恋 ころりん 3

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恋 ころりん 3

 病室のベッドで、点滴に繋がれた手をぼんやりと見つめた。 「あーあ、とうとう繋がれちゃった」  点滴の管は、私をこの病室に閉じ込める鎖のよう。  真っ白な壁にかかるカレンダーは、真新しい。  今日は一月三日。  本当なら、良介くんと北鎌倉のお寺に初詣に行く約束をしていたのに、駄目になってしまったわ。  クリスマスの夜、私は良介くんと結ばれた。  でも、私の生涯は短い。  余命短い身で恋や愛を望んではいけない。  そんなの分かっていた。  しかし恋って止められないものなのね。  ずっと三年間見ていたの。あなたの誠実さ、真面目さを。いつも多くの友人に囲まれているのは、その優しく人懐っこい人柄のおかげよね。 誰かのためにスッと行動出来る潔さに、一目惚れしてしまったの。  生涯で一度だけ恋をしてみたかった私が、恋をしてしまったの。  振られるのは覚悟の上だった。  嘘はつきたくないから、最初から全てを明かしたの。  20歳までの期間限定の恋になることを伝えてしまったので、当然断られると思ったのに、まさか付き合ってもらえるなんて。  私を病人ではなく、一人の女性、彼女として扱ってくれた良介くん。  私が残していく残酷な思い出に、どうか埋もれないで。  引き摺らないで。  私を乗り越えていって……  電話したくても今日は身体が怠くて無理だわ。 「ママ……ごめんなさい。鞄の中にメモがあるの……そこに電話してくれない?」  ママに黙っていたことを詫びた。 「誰なの?」 「……彼氏なの。四月からお付き合いしているの」 「えっ、どうして……何で、そんなことを……あ、相手の方に迷惑でしょう」 「……私……恋を止められなかった。ごめんなさい」 「あぁ……知花……謝らないで……ママも一緒に彼に詫びるわ」  ママは私の手を握って、泣いた。  その手を握り返すことしか、出来なかった。  しかしあと一年もしたら、私は冷たくなって、手を握り返せなくなるのね。 ****  知花ちゃんは年末に入院し、二月末まで病院で過ごした。  俺は何度もお見舞いに行った。  彼女は自分が弱っていく姿を見られるのを嫌がったが、それでも会いたかった。  少しでも彼女に触れたかった。  消えゆく命は儚くも、暖かい。  俺の献身的な様子を受け、最初は戸惑っていた姉貴も母親も、態度を軟化させてくれた。 「良介、本気なのね。分かったわ……お店の将来は私がなんとかするから、あなたは自分の恋を悔いの無いように貫いて」 「姉貴……ごめん」 「私がお店を継ぐから心配しないで、それでいいのよね?」 「あぁ、そうしてもらえると嬉しい」  そんな理由で、俺は知花ちゃんとの恋を許された。  やがて春を迎えた。 「知花ちゃん、退院おめでとう!」 「良介くん、ごめんね」 「謝るなよ」 「謝りたい……あなたを巻き添えにした事を」 「そんな風に言うな。これは俺が選んだ道なんだ」 「ありがとう」 「今日はお花見をしよう」 「うん!」 知花ちゃんの将来の夢を聞いたのは、この時が最初で最後だった。 「良介くん、可愛いお花屋さんね」 「何か買う?」 「ううん、見ているだけでいいの。私ね、夢があったんだ」  最初から過去形の夢なんて、切なすぎるよ。 「どんな?」 「花屋さんになりたかったの。入院生活でお花をいただくことが多くなって……お花は人を癒やしてくれることに気が付いたの。花言葉もとても面白いのよ。いつも花を弄って、花の香りが染み付いた人になりたいな」 「花の香りがする人か……甘いんだろうな」 「ふふっ、甘いといえばあんこの匂いもいいよね。ほっこり癒やされるね」 「花より団子ってか」 「ねぇ、あそこの桜最中、買ってみよう!」 「おう!」  フローリスト。     贈る花を作る側か……それもいいな。     その後、知花ちゃんと会える間隔はどんどん開いて、あっという間に秋になっていた。  紫陽花が咲く寺でのデート。  夏の江ノ島で海水浴。  七里ヶ浜の海岸でキス。  去年は当たり前のように出来たことが、もう何も出来なかった。  それでも俺は知花ちゃんを愛し続けた。  衰えていく姿も目に刻んで…… 「良介、やっぱり二十歳になったばかりのあなたには過酷すぎる」 「俺が選んだ道だ」 「あんたは真面目過ぎるから心配よ」  姉貴にも母にも、心配をかけた。  最期のデートは、十一月。  晩秋の鎌倉を、車椅子を押して日向ぼっこした。  最期に交わした言葉だけが、いつまでも残酷にリフレイン―― 『良介くん……どうかまた恋をしてね。私が終わりなんて嫌よ』 知花ちゃんは強い麻酔薬で意識を失ったままこの世を去ったので、最期のお別れは出来なかった。 知花ちゃんがいなくなった虚しさ、寂しさ、哀しさを埋めるために俺が取った行動は、彼女の夢を引き継ぐことだった。  俺、フローリストを目指すよ!   あとがき(不要な方は飛ばして下さい) **** 知花ちゃん旅立ってしまいましたね。 切ないNLはここまで! 今日はもう1話あります。今度は現在の菅野くんとこもりんの会話です。どうか癒やされて下さい。  
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