ひといろ

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 数日後。  男はとある医師を訪ねた。 「変わった注文だな。正常な眼球にわざわざ手を加えてくれとは」 「私にとっては必要なことなのだ」 「分かっているのか? この手術をすればあんたは正常な色覚を失う。元には戻せないのだぞ?」  白衣姿の男は呆れた口調で問うた。  医師といっても患者の治療をする真っ当な職業ではない。  彼は脛に傷持つ者の整形や指紋変造等を行う技術者であった。 「承知の上で頼んでいるのだ。あんたは金さえ払えばどんな手術もやってくれるのだろう?」 「まあな。それが俺の仕事だ。余計な詮索もしない。ただ――」 「言いたいことは分かるがこれは私の意思なのだ。金は用意してある」  妙な依頼に彼はうなった。 「あらゆるものが赤く見えるようにしてくれ、か。こんな患者は初めてだ」  技術的には不可能ではない。  細胞にちょっとした細工をしてやれば望むとおりの眼球にしてやれる。 「不可解だがあんたにも事情があるのだろう。分かった、引き受けよう」  医師は手術室へと彼を案内した。 「――気分はどうだ?」  肩を叩かれ、男は目を覚ました。  麻酔の効果が切れ、彼はゆっくりと上体を起こす。 「何も見えない」 「そりゃそうだ。目隠しをしているからな。あと10分もすればはずせるようになる」 「それでは――」 「ああ、成功だ。注文どおり、赤色しか見えない目になっているぞ」 「早く見てみたい。あと何分だ?」 「あせるなよ。静かにしていないとお楽しみが遠ざかるぞ」  逸る気持ちを抑えるため、2人はしばらく他愛ない会話で時間をつぶした。  彼は赤色の魅力を身振り手振りを交えて伝えようとしたが、医師にはとうとう理解ができなかった。 「よし、時間だ。はすしてやろう」  後ろに回り込んで目隠しをほどいていく。  男はおそろおそる目を開けた。 「おおっ!」  眼前に広がる光景に思わず声をあげる。  視界にあるのは大小の小瓶が入った薬品棚に小さな机、壁に掛けられた時計だ。  それら全てが見事に赤に染まっていた。  それぞれの境い目には微妙な濃淡があり、棚や机の輪郭はエンボス加工されたように浮き上がって見えた。  続いて自分の両手を見やる。  手首や掌はもちろん、爪の先まで赤い。 「素晴らしい! 本当に全てが赤く見えるぞ!」 「それはよかった。あんたの見ている景色は俺には分からないが満足してくれたようでなによりだ」 「ああ、感謝するよ。こんな素晴らしい世界が手に入るとは……あんたにも見せてやりたい」
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