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凋落
前回までのあらすじ
カズはベランダで例の絵を描いていた。サトシが会社を興そうと誘っても乗り気ではないみたいだ。 人は本当に自分がやりたいことで成功しないと、自己実現には至らない。カズの言葉が身に染みるサトシであった。
サトシはいつもの店でマックス機を打っている。朝から800回ハマリである。しかし1000回ハマリを食らっても全く動じなくなった。種銭がデカイと、ハマリもへとも思わなくなる。いつかは脱出出来るからだ。それは多くの経験を積んで学びとったものだ。それが絶対の自信に繋がっている。
あのコートを着たパチプロもたまに見るが気にならなくなった。どうやら他の店もローテーションで回っているらしい。苦労しているようだ。居着くとそれなりに目障りなのだろうが、そんな事はどうでもよくなった。今はただ目の前の勝負に集中するだけだ。
900回を過ぎたころ、ようやく当りがきてくれた。単発だったがそれで悔しい思いをすることも今はない。内容のいい勝負をしている限り、期待値が積み上がっている感覚だ。ツキがないと、その分出る日がくるからだ。これらも経験から教わった。
一杯などすぐに飲まれる。また現金投資である。今度は確変だ。8連チャンして終わった。
玉抜きをしていると例のパチプロがこのシマに入ってきた。まあまあの台を選んで打ち始める。今日はサトシが打っている台以外はほぼ閉められている。例のパチプロの打っている台は1000円で22~23回転、日当は一万円強ぐらいだ。それで満足しておこうと思ったのだろう。
それからはサトシの台が当たり始める。3連チャン、4連チャン、単発をはさんで7連チャンと、調子がいい。
ドル箱タワーを築いたが、最初の現金投資が響いて2万円の勝ちだ。ほぼ計算値通りである。
今はただ稼ぎが有るのが唯一のプライドである。
この2年間で収支は、1300万円を上回り、貯金額は1000万円を突破した。 とりあえずの目標は20年弱かけてもいいから1億円の突破だ。この目標があるかぎり気力が尽きる事はないだろう。
それとサトシには夏海がいる。金井のように、妻子を持ってパチプロをやっている者もいる。パチンコをするのに覚悟をもって臨む事が出来るようになっている。
カズはあれから全く来なくなった。貯金はあるだろうから長い休暇でもとっているのだろうか。
あの赤い絵を仕上げるまで休みを取るつもりだろう。展覧会も間近だったはずだ。
たまに学生時代の友人と酒を酌み交わす。酔ってくるとしきりにサトシを口説いてコネ入社させようとするいいやつだ。サトシがまだコンビニでアルバイトをしていると思っているらしい。「俺が口をきいてやるからよ」
と言う。サトシは「ほんま」と言う。
「いい会社だぞ」
と誘ってくる。サトシは「ほんまに」とだけ言い、愛想笑いをしているだけだ。
支払いの時は全額もってくれる。一流企業の新入りとあって羽振りがいい。サトシは(稼いでるのは俺の方だと思うんだけどな)と思いなからも奢ってもらう。
しかし、出世をして課長にでもなると、追い抜かれるのであろう。
一流企業になると、一生涯に稼ぐ金は2億円とも言う。想像も付かない世界だ。パチプロはどれ程になるんだろう。これは人によって稼ぎが違うので何とも言えない。しかし、一億円を突破するのは間違いないと思うが。
ときたま母親から電話がかかってくる。母親はサトシの事を心配して、とにかく一度帰って来るように言う。
「あんたは心配ばっかりかけて…まだコンビニのバイトやってるの?」
「いや、あれはもう辞めた。今はもう少し割のいい仕事に就いてるよ」
「またバイトなの…」
就職に失敗したのだから、家業のミカン農家を継げというのである。
サトシが大学を卒業してから、もう4年になる。今はまだパチプロになったなどとは当然言ってはいない。親が悲しむのが目に見えているからだ。学生のとき、姉の結婚式に出て以来7年も家に帰っていない。甥っ子はもう3才になるそうだ。
「そやから、俺はもう少しで何かをつかめそうなんや。それが何なんかはまだ分からん。分かれへん者には一生分かれへん。そういうもんなんや。それが分かったら一度帰るから!」
よく分からない理屈をこねて、電話を切る。
サトシはもやもやした気分だ。心配してくれているのは分かっている。しかし、今は本当の事が言えない。答えてくれるのはカズしかいない。電話をかけてみる。10コール鳴らしたが出ない。もう一度かけてもだめだ。サトシは直にカズのアパートに行ってみようと思った。
電車を乗り継ぎカズのアパートへと向かう。カズが好きだと言っていたウイスキーを買い、階段を上りカズの部屋の前にきた。ノックをし、ドアを開けると、鍵はかかっていない。おそるおそる部屋の中へと入っていく。「カズさん…」 返事はない。電灯が消えている。
サトシは目が慣れてくると驚愕した。 部屋の中にはおびただしい程のビールの缶やウイスキーのビンが転がり、足の踏み場もないほどだ。カズはソファーに横になっていた。思わずカズに駆け寄る。「大丈夫ですか!」
「よう、お前さんか」
「ようじゃないですよ!どうしたんですか、こんなに酒ばかり飲んで。救急車呼びますから待ってて下さいよ」
陰の極に飲み込まれて這い上がれなくなった者の成れの果てだ。サトシはぶつけようのない悲しみを、床を殴る事で発散した。
サトシは救急車を呼んだ。
「保険証はどこですか!」
するとカズは観念したかのように、 棚の上の小箱を指差した。
救急車がやってきた。サトシも乗り込む。保険証を見ると愕然とした。そこに記された名前は見たこともないものだったからだ。
(和人…カズト…一人)
病院につくと、すぐさま血液検査をされ、点滴を打たれた。肝硬変一歩手前だったらしい。アルコール依存症の人間は何も食べずに酒ばかりを飲んで、食べ物を全く取らなくなる者もいるらしい。最悪餓死に至るそうだ。
「餓死…」
カズのところへ戻ると、もうろうとしていたさっきよりもだいぶ意識がはっきりとしてきたようだ。「すまなかったな、手を取らせて」
「医者がいうにはだいぶ肝機能が弱っているそうです。三日は絶対安静という事です。動いちゃなりませんよ」
サトシは少しきつめに言い渡す。
「お前さん覚えているかい。一年前の旅打ちの事を、あの頃が一番楽しかったな」「覚えてますよ。2日間浜焼きの店が見つからずに、結局空いた旅館に駆け込んで蟹食いましたよね。計画性もなにもない旅でしたけれど楽しかったですよ」
それから二人は出会ってからの事をいろいろ話した。時にはキツい目にあった事や、時には大勝ちした時の事、話はつきなかった。
「お前さん、10円玉持っているか」
「コインの賭けですか。何もこんな時に」
「いいから」
サトシが小銭入れから10円玉を取り出すと、カズは物置台の上で回し始めた。
「表か裏か、どっちに賭ける」
サトシはカズの反応が見たくて敢えて答える。「表です、表しかありません」
カズがバシンと、10円玉を止める。そっと手をあげると、そこには何もなかった。「無だ」 サトシは少し驚いた。でもすぐにからくりが分かった。コインはカズの手に張り付いていたのだ。
「もう半年前になるかな。ついに株に手を出してしまった。しかし連敗が続いたんだ。その損を取り戻そうとさらにのめり込んでいってしまった」
サトシはここのところカズの様子がおかしかった原因が分かって深く頷いた。
「俺はプロのギャンブラーだ。負けるはずはないと自信過剰だった。なんの事はない、賭け金が大きくなるにつれあせり、追いつめられていったんだ。」
サトシはうつむき加減で聞いている。
「そのうち、それまでの負けを取り戻そうと信用取り引きに手を出してしまった。賭け金を何倍にもできる取り引きだ。しかし失敗すると、同じく何倍も負けてしまう。株価の上下に一喜一憂し、最後はやはり負けてしまう。パチンコじゃあ出玉に一喜一憂するのは素人だろう。賭け金のパイがでかくなればなるほど、ど素人になっていったんだ。最悪借金は逃れたが、証券会社の口座には数十万円しか残っていなかった。いままでパチンコで10年以上かけてためた5千万円が一気にパーだ。それから酒が切れなくなったんだ」
「また一からやり直せばいいじゃないですか。退院したらまたあの名古屋の店に行きましょうよ。百万勝ちすれば気分も晴れますよ」「そうだな。いつかな」
サトシはカズの気力が戻るようにと願いながら病院を後にした。
三日後お見舞いに行くと、カズの姿はなかった。ナースステーションで聞くと、2日前に強引に退院したらしい。急いでカズのアパートへ行き、管理人の許可をもらいカズの部屋に入ると、もぬけの殻になっていた。これも2日前に業者が来て、いっさいがっさい捨てて行ったそうだ。
「カズさん…」
ベランダには、あの赤い絵が立て掛けられていた。絵の真ん中には顔がない女性の姿が描かれていた。 サトシは言葉にならない寂しさに、少し涙ぐんだ。
「これで永遠にお別れなのか…」
サトシは赤い絵を手に取り、胸の内を吹きすさぶ風に身を預け、呆然とその場に立ちすくんでいた。
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