Case01. スウィーツ榎本くんと白石さん

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Case01. スウィーツ榎本くんと白石さん

 「若い男が歌う平成ラブソングの大半、彼女万能の神的なもの説」  メンヘラファッションの金髪不良は、下北沢の路上で魂を吐いている。  180センチほどもある華奢な体躯をダツのように直線に伸ばし、文字通り「倒れている」。ガ○ゴンのように巨体であったら交通の迷惑極まりない事態になっているのは間違いないだろう。現代の最先端障害物らしく意味不明に病弱な言動を繰り返しているのは、学校でもよく見るいつもの癖だ。  「ぬくもりを知らなかった僕に愛を教えてくれたのは君だったんだ、掌の上で踊るだけだった僕の鎖を壊してくれたのは君だったんだ……」  アスファルトに突っ伏した顔面をぐりぐりと動かしたのか、金髪がふわふわと揺れる。私は彼の足元の方から無言で見下ろしているだけなので、どんな表情をしているかは分からない。ただ少し掠れ声だ。だから初対面の人間なら泣いているのかと疑問に思うだろうが、残念これは演技に違いない。意味の無い茶番だ。付き合っているだけ無駄になるレベルのいつもの癖だ。  「Please forgive me, I can’t protect you any more . So let me fuck you」  「言っていることは最低だけど、無駄に良い発音をありがとう翔太君。耳の保養だわ」  私はローファーで翔太君の左足を踏みつける。なぜセーラー服にチェック柄のパンツを組み合わせているかは知らない。うちの高校の男女制服を両方とも身につけたちぐはぐな格好だ。それに、女の子の制服などどこから手に入れたのか。大勢いるであろう彼女から奪い取ったのだろうか。  「うぐ、そ、その声とこの靴圧は、しっ白石さん」  「靴圧だけで誰か分かるなんて、気持ち悪い」  もう一度力をこめてぐり、と圧をかけると翔太君は苦悶の声を上げた。全身を海老反りにさせて「痛いよ」と叫んだあと、熊のような遅さで身を起こす。   「私みたいな優等生が、何であなたみたいな不良に構っているんでしょうね」  「ひどいなあ。ラブソングについて研究してただけだよ……白石さん、勉強がすきならぼくの気持ちぐらいわかるだろ?」  長すぎて鬱陶しい前髪から少しだけ覗かせる両目は猫のようだ。クラスの中にはこの瞳に心を奪われて恋をしてしまう女子も一定数いるけれど、私にはどこがいいのか全く分からない。もっと健康な髪型が良いに決まっている。そうもっと純粋な黒髪で、キッチリと1ヶ月に1回は美容院でカットをするような。  「何がよ」  「もちろん、恋に対する探究心だよ。ぼくが普段ずっとこんな格好をしているのは、男と女という性別を統合させる、いや、超越するためなんだよ。ぼくは恋がしりたい、だから女の子の格好も大好きさ」  「普段、というか今日初めて見たんだけど」  「ね、ところで最近のラブソングって本当に──彼女が神様すぎると思わない?ワンチャン彼氏教団信者説?」  「……恋愛って、そんなものじゃないの?私にはよく分からないけど」  「ロックンローラーが歌う音楽だって、最近は軟弱男のセンチメンタルジャーニーばっかりさ。バブル最盛期に流行ったJ-POPからほとんど変わっていなくて、つまらないねえ」  「会いたい時に会えそうな男ばっかりだとは思うわ」  「おっ、言うねえ~白石さん、ぼくもその通りだとおもうよ。久々に意見が合って嬉しいなあ」  「つまりね、翔太君みたいってこと」  「えー……この流れはいらなかった」  「言っておくけど私の言葉じゃないわよ。私のと・も・だ・ちが言ってたの、安心して」  「絶対嘘じゃん。絶対ギルティじゃん。何も安心できないし。ダブルどころかトリプルダメージくらいくらったんだけど」  一筋縄ではいかない運命ってこういうことだね、と翔太君は臭い台詞を吐きながら立ち上がった。よっこらせ、と文字通り重いのであろう腰がぴんと伸びると、私の目線の先で時間を告げようとしていた宵闇が見えなくなった。 翔太君は、私より頭一つ分背が高い。足も長いし抜群のスタイルに見えるが、半身骸骨みたいな体型のせいでそれも台無しだ。  「白石さんはわざわざ放課後にぼくの所なんかに遠路はるばるやって来たわけだ」  「遠路はるばるというか電車で一駅分、しかも所要時間三分な上に通学路なんだけどね」  「ということは、きみはこれから時間がある」  「いや知り合いのお店の手伝いに行かなきゃいけないんだけど」  「そうと決まれば、ぼくの恋の下北沢探究に付き合ってくれるよね?」  「貴方コミュニケーションって知ってる?」  ──榎本翔太という生き物を理解できる人間は、果たして存在するのだろうか。 奇天烈な行動ばかり起こしていて、授業にはほとんど出席していない。それなのになぜこんな進学校に入学したのか甚だ謎が深い。そして私もなぜ定期的に彼の生息地──下北沢の狭く薄汚れた路地──に足を運んできてしまうのか分からない。 「道路交通法違反よ、それ」 どこから取り出したのか分からない真っ赤な看板を、彼は割れたガラスの前に立てかけた。もともと美容室だったらしいこの建物は、ギャングアートの餌食にされて処刑されてしまったかのように不安定な様子で佇んでいる。雨樋からこぼれ落ちた雨の残り香が、なぜか怪しい液体みたいに見えた。 「反骨精神に決まってるじゃないか」 しれっとそう言い放ってみせた翔太君の背中を、思わず蹴ってしまいそうになる。掲げかけた右足に瞬時に反応した彼が「わー!やめて!」と叫び声を上げたのでそれも虚しくなった。 「すぐに足が出るんだから……暴力は、よくないよ」 「これを暴力って言うなら、貴方は畜生道からやり直した方がいいと思う」 その瞬間彼の耳たぶで揺れたイヤリングはカメラの形をしていた。なぜかそれに対してもイラッときて思わずぐい、と引っ張ると、もう一度彼は「いだっ!」と鈍い悲鳴を上げる。  「もお、今日はどうしたのさ白石さん!いつもはこんなに酷くないのに!」  次いで、少年のような声で怒鳴り声を上げる。いつもはこんなに酷くない、といっても、私がこんなことをするのは毎回のことなのだが。私が特別変わっているという自覚は全くない。  「そういう気分だったの」  私はもう片方のイヤリングも勢いよく引っ張りながら淡々と呟いた。ピアスではないからすぐに取れると思ったのに、どうしてかこれはかなり粘り強く(?)彼の耳たぶにひっついている。  「……そ、そっか。そういう気分、なんだね。う、うん。嬉しいよ、理屈のない直情ってだいすきだ」  心なしか顔が赤くなっている気がするのは気のせいだろうか。  「……貴方の国籍、“宇宙”に変えた方がいいと思うわ」  「それって褒め言葉?そ、それとも蔑んでる?」  スウィーツとリボンの飾りに満ちた翔太君のスクールバッグ。それとは対照的に、キーホルダー一つ付いていない私の青色のリュックサック。彼の問いかけを放って歩き出す私に、無邪気な同級生は「あっ待ってよ!帰らないでよ!」と足をもつれさせながら追いかけてくる。  私はピタリと止まり、後ろを振り返って言った。  「……褒め言葉だと思ってくれて構わないわ」  「え」  彼が追いついてきて豆鉄砲を食らったような顔をしたその瞬間を狙い、私は夕陽に照らされて純白に輝くその髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。風が薫った。一瞬香水をつけているのかとも思ったが、そういう訳でもなさそうだ。 その和やかな香りは刹那に、消えてしまったけれど。  「白石さん、今決めたよ!」  「何を」  「……ぼくは恋が愛のために屠殺されて死体蘇生みたいになってそのあと愛になると思っているから愛はバケモノだって信じてるんだけど、もしかしたらそれは違うかもしれない。だから恋が生き残るにはどうすればいいかをきみと考えたい!」  急に興奮した様子でまくし立ててくる翔太君にちょっと面食らう。「そうと決まれば行こうじゃないか!」と私の手を取って勝手に先を走る後ろ姿を見て、思わず笑みが零れた。  「……どういうことよ、それ」  ほんと、意味が分からない人。
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