第十三話

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第十三話

 「……院長先生たちが隠し事をしているのは分かった。どうして、私にあんな嘘を吐いたんだろう……大罪人たちが、それほど許せない?」    “この世界の外側は何もなく、暗闇だけが広がっている”──。  “この聖剣を使って、大罪人を全員殺してほしいのです”──。    私は独り言のように呟く。檻の部屋から戻り、私たちはシンが最初連れてきてくれた庭園に来ていた。白いベンチに腰掛けていると、耳に入ってくる静かな噴水の音が心を落ち着けてくれる。    「大方、あいつらに都合の悪いことでもあるんだろう。……いや、違うか。この世に生まれたばかりのアオに対してなら、何を言っても信じるだろうと思われたか」    シンは煙草を吸いながら腕を組んだ。「なんか悔しいよねそれ」と私が不満を漏らすと、「事実なんだから仕方ないな」と言った。    「……そういえばアオ、さっきは言わなかったが……もう足は大丈夫なのか?」    ちらり、と私の足を見る。つられて私も自分の病的なほど真っ白な足に視線を移した。看護婦に促されるままに車椅子に乗り込んだこの間の自分。だから「自分は歩けない」のだと刷り込みをされていた。……何の傷がある訳でも、病気がある訳でもなかった。    「うん、大丈夫。というか……最初から”何ともなかった“からね」    「?ふーん、ま、健康ならそれに越したことはないな。……それよりアオ、一つ忘れちゃならねえことを教えておいてやる」    「忘れちゃいけないこと?」    「お前は……あの時こう思っていたはずだ、“たかが一人殺しただけで大罪人になるのか”?ってな」    「え……」    彼は人の心を読めるんだろうか。 なぜかそれを言われて、私の膝小僧の裏には変な汗が流れていく。自分で何とも思っていないことを言われて焦る人間なんているのか。いや、居ないだろう。だからこうやって無意識に図星を突かれて、私は焦っているのか。    「……図星か」    シンは「はぁ」と呆れ顔をする。    「え、えっ……ご、ごめんなさい」    「いや別にそれが悪いなんて一言も言ってないけどな!?……あー、っと、その、俺が言いたいのはな、その考え方は危険だってことなんだ。一人だろうと千人だろうと殺人は等しく悪……大罪人という存在を知ったことでお前の”罪“という認識の基準は低くなった。もっと言えば”洗脳“や”麻痺“っていうのはそうやって出来上がる」    「!あ……」    私はあの時の自分の発言を思い出した。殺したのは「一人だけ?」と彼に聞いたのだ。自分の声が地を這うような声質になって脳髄に姿を現す。……あれは、言ってはいけないことだったのか。  私は押し黙る。人間になった自分が失ってはいけないものを教えられたような気がした。パパに教えられなかったこと。教えてもらったのかもしれないけれど、私が忘れていたこと。    「……分かったならそれでいい。お前は大丈夫だ」    剣呑な色を帯びていた表情はパッと明るくなり、シンは歯を見せて笑った。本当に私に説教をする気はなかったんだろう。    「疑い続ける、ということを忘れたら人間はたちまちダメになる。……お前には、そんな風になってほしくない」    そう言った彼の目の奥には、遠くを見つめるような哀愁の色が湛えられていた。私は頭の上に疑問符を浮かべながら「そうなの?」と首を傾げる。この言葉の意味が分からなくても、いつか理解できる日は必ずきっと来るような、そんな気がしたから。    「覚えておくよ。ちゃんと」    私はシンを安心させるように笑った。──大丈夫、私は彼らのようにはならないよ、きっと。    「……おねえちゃん?」    「っ!?」    一息ついたその瞬間、私たちの背後から幼い声がした。    「お姉ちゃん……」    驚いて振り返ると、そこには以前会った“実験体”の子供の姿。  ──けれど、この間と雰囲気が全く違う。    「……ど、どうしたの、その痣……」    挨拶もろくにせず、私はそう言いながら彼女の姿に絶句していた。この間には全くその身体になかった傷や痣が、意地悪く主張するように彼女の肌に散らばっていた。この間は三人揃っていたはずなのに、今私の目の前にいるのは、青痣を全身に持った女の子ただ一人だ。おそらく真ん中で喋っていた明るい子だと思う。沈痛な面持ちは最初の印象からは程遠い。    「……これ、は……さっき罰を受けて……私たちは、三人で一つだから……」    彼女はスモックの袖をぎゅっと握りしめる。小さな身体を不安げに揺らして、何かに怯えているようにも見えた。鮮やかな水色をしていた生地も血の赤に滲んで痛々しい。その傷はまだ新しいものから青痣まで、殴打の時期を伺わせるものだった。私は彼女の言葉を咀嚼しようと、あの時教えてもらったことを思い出す。    確か──三人で一人、みたいなことは言っていた気がする。悪いことをしたら連帯責任、のようなことも。じゃあ……三人のうちの誰かが何かをやったのだろうか?それとも、三人全員が?    「と……とりあえず、ここに座って!手当て……シン、できる?」    「ああ、任せろ」    人間の肉体の応急処置の仕方くらい、パパに教えてもらっておけばよかった。私は苦渋の思いでシンに頼み、彼女を急いでベンチに座らせる。シンはおもむろに白衣のポケットから包帯やら消毒液やらを取り出した。そんな小ぶりなポケットの中によくもまあそれほど入れられるなあ、と感心してしまうくらい。  慣れた手つきで彼女の露出した肌の部分を処置し始める彼を一瞥し、私は隣に座り直して彼女に尋ねることにした。小さくそこに収まり、悲しそうに俯いている。彼女の身に何があったのか、何で一人なのか。    「今日は……あの子たちは一緒じゃないの?」    「……うん。あのね、いつもより強いくすりを打たれたの、わたしたち」    彼女は興奮気味に話し始めた。緊張か不安かで震える小さな声をさらに小さくさせ、記憶を一つ一つ手繰り寄せるように呟いている。 私は「打たれた……?」と聞いた。“強い薬”というものがどのような薬なのか分からないが、彼女たちの身体をどうにかする力があるのは間違いないだろう。そんな中で彼女がここまで歩いてきているのはおかしな話だと思った。 「あ、ち、ちがう。ごめんなさい。違うの、打たれそうになった、の」 「……嘘は言ってない。混乱しているだけだろう」 不審に眉をひそめた私に、心の中を読んだようにシンが答えてくれる。わたわたと慌てて訂正をする彼女は確かに真実を言っているように見えた。こうして一人だけで居る姿を見ていると、あの時感じた不気味さというものは全くない。むしろ普通の子供となんら遜色ないように感じた。皆一様に同じだった口調は、この子単体だけで聞いてみると違和感などそこには無いも同然だった。    「そ……それで、ミリが、反抗して……せんせいたちを殴って。いつも、そんなこと絶対しないのに」    彼女は不安定な声調で、事の次第を説明し始めた。事件の酷さに錯乱しているのか、彼女の話には終始一貫性がなかった。年齢相応といえば相応なのだろう。    「ね、ねえ……お姉ちゃん、聞いて、くれる……?」
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