花びら雪舞う、北の故郷 23

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花びら雪舞う、北の故郷 23

 軽井沢 「お迎えの時間に遅れそうだわ。急がないと!」  いっくんはお迎え予定の時間に遅れると、すぐ泣いてしまうのよね。  泣き虫なのは、誰に似たのかな?  感受性が豊かな樹。  潤くんをパパと信じて疑わない無垢な樹。  早く会いたいな。  早くいっくんを抱きしめたい!  バタバタと保育園に駆け込むと、園内の様子が明らかに変だった。  先生たちが真っ青になっている。  一体、何事なの? 「あの? どうかしたんですか」 「あっ山中さんっ、大変です!」  とても、嫌な予感がした。 「さっきから急に樹くんの姿が見当たらなくて」 「えっ!?」 「もうそろそろお迎えだからと、自分でコートを着て玄関あたりに座っていたのですが」 「そっ、そんな!」  目の前が真っ暗になった。 「いっくん! どこなの?」 「それで手分けして探しているんですが、園内には、いないみたいで」 「そんな! 何か変わったことは?」 「実は、さっきまた、あっくんと喧嘩して泣いていたんです。慌てて二人を引き離して、バタバタしていたのです」 「外を探してきます!」  あっくんとの喧嘩の内容は、だいたい察したわ。  あの一家は、いつも私がシングルマザーなのを馬鹿にしている。  父親がいないことを蔑んで、いっくんを悲しませたのだわ。  怒ることを知らないいっくんは、泣くばかり。  ごめん、ごめんね――  そして、酷い! 酷いわ――  いっくん、どこなの?  もうこんなに暗いのに、絶対にひとりで歩いては駄目っていつも言っているのに。  何かあったらどうしよう!  自然と涙が溢れ、視界が滲んでしまう。  こんな非常事態に、私はひとりぼっち。  すぐに頼れる人が傍にいない。  心細くて不安で、とても寂しい。  そしてとても怖い―― 「いっくん、どこなのっ? ママを……おいていかないで」  泣いている場合ではないわ。  早く、早く探さないと取り返しのつかないことになる。  涙を手の甲で拭って、私は闇雲に走り出した。    その時、ドンっと大きな人にぶつかった。   「大丈夫ですか」 「うっ……」 「菫さんじゃないか! 一体どうした? そんなに泣いて……」 「えっ! 潤くんがどうして?」  函館の実家に帰省して、お兄さんたちとスキーを楽しんでいるはずの潤くんが、どうして目の前にいるのか、すぐには分からなかった。  夢……幻なの?   「実は昨夜電話で話してから……ずっといっくんが俺を呼ぶ声がして、気になって。スキーはやめて1日早く帰って来たよ」  潤くんの顔を見たら気が抜けて、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。 「菫さん? 大丈夫か。あれ? いっくんはどこだ?」 「大変なの……いなくなっちゃったの、ど、どうしよう」 「え!? 何だって? 行き先に心当たりは?」 「わ、分からない……保育園から勝手に出ちゃったみたい。きっとお迎え時間のどさくさに紛れて……門が開いていたから……」 「菫さん、しっかりしてくれ! いっくんに何か変わったことは」 「あ……パパがいないことで直前まで喧嘩していたみたい」 「何だって?」 ****  飛行機は予定より1時間も遅れて、離陸した。  余裕を持って出たはずなのに、これではお迎えの時間に間に合わない。  だから空港でも駅構内でも……ひた走った。  お迎えの時間に登場していっくんを喜ばせようとしたのに、なんてことだ!  俺がもっと早く着いていれば、こんなことにならなかったのでは?  今は後悔している場合じゃない!  早く探さないと命取りになる!  3歳の子供が親とはぐれるなんて、絶対に駄目だ! 「いっくんー! どこだぁぁー パパだ! パパが来たぞ」  気付いたら『パパ』と、大声で叫んでいた。 「潤くん……ありがとう、いっくんのために……」 「菫さん、しっかりして」 「あ……もしかしたら、パパを探しにいったのかも」 「え……」 「パパに早く会いたいって、ずっと言っていたから」 「くそっ」  遅れたことを、本気で後悔した。    いっくんが行きそうな場所はどこだ?  分からない――  分からない!  そうだ!    兄さんなら……分かるかも!    俺は震える手でスマホを取りだし、兄さんにかけようとした。  だが動転していて……手が震えてかけられない。    すると瑞樹……兄さんから、着信があった。 **** 「お兄ちゃん、はこだてはすごい雪だったんだね」 「あ、本当だ」  風呂上がりに僕は、潤に電話をしてみた。  大沼はそうでもなかったが、函館市内の雪が酷かったとニュースで言っていた。  無性に……無事に飛行機が飛んだのか気になった。  無事にいっくんを抱きしめられたのか、気になったから。 「もしもし潤、今どこだ?」 「に……兄さん、助けてくれ! お……俺の大切な息子がいなくなった!」 「え? どういうこと? 潤、落ち着いて話して」  事情を聞いて驚いた。    まだ3歳になったばかりの子がひとりで外に出たらどうなるか。 「交通事故にでもあったら……」 「潤‼ 縁起でもないこと言わないで」 「ごめん……兄さん。だが……散々探したが……まだ見つからない。一体どこに行ったのか。俺に会いたがっていそうだ。俺はここにいるのに……いっくんがいないなんて、クソッ」  お父さんに頭を撫でて欲しい  お母さんに抱きしめてもらいたい。  夏樹とじゃれ合いたい。  会いたくて、会いたくて溜らない。  そんな時が、僕にも何度もあった。  そんな時、僕は何処に行った? 何をした?  思い出せ! 思い出すんだ。 「潤! そうだ! 近くに星が掴めそうな丘はないか」 「あ……あるっ! 小高い丘が保育園の向かいの公園にある!」 「そこだ! そこに、きっといるよ!」  そんな予感に包まれていた。  潤、どうか――  いっくんの星になってあげて。  いっくんを抱きしめてあげて。  僕はあの頃、小高い丘で両手を一杯に広げて待っていたよ。  もう一度だけ、僕を抱きしめて。  僕を……愛してと。   通話を終えた僕の両目からは、涙がポタポタと流れていた。 「お兄ちゃん……ボクたちがいるよ。さみしくないよ」  芽生くんが両手を大きく広げて、僕を抱きしめてくれた。  宗吾さんも慌ててやってきて、僕を包み込んでくれた。    広樹兄さんが目頭を押さえて、肩に手を置いてくれた。    もう僕は、あの丘にはいかない。  ここに僕の大切な人たちがいるから。
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