夏海の事情

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夏海の事情

前回までのあらすじ  不思議な夢を見たサトシ。今日もまた溢れんばかりに勝っている。はっと気づけばカズが言っていたパチンコの太極が理解できていた。カズの世界についに足を踏み入れたのだ 夏海とは、とにかく一度真剣に会うことになった。過労で命を落とす危険があるからだ。場所は天満にあるおしゃれなカフェだ。一人身のサトシは覗いたこともない。 「そんなに酷い会社なのかい?」  日曜日である。表通りは街を闊歩するカップルが、幸せそうに歩いている。サトシと夏海も端から見ればそう見えるのであろう。  夏海は再会した時からますますどんよりしている。 「もう会社辞めたい!」  サトシに訴える。もともと自分の気持ちを外に表すのが下手な子だ。サトシに養ってもらいたいと訴えているのは容易に想像がつく。だが、それを口に出して言えない。前は夏海の方がサトシを捨てたからだ。でも今は違う。サトシはパチプロになったおかげで、何とも言えない貫禄を身につけている。貫禄というより凄みとでもいうのか。頼りなかった昔とは大違いなのだ。夏海はそんなサトシに惚れ直したみたいである。 「人でなしの会社だな。訴える事はできないのかい」 「そんな…弁護士費用なんか持っていないもの」「成功報酬制の弁護士なら話を聞いてくれるんじゃないかな?」 「本当に?」 「分かんないや。とにかく俺の部屋に行ってみよう。タウンページがある」  ひさびさに二人して表通りを歩く。夏海は少しおしゃれなフリルのついた薄ピンク色のワンピースを着ている。ちょっとでもサトシに気にいってもらいたい女心だ。  地下鉄扇町駅から天神橋筋六丁目駅まで移動する。10分程歩くと、サトシのアパートに着く。「久しぶりだな。こうして君がくるのは」  サトシがタウンページを探していると、後ろから夏海が抱き締めてくる。サトシは全てを察してキスをする。体が一気に熱くなる。夏海の息づかいが荒くなる。サトシがワンピースを脱がそうとすると、夏海自ら脱いでいく。「シャワー浴びてくるね」 そういうと、慣れた仕草で全裸になる。サトシもたまらず全裸になりバスルームへと向かう。キスをしながら、またお互いの体をまさぐりあった。  ずぶ濡れでベッドで強く抱き合う。二人の息が荒くなる。そして全てが終わる。  サトシが切り出す。「これから一緒に住まないか」 夏海はこの言葉を待っていたのだ。 「いいの?」 「ああ、2人で住めばそっちもアパート代がいらないだろう。これからまた一からやり直そうよ。そんな過酷な仕事なんか辞めてしまえ!仕事がしたいんなら、もっと楽な仕事なんかいくらでもあるよ。仕事がしたくないんなら俺が養ってやるし」 「本当に?約束よ」  指切りをされた。 「取り敢えずしばらく休みたい。何もかも忘れて自由になりたい」 「分かるよその気持ち。俺も内定を取ってたら、今頃やりたくもない仕事を押し付けられてトンズラしてたかも知れないしな。そしてハローワーク通いだ。ぞっとするよ。今は違う。自分の仕事に絶対の自信がある。手に職をつけるとこうも違うんだと改めて感じているよ」 「いいわね。そんな自信があるなんて。私の仕事なんか誰でも取り替えがきくもの。やりがいがあればまだ耐える事もできたかも知れないけれど、やってる事は社史の編纂なんてどうでもいい仕事だし、やりがいなんて微塵も見つけられないの。それに残業続きでしょう。気が狂いそうになるわ。昨日も5時間しか寝てないの」  夏海がここぞとばかりにぶちまける。 「まずは辞表の提出だ。けじめはきっちり付けないとな」 「わかった」 「それに引っ越しだ。俺の師匠が軽のワゴン車を持っている。それを1日借りよう。荷物はそんなにないんだろう」 「衣装ばっかりよ」  サトシはいつもの店に夏海をつれて、入って行った。カズは珍しく現金投資をしている。 「きのうスマホで言ってた 彼女です。車を貸してくれるんですよね」 「可愛い彼女じゃないか」  カズが言う。 「よろしくお願いいたします」  夏海が丁寧に挨拶をする。  カズはキーホルダーから車の鍵を取りだし、「ほらよ」とサトシに渡す。「ありがとうございます」  サトシは礼を言うと自分のキーホルダーに移す。 そしてカズのアパートを目指す。御堂筋線のあびこ駅の近くに駐車場がある。詳しい地図はグーグルマップで教えてくれている。ナビもついている。便利な世の中になったものだと思う。  問題の駐車場だ。茶色のワゴン車は直ぐに見つかった。エンジンをかけ、恐る恐るスタートする。先ずは夏海の部屋に行き、荷物を運び出す。プラスチックの衣装ケース4つと台所用品が段ボール箱にしまってある。本や雑貨類はこの際捨ててきたと言っている。簡素なものだ。これであと1往復、布団を運べば終わりだ。  引っ越しはその2往復で終わった。車の鍵をカズに返しにいく。今日は調子が悪いのか、今だに現金投資である。 「朝から1300オーバーだよ」  カズが苦笑している。 「カズさんが車を持っていたおかげで助かりましたよ。ありがとうございました」 「いいんだよ。郊外店に行くとき以外はほとんど使わないしな」  サトシと夏海は再度挨拶をし、サトシのアパートへ戻る。6畳一間で3万8000円の狭い部屋だ。これからここで2人で生活する事になる。寝る時は二人とも床に布団を敷く派だ。毎日布団を押し入れから出し入れしなくちゃならない。 「これからよろしく頼むよ」 「こちらこそよろしくお願いいたします」  夏海がようやく笑顔を見せた。 「今日は料理とかはいいから飯食いに行こう」 「こんなに早くから?先ずは荷物を片付けたいわ」「分かった。手伝うよ。」  衣装ケースは秋冬ものと、春夏ものに分けているようだ。押し入れにしまってやる。台所用品もシンプルなものだ。皿やコップやどんぶり等しか持ってきてはいない。皿はこの前買ったやつだ。お揃いで使うらしい。用意周到である。 「これで料理は作れるのかい?」 「フライパンやお鍋なんかは置いてきたわ。どうせもうすぐしたら捨てるつもりだったの」 「フライパンやラーメン鍋は俺のを使うといい。少し古いけどな」  サトシはパチプロになってから自炊をほとんどしなくなった。勝負がオーラスまでもつれこむと外食するしかないからである。   夏海はサトシの台所用品を品定めしている。 「大きめなお鍋が欲しいわね。あとお玉とかこまごましたもの」 「それじゃあ今から買いに行こうか」 「うん!」  確か近くにデパートがあったはずだ。二人は連れだって出かけていく。これからの新生活に多少ウキウキしている。サトシが冗談を言うと夏海が笑う。昔、恋人同士だった日々にようやく戻ったようだ。  デパートまでは思ったより距離があった。金物のコーナーにいくと、お鍋がずらりと並んでいる。夏海が探しているのはカレーやシチューを作る鍋である。大きめな鍋を品定めしている。「これがいいわね」  ようやく決まったようだ。3800円である。フリーター時代ならとてもじゃないが手が出ない金額だ。しかし今は安く感じる。金銭感覚が違っている事に自分でも驚く。  後はお玉とかレンゲ、箸やスプーンなどこまごましたものだ。夏海が財布を取り出すと、 「いいよ、俺が払ってやるよ」  と言い。財布から金を取り出した。 それらを買うと既に6時を過ぎている。帰り道にあるレストランで二人は久しぶりに、一緒に食事を取る。 「これでやっと新生活が始まるな」 「うん。しばらく休みたい」 「充分に休むといいよ。もう君を縛るものは何もないんだから」 「ありがとう」  夏海が少し涙ぐむ。よほど辛い仕事だったんだろう。  女一人を養っていかなければならない。重圧がのし掛かってくるが、それを引き受けなければならない。サトシは決意を新たにした。
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