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カズの歌
前回前回までのあらすじ
ハイエナにつきまとわれるカズとサトシ。カズが大声で叱咤するも知らんぷりである。カズが一計を案じ、旅打ちの時に行った名古屋の店の場所を教える。これで三人組がようやく目の前から消えてくれた。
サトシはいつもの海で玉の動きを追いかける。あの波間をゆらゆら漂うような動きが大好きなのだ。時折列になってぼこぼこっとへそに入り保留が満タンになる。これが気持ちいい。海をこよなく愛する所以ゆえんである。
午後七時過ぎ、足元の玉がなくなった。少し飲んで帰ろうと思う。
カズに挨拶をし、足取りも軽やかにみかさんの店に向かう。少しだけ緊張する。ドアを開けると「いらっしゃい」といつもの笑顔で迎えてくれる。
「今日は玉切れや。ほんのちょっと時間が空いたんでな。みかさんの顔を見に来たちゅーわけや」
「嬉しい事言ってくれるじゃないの。サービスするわよ」
そう言うと、おしぼりを一つサトシに手渡してくれた。
「じゃあ今日は負けたのね」
「そりゃそうや、全勝なんて不可能やからな。四万円の赤字くろうたわ」
「四、五万はあっという間やからねー」
「ほんまやったら五万突っ込むとこやけど、もう七時過ぎとったからな。ジ・エンドして逃げてきてん」
サトシはそれからカラオケで何曲か歌った。みかが手拍子をしてくれた。気分よく歌うサトシ。この前よりも調子がいい。他の客はホステスとの話に夢中になってほったらかしなのは相変わらずであるが。
するとみかも負けじとサトシが知らない歌を歌う。「なんていう歌手の歌なんや?」「ドリカムよ。ちょっとマイナーな歌だけどね」
とりとめのない話をして二人で盛り上がる。楽しい時間が過ぎてゆく。
「サトシくんさー、もうこのままずっとパチプロを続けるつもりなの?」 みかが二杯目をグラスに注ぎながら訊く。
「どうやろうなー。まだそこら辺は何とも言えへんねん。もうパチプロを始めて二年弱や。フリーター時代とあわせると無職の期間が四年近くにもなるんや。こんな経歴で正社員で雇ってくれる会社なんてないやろうからな」
サトシはグラスを空にする。
「じゃあ当分はパチプロさんってわけね」
「そやな。とりあえず一千万円や。そこまで稼げたら身の振り方考えようと思てんねん。半年もせんうちに到達できそうやからな」
みかがグラスにウイスキーを注ぐ。
「彼女はいるの」
「一応な。大学時代からの付き合いや。でも一回別れてん。そしたら一年ほど前に電車の中でばったり再会したんや。これも何かの運命みたいなもんかと今一緒に住んでんねん」
「へー同棲してるの。意外だわ」
サトシは事の顛末を話始めた。夏海がブラック企業に勤めていたこと。生活がいっぱいいっぱいだったこと。なによりうつ病になりかけて自殺しそうだったことなど。
「サトシくん、いい人なのね」
「いい人って言われるのはなんかしっくりけーへんわ。俺は自分ではそんなにいい人とは思ってないからな」
「ごめん、ごめん。男の人に『いい人』って言うのはその気がないって事だからね。訂正よ。頼りになるのねって言いたかったの」
サトシは煙草を出す。みかがさっと火をつける。気分よく一口吸うと紫色の煙をはく。
「手慣れたもんやね」
「一応ホステスやからね」
「みかさん、標準語使うてんな、出身はどこなん?」
みかはその質問に眉毛をあげて答える。「内緒。あっち行ったり、こっち行ったり、流れ流れて出身地なんかどこか忘れたわ」
言いたくない何かがあるんやろうなと思い、サトシはそれ以上詮索しなかった。
サトシは話題を変える。
「そや、お師匠さん連れてこうか。年期は入っとるで。もうこの道15年のベテランや」
「あら、いいわね。ちらりちらりとは見たことあるけど、結構な男前よね。話してみたいわ」
「もうそろそろ終わりの時間や。電話かけてみるわ」
サトシはケータイを取り出す。
「もしもしカズさんですか?僕です僕。今から飲みに来ませんか。品川ビルという所、知ってますか?ほんすぐ近くですよ。ええ、ええ。地図をメールに添付して送りますんで。ええ、最近僕がよくしゃべっているみかさんの店なんですけどね。ええ、カラオケスナックですわ。ええ、ええ……」
サトシが一回ケータイから耳を放す。「フォアローゼスってウイスキー置いてるかって」
「ああ、銘柄は知ってるけど、うちでは取り扱ってないの」
サトシはすかさず返答する。
「オーケーやて」
「ホントに!嬉しいわ。でもウイスキーの銘柄にこだわるなんて、渋い男ね」
「俺達の間には、暗黙のルールがあってな、食事以外、飲み屋なんかに誘う時は誘った方が金を出すねん。食費を別にするのは、独立心を養うためなんやと。パチプロの師弟ではそれが当たり前なんやそうや」
「名前はカズさんって言うんやね。上の名前は?」
「そう言えば聞いたことないなぁ。はは。二年近く一緒におるのにな」
「ねえ、空いてるボックス席に行かない?」
「ええよ。準備してや」
みかは今飲んでるウイスキーなどのワンセットを持ってボックス席に移動する。そしてカズが来るのを二人で待つ。
「サトシくん、一時間超えたら8000円になるけど大丈夫? 今日は負けたんでしょ」
「金の心配なんかしなくてええよ。朝出る時には財布にきっちり10万円持って行くねん。8000円なんかかわいいもんやで」
「カランコロン」
ドアが開いた。カズの登場だ。入ってくるときょろきょろし、サトシを見定めるとボックス席にどかんと座る。
「カズさんですね、みかと申します。よろしくお願いいたします」
なりは少し小さいが、カズには変に威厳が漂っているところがある。
「ああ、よろしくね」
名刺を受け取りながらカズも挨拶をする。
「まずはビールが飲みたいな。それとカレーライス頼める?」
「カレーライスだったらすぐにできるわ。ママ、ビールとカレー1つ」
みかがママに頼む。
「パチンコ、お強いんでしょう」
「それほどでもないよ。いまはサトシの稼ぎとどっこいどっこいや。こいつももう免許皆伝やしな」「趣味はなんですの」
「最近は絵を描いてるわ。赤い背景に女性像を描くつもりなんだ。しかしまだ背景が決まらなくて二枚ほど没にしてるんだよ。油絵は上書きできるから没にしなくてもいいんだけど納得いかないんだ。中心部は白く、外に向かうほどグラデーションをきかせて……」
ビールを飲みながら絵の話をしている。カズはいつもは無口だが、絵の事になると途端に口が軽くなるようだ。ひととおりしゃべると、カレーライスが出てきた。
貪むさぼるようにカレーをかきこむカズ。3分もしないうちにぺろりと平らげた。「私もお腹すいてきちゃった。カレーたのんでいい?」「どうぞどうぞ。そう言えば俺も何も食ってないな。ママ、カレーをあと二つね」
みかも夕食を食べて来なかったらしい。サトシがいろいろ話しかけるなか、こちらも一杯パクリと食べる。
カズのジョッキのビールがなくなりかけている。みかがカズにカラオケを勧める。
「えーいいよ俺は」
「ここはカラオケスナックよ。来たからには一曲歌わないと」
「じゃあむか~しの歌だよ」
そう言ってステージに立つカズ。サトシはカズが歌うところなんか見るのは始めてなので興味津々である。
かかったのは渋いフォークギターのイントロから始まる「酒と涙と男と女」である。
「忘れてしまいたいことや~♪」
案外上手い。何かに秀でた人間は、他の事をやらせてもそつなくこなすものだとサトシは納得する。
みかさんも軽く手拍子をしている。歌が終わると二人だけでなく、そこにいる全員が拍手を送る。有名な歌のようだ。
「カズさん、うまーい!」
「はは、そうかな。普通だよ」
「この歌歌う人多いのよ。そのなかでもダントツって感じー!」 カズのジョッキのビールがなくなった。「タイムアップや。明日もあるしな。支払いは俺がするわ」
「いや、僕が誘ったんですし」
「今日負けたんだろ、たまには奢らせろや。じゃあな、みかさん。楽しかったで」
カズは勘定を済ませると、とっとと帰ってしまった。「じゃあ俺もここらで帰るかな」
とサトシが立ち上がりかけると、
「あ、待って私も帰る!」
みかはテーブルの上を片付け、ママに早退すると告げると「いきましょ!」と元気な様子。サトシがお持ち帰りした格好だ。
これはもしかして……サトシは期待に胸を膨らませる。夏海のことは頭のなかから消えていた。
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