この人を守りたい

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この人を守りたい

前回までのあらすじ  コンビニで軽食を買い、公園のベンチで一緒にたべる。長い口づけのあと、みかのマンションに入ると甘い香りがする。そこでふたりは、互いに貪りつくすのであった。 「ピンポンピンポンピンポーン」  立て続けに呼び鈴が押される。みかは耳をふさいでいる。 「誰か知ってる人なん?」 「私の元カレよ。もう一年以上前に別れたのに、しつこく付きまとうの」  みかは固まり身動きもしない。あれがやくざの元カレかと思い、サトシはジーンズに革ジャンを羽織ると戦闘態勢に入る。  玄関のドアをどんどんと叩き始める。「みかー、中に入れろやー!」 相手はヒートアップする一方だ。サトシは怒りが頂点に達する。  やくざかなんかはどうでもいい。こっちはパチプロや。毎日喧嘩しとるわ。 「みかさん、警察呼んでや」 「わ、分かったわ」  サトシはそう言い残すと、やおらドアをぶち開けた。「なんじゃおどれこらー!」 見てみると案外小さな男だった。「誰やねん、お前。おー!」  男は下からねめまわすようにサトシの顔を見上げるので、その鼻先に頭突きを食らわしてやった。 のけぞる男。喧嘩は先手必勝だ。素早く次に大きく振りかぶり渾身の右ストレートを食らわす。 後ろにぶっ飛び、壁に激突する男。頭を打ち付けたようでずるずると寝転んでしまう。  こうなったらサトシの独断場だ。何度も何度も相手の全身を蹴りつける。 男はたまらず「殺してやるー!」と叫び、ポケットからナイフを取り出した。 「んなもん怖くもなんともないわ! 俺を誰やと思てんねん」  その言葉に少し怯む男。 「誰やねんお前」 「知るかー!」  男はサトシの足を切ろうとしたが、ナイフなど不良高校生が持っているようなちゃちいものだ。サトシが腕を蹴り込むと簡単に手放し、ナイフはどっかに行ってしまった。 「みかは俺のスケじゃー!」 「誰がお前の女やねん。背中に入れ墨なんか背負わせよってからに」  その事を思いだし、さらに強烈な一発を顔面にお見舞いした。男の鼻から血が溢れ出す。 「そこまでや」  警官がふたりこっちに近づいてくる。サトシはほっとした。しかし意外な展開に。 手錠を掛けられたのはサトシの方だったのだ。「11時13分。お前を暴行の現行犯で逮捕する」 完全に犯人扱いである。 「ほら歩け」 「なんでやねん!あいつがみかさんにストーカー行為を繰り返してたからやなー……」 「言い分があるんやったら署に行って訊いたるわ。まずはさっさと歩かんかい」 「分かった。でもあいつもしっかり捕まえとってや。近くにあいつが持ってたナイフがある筈やからな。指紋がついている筈や」  サトシは警察署に連行され、そのまま取り調べとなった。 「それで……暴行を加えとったのは、そのみかさんを守りたい一心で……という訳か」 「そうですよ。それ以外何の理由がありますのん」「みかさんとはどのくらいの付き合いになるんや」「一年くらい前からみかさんのスナックに行き始めたんですわ。けど男女の付き合いはありませんでしたわ。今日初めてみかさんのマンションに遊びに行ったんです」  刑事は突っ込んだところまで聞いてくる。「それで、深い仲になったと」「ちょっとまった。プライバシーの問題ちゃいますのん?」「あほ、暴行を加えとった動機を聞いてるんや」 「そうですよ。今日初めて寝たんですわ。みかさんから相手はやくざよと聞かされても怖くもなんともなかったですわ。そしてぶん殴って蹴り回してたら相手はナイフを取り出しましてん。これは殺られると思ってより激しくやりましてんや。当たり前でしょうそのくらいは」 「男は楠木組のやくざやと裏は取れたわ。みかさんと名乗る女性の供述ともまあ一致している」 「ほしたら早く帰してくださいよ!」 「お前の容疑はな、もう、暴行から過剰防衛に切り替わってん。そらそやろ。相手の男は顔は血まみれ、肋骨もひびが入っているようなんや。でも相手がナイフを出して来たとなると話は別やな。今血眼になってナイフを探している最中や。まあ、少なくとも今夜中には帰られへんで」  サトシは絶望的な気分になった。とにかく少しだけでもいいから夏海に連絡を取りたい。 「あーそれとやな、そのみかさんっていう人がさっき来て、これを渡して下さいって言うてきたわ」 ケータイと財布と収支帳だ。よかった。これで夏海に連絡が取れる。 「ちょっとかして下さいよ」 「あほ!証拠物件や。渡せるはずないやろ」 「えーそんなー!」  不条理だ。不条理すぎる。サトシは顔を真っ赤にしてだんまりを決め込む。 「お前の職業、パチプロやて?」 「……そうですよ。それと今回の事と何の繋がりがあるんです?」 「尋問や、ちゃんと答えんかい」 「パチンコで二年間やってます」 「そんなもんで、飯なんか食えるんかいな」 「月50万の稼ぎはありますよ」 「そないなるんかいな」 「でも無職ですからね。一度税務署に聞いたことあるんですが、『そんな事はどうでもいいから』って相手にされませんでしたよ」  横ではパソコンに会話を打ち込む婦警さんの姿が。この閉鎖空間のなか、ずっと尋問されたらなにかゲロってしまいそうだ。 「それよりも……」  サトシは重要な事を思いだす。 「あのやくざ、みかさんをストーカーしてるんです。今は法律が出来て半径何百メートルに近寄ったら逮捕出来るんでしょう。それの方が悪質ですよ。対象に加えて下さいよ」 「ストーカー規制法か。それは今検討中や」  生ぬるい返事である。 「絶対約束ですよ」  サトシはそのまま、留置場に入れられてしまった。夏海が心配しているに違いない。その日は硬い畳の上で寝ることになった。  しかし本格的な殴り合いの喧嘩はこれが初めてだった。ビールも残っていたのだろうか、不思議と恐怖はなかった。そして驚くほど冷静だった。  しかし、相手はやくざだ。後の報復が怖い。それだけが心配だ。監視の警官に語りかける。「署員さん」  サトシは相手がやくざだったと告げ、自分の名前は一切出さないように願い出る。「暴対法が出来てからはそこら辺はしっかりしている。その心配はせんでもええで」  ほっとするサトシ。その日はなかなか寝付けなかった。 朝7時に係員が起こしにくる。顔を洗い、また牢屋へと戻る。朝の弁当が配られ、サトシと同室の三人が一斉に食い始める。弁当はまあまあ旨かった。  朝11時、署員が来てサトシが呼ばれる。 「釈放や。検察に上げても情状酌量の余地が大きく不起訴処分になる公算が高い。それでお前は微罪処分にすることが決定したんや」  サトシの体から力が抜ける。晴れて自由の身だ。「それでや、誰か身元引き受け人になる人はおるんか? でないとここから出られへんで」  署員が脅す。 「いますわ。一緒に住んでる女の子なんですけど、ケータイ戻してもらえます?」 「ほらよ」  助かった。これで夏海と連絡が取れる。 サトシは夏海のケータイにコールをする。5コールして夏海がケータイにでる。 「昨日はどうしてたの。連絡しても出ないし」 「いやーすまん。警察に捕まってん」 「警察!何か悪いことしたの?」 「詳しいことはおいおい話すわ。微罪処分ていうて、一晩で釈放や。それでな、お前に身元引き受け人になって欲しいんや」 「わかったわ。まだ警察署の中にいるのね。どこの警察署なの」 「曽根崎警察署や。タクシー代は後で俺が出すんでタクシーで来てや」  30分後、夏海がやってきた。俺を見つけると抱きついてくる。「連絡とれんで悪かったな。ケータイは証拠や言うて使わせてもらえなかったんや。堪忍やで」  署員に見送られながら晴れて警察署を後にする。少し痛い目に会ったがこれも経験だろう。タクシーに乗り込み言い訳をしなければならない。 「昨日は大勝ちして換金所に行ってん。そして暗がりに歩いて行ったらやくざにからまれてな。ナイフを出して金をよこせって言うねん。頭きたからな、頭突きをくらわせて右ストレートや。やくざは壁にぶち当たりドサッと倒れてん。そこから蹴り回してやってん。俺案外喧嘩が強いって改めて気づいたわ」 「なんでそんな事するのよ。無茶しちゃだめよ」 涙目で訴える夏海。どうやら話は繋がったようだ。「そしたら警官がきてな、暴行の罪で俺の方が逮捕されよってん。不条理にもほどがあるわ。で、情状酌量の余地が大きいってんで釈放や。心配かけてすまなかったな」  サトシは夏海とキスをする。この騒動も一段落ついた。  後は、みかさんにあのやくざが、ストーカー規制法で近づかないようになればいいのだが。 サトシはそれだけが心配だった。しかしあれは一夜の夢。忘れてしまおうとタクシーに乗り込んだ。
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