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第十七話
「………ネジマキ、せんせい……!!?」
「……おやおや、オヤオヤオヤオヤオヤ?990点少女サチ、こんな所で一体何を?もうキャンディータイム《おやつの時間》は終わってしまいましたよ……?」
私の背後に回っていた、この男。
──そして、サチが怯えながら名前を呼んだこの男。
「……!」
私は思わず息を飲み、咄嗟に身を翻してサチを守るように彼女の目の前に立った。
本能が、「こいつは危険だ」と私に必死に信号を送ってきたのだ。
「ンフフフフフフ、ヌルフ、アレレレ、ヨヨヨヨヨヨヨ、ア!コレは、夢幻、もしかしテ!」
……男は、囚人たちとは比べ物にならないほどの禍々しさを全身から放っていた。メタボリックシンドロームという概念さえも通用しなさそうなほど肥え太った身体、中身の部品がバラバラになった時計みたいな顔、怪しさ満点な白衣姿。「アアアお腹が痛い……片腹が痛い……!!!!」とブツブツ言いながら頭を縦に振ったり横に振ったりしている。
「……なに、この人」
私は生理的な嫌悪感を覚えながら、サチに尋ねた。こんなタイプの人間は病院内ではザラだったから、別に珍しくもなんともないが、私には彼への気持ち悪さの方が勝った。
さっきは怯え切って何も言えない様子だった彼女も多少は慣れたのか、「あれは、先生たちの中でいちばんこわい人」だと小さな声で答えてくれる。
「租!ソちらにいらっしゃるのはモシヤ、偉大なる……偉大なりし精霊王さまの!お姫様でございますか……!これはネジマキ物語:夢幻の章でありマしょうか……!私ッ!私がッ!この!哀れな子羊たるコノ生涯においてッ!偉大なる神の御息女に出会える、などッッ!!!!滾る、ッ!滾るゥゥッ!」
私とサチは一歩、どころか三歩ぐらい引いた。
「……!」
多分今までの短い時間で会った中で一番狂ってる。腰にぶら下げた大きめの麻袋に何が入っているのかも全く分からないし、なんかモゾモゾ中で動いている。「死体?」と私の脳内には嫌な予想が浮かび上がった。
「か……感激!新感覚!ネジマキ物語:夢幻の章~お姫様との出会い~開幕です!ああなんて愛おしい命……尊い!命!私はこの感情をどう言語で表現したらいいのか、見当もッ!つかないッッ!!Jesus!神!……こ、この出会いは……奇跡!そうは思いませんか、姫様ァ!」
どんな高度な雑技団も仰天するほどの薄気味悪い動きを見せる彼──“ネジマキ先生”。しかし先生とはとても思えないので、私は“ネジマキ”と呼ぶことにした。ネジマキはひたすらその巨体をクネクネとくねらせて何かを叫んでいる。話し言葉の何もかもを知らなさそうな、胸焼けのする狂い方だなと思った。
ドン引きし、また何と返事をしていいのか分からなかった私は、
「うん。貴方に出会えたのは奇跡だよ」
と、歯の浮くような台詞を言うほかなかった。まさか生まれて一か月も経たないうちに、こんなことを生理的嫌悪感の募る相手に言うことになるとは思わなかった。
「アアアアアアアアアアアア!!!!奇跡!奇跡だと!!頂きました!!コレは感服!承服!無条件降伏してしまう程の幸福でございますッッ!!」
「……お姉ちゃん、ネジマキ先生ってすごくヤバい人だから、あんまりまともに相手しない方がいいと思う……」
「……気が合うね、サチ。私も同じことを想ってたよ。……でも、この人に頼めば子供たちにも会わせてくれるかも……?」
「あ、うん!それはぜったい大丈夫だと思うよ!」
ネジマキに奇声を上げられても最初のような動揺は見せていないあたり、どうやら彼のこの態度は情緒不安定という訳でもなさそうだった。おそらくこれが日常茶飯事なのだろう。患者側ではないことを考えれば、精霊王に呪いを掛けられた訳でもなさそうである。
……話し掛けるのは、勇気が要るけれど。
頑張れ私。メンタルを強く持つのだ私。
「あ、あの!!!!ネジマキさん!!!!!子供たちのところへ連れてってくれないかな!!!!」
──声は、グワッと波動のように廊下に響いた。
「おおおわあわわわああわわわ!?驚愕の声量ッ!?!?」
「こ、声でかいっ!」
「……あ」
やっちゃった。
私の声が何しろデカすぎて、サチはおろか直前まで舞い踊っていたネジマキまでも仰け反った。……あの巨躯を超えで倒れさせる私の声、すごいな。
自分の声帯を武器にできそうな嬉しい予感を覚えながら、私は「ゴメン」とこめかみを掻いた。シンに言われた時も思ったけれど、パパは私の声帯に何か秘密を隠しでもしたのだろうか?
「おおおお、も、もちろんですとも!無論!わざわざ頼まれずとも、喜んで私の“芸術病棟”へお連れ致しますぞ!」
フゴフゴと鼻息の荒いネジマキ。その度に彼の額から流れる汗がこちらに飛んできそうで怖かった。もう電子の世界のように、水飛沫や炎を直接触れることができない身体ではない。下手をすれば“水素の激流”や大量の煙を吸い込んだ程度で死んでしまうのだ。
「ありがとう」
私は簡単にお礼を言い、「どっちに行けばいい?」と尋ねる。サチの手を繋ぐことを忘れないように、内心では“芸術病棟”という言葉の不穏さに不安を覚えていることを隠すのを忘れないように。
「サ、サア!こ、コチラですッ!ネジマキ物語:夢幻の章第1話!幸福なひととき……!お連れします!どうぞ左奥の扉を!マッスグに!謝謝!」
ネジマキは早速進み出した私の前をドスンドスンと足音を立てながら歩き、「アア~~~感激ですゥ」としきりに言っている。後ろを歩く私たちは、やはり彼からは三歩ほど離れた所から、だ。背中はまるで小さな山のように感じた。後ろ姿から溢れ出る雰囲気はやはり異質。彼の言う“芸術病棟”が一体どんな場所であるのか想像を膨らませながら、私はこれからの作戦について考えた。
──まず、私が子供たちと会うことは必須条件。“先生”たちがどのように教育を施しているかを観察、その時点ではまだ手を出してはいけない……。囚人たちと話した時のように、子供たちのことは「説得」して協力を仰ぐのだ。……いや、最もサチと他の二人以外の子たちが、同じように反感を抱いているのかは分からないが。何しろ子供というのは環境への順応性が恐ろしいほどに高い。
それは世界を知らない幼さ故なのか、ただ単に適応力の違いか──。いや、でも。どちらにしろ彼らが此処に居続けないほうがいいことは確かだ。その後は……病院ごと燃やす、しか、ないのだろうか。ホオズキの言っていた「大罪人を全員殺してくれ」という願いには……何となく乗りたくない。
三人分の足音が、長い廊下に響いていく。くぐった扉は深海のような色をしていて、ひとたび足を踏み入れればその両方の壁は水槽だった。──海藻に岩場に珊瑚礁。水族館にするには何の申し分もない環境だ……けど、ただ一つ、重要な「生物」の姿が全くない。空の水槽なんだろうか?
「……っ」
隣でサチがゴクリと息を呑む音が聞こえた。繋いだ手が少しだけ震えているような気がした。……ここに、何かあるのだろうか?不思議に思い、私はチラリとサチの顔を見た。「大丈夫?」と小声で尋ねると、ハッとした顔で「……うん」と呟いた。
「お、オ、990点少女!気分が悪いのですか!?それは大・変トラジェディー!!今すぐにでも治療をした方がッッ!!」
私たちの会話が聞こえていたようで、ネジマキはグルンと不気味に首を回してこちらを振り返った。
「ち!違います!大丈夫です!なにも、ないです!」
弁解するサチと、そんな二人を見比べる私。どう見たって年齢指定のある本の構図にしか見えない、と思ってしまったのは内緒である。電脳世界で生きていたんだからこれぐらい連想したって仕方ない、と言い訳させてほしい。ていうかこんな悠長なことを考えている場合ではないけど……実際のところ。
「そうですか、オホホホホゥッ。健康第一、安全第一、信仰第一!何かアレば、すぐに言ってくださいネ!」
「……は、はい……」
陽気に高笑いをするネジマキに、サチは力なく頷いて顔を伏せた。そんな彼女を見て、私は両サイドに広がる水槽の奥にまで目を凝らしてみた。けれど案の定何も見えてはこない。彼女は何に怯えていたんだろう……。水槽の中には、ただただ深い深い青が広がっているだけである。……もしかして、私には言えない秘密があるのか?ネジマキは見るからに怪しい、確かに何かを隠していることは間違いないだろう。
……慎重に、慎重に。彼にこちら側の企みを知られないように、言葉もちゃんと選ばなければ。パパの元で数多くの本や映画に目を通した。こういう時、あちら側にこちらの心理状態を悟られてしまえば計画が上手く立ち行かなくなる──それは、その数々のフィクションの中から学び得たことだ。
しばらくそのまま歩いていくと、重厚で黒々とした扉が見えてきた。大きさは大人3人ほどが並んで入れるほどに大きく、取っ手が中央に付けられた両開きの形である。あれが彼の言う“芸術病棟”への入り口だろうか。脊髄の底に小さな震えが走るのを感じながら、私はサチと繋いでいる手の力を強めた。
「ア、アーアーアーアー。マイクテス、マイクテス!姫様に話しかけるにはVoiceトレイニングfirstly!……ささ、ドウゾ!今までよりも0.6倍速く歩いて!なぜなら666倍にするにはマダ人類は早いから!トキメキの入り口はすぐそこに在りますゾ、ゾ!!」
ネジマキはブンブンと子供のように両腕を振るって興奮を見せる。くるくる回りながら走っていって、巨体に見合わぬほどの圧倒的なスピードで扉の前にまで辿り着いた。
「お二人も!早く!早ク~~!!ワタクシ早漏で候、我慢ができないのでス!」
「……」
フゴフゴとした鼻息も含めて、「気持ち悪」とぼやいてしまったのは聞かれていないと信じたい。そしてなぜそんな巨体なのに白鳥の湖のバレリーナのようなフォームの美しさで走ることができるのか全く理解できない。呑気にも心の中でツッコミを入れつつ、私はサチの手を引いて小走りをした。
その間にも、私の幼い脳内には彼らの表情や言葉が駆け巡っている。金髪の少年、三人の少女。姿はまだ見ていないが気の毒な目に遭わされている子供たち。ホオズキやミザリの言葉に乗っかって、あの禍々しく光り輝く赤い剣を背負うことに決めた──でも、それはただ「そんな自分」に対してこの世界に産み落とされた意味を無理やり付けようとしただけに過ぎない。記憶の腸の中身を全部引きずり出されるような目に遭わされ、自分の脳内の言葉たちを否定されて初めて「愚か」で「馬鹿」だったことに気が付いた。
身の程知らず。
一人で考える力のない欠落者。
オートメーション。
──絶対に消す、と誓った戦争屋。
「やってやる」だなんて大層なことを言うつもりはないけれど、まず「私の意味」を探すために、やらなければならないことは……。
「……ここだよ、お姉ちゃん。この先に、みんないるんだ」
ガコン、と大仰な音を立てて開けられた扉の先の秘密を暴き、ここから逃げ出すこと。
「……アア」
ネジマキは、恍惚といった様子で歓声を上げた。
「ようこそ、私の楽園へ」
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