跳ねそうになった。  戦争屋は私のこれを“黄昏の王の心臓”だとか言っていたけど、私の心臓は私だ。そんなこと言われてもちゃんと動いているのだし、全くそんな実感はない。緊張もするしこんな風にハラハラもするし。    「ん?何の話だ?」    ……当の本人はこんな風にケロッとしているものだから。    「なんでもないです」    と真顔で首を振るしかない。    「それより……」  呪いの副作用、か。  それは言われるまでもなく、ミザリ同様囚人たちに掛けられた精霊王──パパからの呪いのことだろうと理解した。彼女も言っていたが……囚人たちの”呪い“のかかり方にこれほどまでに差が出るとは。一体パパはどんな方法を使って呪いを掛けたんだろう……考えるだけで背筋が凍る。    「……話せる?」    私は鉄格子の間に手をくぐらせて、金髪に触れた。長らく洗っていないようなゴワゴワした質感だ。彼は私に触れられて一瞬ピクリと反応したものの、先ほどの戦争屋の“舞台”の時に私に働いたような危害を加えるつもりはないらしかった。それは他の囚人たちも同じなようで、仲間の一人が檻の外に居る人間と接触をしてもだれ一人こちらに興味を示そうとしない。まるで私たちが居ないものであるかのように。    「……」  長い沈黙の後、彼はコクリ、と頷いた。    良かった、会話はできるみたいだと安心した私は身を乗り出してさらに彼との距離を詰める。まずは最初に何を聞くべきなのか……そんなことすらも判断がつかないけれど、私は心に浮かんだ直感を信じることにした。    「貴方は、いつからここに?」  私は声を潜める。別に内緒話をしようと思った訳ではないのだが、それは無意識だった。    「最初がそれか?ありきたりすぎるな」    シンが横から無駄口を挟む。私は「ちょっと黙っててよ!」と吠えた。  少年の声は掠れ、言葉にならない言葉を数回繰り返す。そのあと大きくゴクリ、と唾をのむ音を立て、「さ……さん、ねん、まえ」と答えてくれた。意外にも理性がしっかりしていることに驚いたのと同時に、開いた口の中が焼け爛れたような色をしていてグロテスクで、私はそれにも息を飲まざるには得なかった。    「三年……三年?三年も、囚人としてここにいるの?」    私は食いつくように質問を返す。あぁぁう、あぁあぁう。断末魔の群れをバックに、冷たい狂気の満ちる空間。彼がコクリと頷いたのを確認すると、私は次の質問を探した。    「えっと……じゃあ、貴方がここに来た経緯は?」    何が起こるか分からない緊張を覚えながら、私は慎重に言葉を選ぶ。「それ、かなり長くなりそうな答えだが大丈夫か」と呟かれたことに私は「ちょっと!」と顔を真っ赤にした。口を挟むならあんたも参加してよ!    「……ぅ、ひ、ひとを、ころした……たいせつだった、ひとを……」    「!」    ハッと私は息を飲んだ。殺人。そういう経緯でここに入れられている。でも頭の中に浮かんだのは「だけど」という疑問。  人を一人殺したということは、大罪人としてパパの断罪を受けるほどのことなのだろうか?それが、一つ気になった。ミザリは絵に描いたような快楽殺人犯で、あの姿になる前は何度も殺人を行ってきたみたいだし、彼女に関しては大罪人認定されても文句は言えないだろうが。    「……一人だけ?」    私の質問に、彼は力なく頷く。一人だけ、一人だけか……。彼がほんとに大罪人だとするなら、もっと罪が必要な気がしなくもない。    「……貴方がそうやって苦しんでいるのは、精霊王の呪いのせい?」    この質問にも、彼は頷く。記憶はしっかりしているようだ。返答ができているし頭脳も正常なように見えた。    その後私はいくつか簡単な質問をして、単刀直入に疑問の核心となることを尋ねた。    「この世界の外側は、一体どうなっているの?」    隣で黙っていたシンが息を飲む声が聞こえた。    対する少年の方は大して驚いた様子はなく、というか「?」と首を傾げている。まるで「一体何を言っているんだ?」とでも言いたいかのよう。    「……そと、は……ひろい、世界。なんでも……ある……」    「え……?」  私の心臓がドクンと鳴った。頭の中にホオズキとミザリの顔が再生される。それだけじゃない、せせら笑いを浮かべる戦争屋の口元も。    「外の世界は、真っ暗な闇で広がってるんじゃないの!?」    ガシャン、と鉄格子を掴む。季節など感じない冷たい感触が私を少しだけ冷静にさせていた。聞いていたことと違う答えが出てきた。焦りと同時に「やっぱり」という声も自分の中から聞こえてきていた。    「……?そん、なの、きいた、こと……な、い」    「……!」    ──私はうまい具合に騙されていたのだ。彼らの口車によって。  ……なるほど私は馬鹿だ、愚かだ。戦争屋にそう言われるのも深く頷ける。「世界を救う」という綺麗な言葉の響きに乗せられていたに過ぎないのだ。それがこの世界に生まれた使命なのだ、とか本気で信じて。    「ありがとう、教えてくれて」    私はそう言い残し、この場を去ろうとした──が、一度踵を返す。    「……ねえ、もしここから出られる時が来たら……貴方は出たい?」    まだ、あくまで仮定の話だ。ここはだだっ広い。病院内を探検して色々な奇妙な場所を見つけたけれど、出口になりそうな場所は見つからなかった。出口を探すにはあの剣は役に立たなそうだ……。    言葉とは裏腹にぐるぐると迷い続ける心の中。私の視線は揺らごうとするけれど、それを何とか抑える。    「……で、たい……!」    か細く呟かれた、けれど今までで一番大きな少年の声。    ──彼の瞳の色が美しいまでのヴァイオレットだということを知ったのは、今この時だった。    「……!そっか」    「良かったな」    安堵する私を見て、大事な一瞬には口を挟まないという憎い属性を持ったおじさんは笑う。私も自然と頬が緩んでいた。    「絶対に助けに来るから、待っててね」    私は少年の頬を撫でてそう言い残し、おじさんと共に今度こそこの場を立ち去った。    「誰がおじさんだ誰が」
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