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積み重ねるのも愛 6
寝る直前に俺が余計なことを……口を滑らせたせいで、瑞樹は思い詰めてしまった。
「宗吾さん、今日はもう寝ましょう」
そのまま自室へ心細げに行こうとするので、手を掴んで引き止めた。
「ひとりでは寝かさない」
「あっ……はい」
瑞樹が……実の両親との懐かしい記憶を遡るためには、鬼門があるのだ。
それは十歳の時に全てを壊された事故を乗り越えないとならない。
あのシーンの向こうに、優しくて懐かしい記憶が散らばっている。
記憶を喪失したのではなく、記憶が遮断されてしまっている状態なのだろう。
その晩、瑞樹は、なかなか寝付けないようだった。
漸く寝付いたので、俺はそっとその寝顔を見守った。
愛おしい人の安眠を守ってやりたくて。
少し頬が緩みだしたな。
今はいい夢を見ているのか。
今度は寂しそうになった。
もういい、それ以上は……ひとりで夢を見るな!
目覚めた瑞樹は、俺に包まれて少しだけ泣いた。
やはり家族の夢を見ていたのか。
少しずつ明かしてくれるのもいじらしく、心の底から君を守る盾になりたいと願った。
「函館では……絶対に離れないで下さい」
何度も何度も俺に縋るように頼む君を放っておけなくて、俺の体温で温めてやった。
震える肩を抱きしめて。
小一時間ほど、そうやって身体を擦ってやると、ようやく気持ちが落ち着いて眠りにつけたようだった。
「おやすみ。いい夢を見ろよ」
しかし、今度は俺が寝付けない。
函館に誘われて喜んでいたが、本当に大丈夫なのだろうか。
いや、あんなに喜んでいたんだ、ダウンコートを見せたいと……。
だから絶対に連れて行ってやりたい。
楽しい思い出を積み重ねて、鬼門を越える弾みをつけたい。
目が冴えてしまったので、瑞樹がぐっすり眠っているのを確認してベッドを抜け出た、
俺の代わりにクマのぬいぐるみが添い寝させて。
「もう夜が明けるのか」
インスタント珈琲をいれて、マグカップを片手に窓辺に立った。
玲子と離婚した直後……こんな風に寝付けなくて、珈琲を片手に朝日を待ったな。
あの時は途方に暮れていたが、今は違う。
進むべき道が見えている。
守りたい人がいる。
瑞樹と芽生を愛している。
どのくらいの時間、朝日を待ったか。
やがて朝の日差しが、部屋に差し込んでくる。
その時、壁に貼ってある写真に手が触れた。
これは瑞樹がお母さんの一眼レフで撮影した写真だ。
ホットケーキには「めいくんのおやつ」と書いてある。
ふいに泣きそうになった。
幸せ過ぎて、幸せが怖いと瑞樹が言っていた意味が分かる。
そんな朝だった。
背後から軽やかな足音がして、パフッと後ろから俺に抱きついてきたのは、瑞樹だった。
「どうした? もう起きたのか」
「宗吾さん……ありがとうございます」
「ん?」
「昨日はずっと励ましてくれて」
「当たり前だ。俺はいつだって君の盾になる」
「……春に久しぶりに花のコンクールに出るのですが、そのテーマが『成長』でした。成長と言う言葉を見つめた時に、僕……ハッとしてしまったんです。今の僕は……函館に行って自分のルーツを知りたいんです。十歳以前の記憶が不確かすぎて……大きく大地に根を張れないのがもどかしくて……」
瑞樹の気持ちが、痛い程伝わってきた。
君がその覚悟なら、俺はサポートするだけだ。
「怖くないか」
「宗吾さんがいるから、芽生くんがいるから……怖くはないです」
瑞樹がそっと手を伸ばし、壁の写真に愛おしげに触れた。
「僕が僕であるために……亡くなった両親のことを知りたいんです」
何事にも消極的だった瑞樹が強く望むものは、過酷な過去より前だった。
「行こう! きっと何かを得る旅になるだろう」
「はい!」
*****
函館・大沼へのスキー旅行は、2月のバレンタイン前の3連休に決定した。
潤とは今回は、羽田空港で直接待ち合わせだ。
林さんには、瑞樹が一番心惹かれたニタイというカメラマンのことを調べてもらったが、北海道在住としか分からなかった。
「滝沢さん、そう気を落とさないでくださいよ。縁があれば出逢えるでしょう」
「……そうだな」
「それより、良かったですね。もう瑞樹くんは安心して函館に行けるから……あのこと……瑞樹くんに、もう話したんですか」
「いや、まだだ。今、ナーバスになっているから……下手に触れるわけには」
「なるほど……彼が知りたい時に教えてやるのがいいのかもしれませんよ」
「だな、様子を見てみるよ」
函館といえば、瑞樹には、もう一つの鬼門がある。
それは瑞樹を拉致監禁して暴行未遂を犯したあの建築会社の高橋という男の存在だ。
偶然にも林さんと通じて、彼がもう函館にはいないという情報を得たので、安心して連れて行けるのだ。
****
旅行前の週末、キッチンでは瑞樹と芽生がプリン作りに挑戦している。
「やったー せいこうだ」
「本当だね」
「お兄ちゃん、おしゃしんとってー」
「了解」
瑞樹が白い一眼レフを構えて、パシャパシャとプリンを撮影する。
「瑞樹、データを貸せよ。アウトプットしてやる」
「はい!」
その間、ふたりは試食タイムだ。
「お兄ちゃん、あーん」
「え、僕が?」
「そうだよ」
「ふふっ」
お互いにスプーンで食べさせ合って、芽生は小さな恋人のようだな。
「おいおい、俺も忘れるなよ!」
慌てて間に入ると、二人に笑われた。
「パパにもあーん」
「くすっ、はい、どうぞ」
「わ、両方からか」
二本のスプーンをパクッとくわえて、笑った。
卵色のプリンは、幸せな味がした。
この幸せを大切に守っていこう。
何があっても、俺たちはチームだからな。
プリントアウトした写真に芽生が『おにいちゃん おいしかったよ』と平仮名で書いた。
それを壁に貼ってやると、瑞樹が目を細めて見つめていた。
「宗吾さん……また幸せが積み重なりましたね」
「そうさ、積み重ねるのも愛だからな」
「あ……はい。その通りです」
瑞樹が積み重ねたホットケーキの写真を指で辿り、微笑んだ。
積み重ねるのも愛……
あとがき(不要な方はスルーです)
*****
いろいろありましたが、いよいよ函館旅行に旅立ちます。
函館の建築会社の件は、もう彼は彼なりに反省し、瑞樹への執着を捨てて函館にいないという設定になっていますので、安心してお読み下さいね。
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