第1話 乾いた大地に降らす恵みの雨(前編)

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第1話 乾いた大地に降らす恵みの雨(前編)

 じりじりと照りつける暑さに顔をぬぐいながら歩く1人の男がいた。菅笠を被った股旅姿のその男は、周りに広がる光景を見ながら小声でつぶやいた。 「このような有り様が1か月以上も続いているとは……。庄屋さんを待たせるわけにはいかない」  30代とおぼしき男は、歩みを速めながら目的の地へ向かうことにした。高松藩の領地内にある農村を救うことが、その男の大きな目的である。 「おい! 溜め池の水がもうないぞ!」 「いつまで経っても雨が降らないとは……」 「も、もうだめだ……」  農民たちが嘆く目の先には、水がほとんどない溜め池がある。日照り続きで、池の表面には乾いた土が何か所もひび割れている。当然ながら、ため池から通ずる用水路は水がなくてカラカラである。 「このままでは、藩に納める年貢すらままならない……」  齢が60を過ぎている村の庄屋も、乾ききった田んぼの上で枯れかかっている稲を見ながらうなだれている。雨乞いを行っても、雨が降るには全く効果がないとあってお手上げの状態である。  そんな庄屋は、一縷の望みをあの男に託そうと筆をしたためると飛脚に書状を託した。その男がいつくるのかは分からない。 「何もしないで指をくわえるわけにはいかない。あの男がきてくれれば……」  願望を口にした庄屋は、後ろから足を踏みしめる音が耳に入ってきた。庄屋の後方で立ち止まったのは、菅笠を被った謎の男である。 「書状を読ませていただきました。この村の庄屋さんはあなたでしょうか?」 「水龍様、遠いところからきてくださるとは本当にかたじけない」  庄屋は、水龍と呼ばれる男にあることを伝えようと口を開いた。 「ここへきて頂いたのは他でもありません。あちらの溜め池に水が満ちて、なおかつ田んぼの表面に水を溜めるほどの雨を降らせてほしい……」  水龍が耳を傾けると、庄屋は村人たちの悲痛な思いを込めながら言葉を続けた。 「村の農民たちを飢えさせるわけにはいきません。このままだと、お米だけでなく野菜も獲れなくなってしまいます……」  涙を流しながら話す庄屋の訴えに、水龍は田んぼの手前まで出ることにした。そこで、両手を交差して組みながら深く祈るように口を開いた。 「地天空水(ちてんくうすい)空降粒滴(くうこうりゅうてき)激雲暗土(げきうんあんど)濃灰恵田(のうはいけいでん)秋稲豊念(しゅうとうほうねん)!」  水龍は、乾いた大地へ雨を降らせようと呪文らしき言葉を唱えている。その言葉は、農民たちが聞いたこともない漢字4文字による5種類の呪文である。 「あんなもんで本当に降らせることができるのか」 「雨乞いを頼んでもダメだったのに」 「庄屋も庄屋だよ。頭がおかしいとしか言いようがないよ」  呪文を口にする水龍の周りには、村の農民が多く集まってきた。そんな彼らは、水龍を好意的に見る人がほとんどいない。雨乞いにお願いしても、1つの雨粒すら落ちなかったことへの苦い思い出を忘れていないからである。  周りでざわざわしている間も、水龍は平常心を保ったままで呪文を口にしている。 「雲水溜穴(うんすいりゅうけつ)実獲民喜(じっかくみんき)乾地湿水(かんちしっすい)面農降律(めんのうこうりつ)野地水龍(やちすいりゅう)!」  水龍が繰り返し口にする呪文の数々に、農民たちも固唾を飲んで見守っている。太陽から容赦なく照りつける暑さに、村人たちがうんざりしていたその時のことである。 「おい、薄暗い雲が覆われてきたぞ」 「さっきまで雲なんかなかったのに……」  村の農民が空を見上げながらつぶやいていると、一面に覆われた雲からポツポツと雨が降り出してきた。 「あ、雨だ!」 「まさか、本当に雨が降ってくるとは」  待ちに待った待望の雨は、絶望の淵に立たされた農民たちにとって恵みをもたらすものである。真上から落ちてきた雨は、次第に地面を叩きづけるほどの激しい降り方へと変わってきた。 「早く家の中へ入って、雨が治まるのを待つのじゃ」  庄屋の呼びかけに、村人たちは急ぎ足で家の中へ戻って行った。村の一帯は鉛色の雲から降り続く雨と同時に、雷がひっきりなしに鳴り続けている。 「雷も鳴っていますし、わしの家へしばらく休んでいただければ」  庄屋の言葉にうなずいた水龍は、近くにある茅葺き屋根の家へ向かうことにした。
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