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ひと月、離れて(with ポケットこもりん) 3
「あんこのお菓子でしたら、ちょうど静岡を通過しましたので、あべやまもちがございます」
それ、それ、それを買ってくださーい!
僕は菅野くんの胸ポケットの中で、もう、じっとしていられないです。
「よかったな、菅野、じゃあそれを奢るよ」
「いや、これは自分で払うよ。全部下さい!」
「ぜ……全部? どうしたの? そんなにお腹が空いているのなら、やっぱりサンドイッチにしたらいいのに」
「いや、ほら……こもりんのあんこ好きが移ったかな。はは……」
「そ、そう……食べ過ぎてお腹を壊さないようにね」
「瑞樹ちゃんって、マジ天使……っ」
じわーん!
ふたりとも、やさしすぎます。
菅野くん、全部お買い上げなんて。
そして瑞樹くんが菅野くんを労ってくれています。
僕、しっかり平らげますからね!
お任せください!
思わず右手で力こぶを作ると、コツンと何かにぶつかりましたよ。
「うっ!」
「菅野? 今度はどうしたの?」
「い……いや」
あれれ? この小さな出っ張りは、何でしょう?
布越しに、こしこしと小さな手で擦ってみると、少し芯を持ちましたよ。
菅野くんの、ただならぬ声がしました。
「うううっ……」
それから突然スクッと立ち上がったようです。
「ど、どうしたの?」
「ちょっとトイレ!!」
全速力で菅野くんが走り出しました。
「こもりん!」
トイレの個室で、僕は菅野くんに摘まみ出されました。
ぷはー! 少し息苦しかったので、さっぱりです。
「こらっ!」
あれあれ? かんのくんが怒っています?
「こもりーん、いいか、ポケットの中では、じーっとしてろよ! そうしないと、あんこをあげないぞ」
お……怒られちゃった。
あんこ、あんこ……あんこをもらえないの?
ぽろぽろ……ぽろぽろ
涙が溢れちゃいます。
(ごめんなさい……ヒックッ……ぐすっ)
「あぁ……そんなに泣くなって。怒ったわけじゃないんだ。たださ……胸ポケットで動くとその……あたるんだよ。なんかこそばゆくってさ」
(何にだろう?)
「おーい、泣き止んでくれよ~ よしよし」
菅野くんが僕を手の平に座らせて頭を指先で優しく撫でてくれ、ハンカチで涙を拭こうとしてくれました。
「うーん、小さすぎて、うまく拭けないな……よし、じゃあこうだ!」
そのまま、そっとそっと唇の先で涙を吸い上げてくれました。
菅野くんの唇って、羽二重餅みたいに柔らかくて昇天しそうです!
そこでまたグゥーとお腹が鳴りました。
「あ、そうだ。あんこだったな。よし、何とかして食べさせてやるから、戻ろう」
****
前屈みでトイレに駆け込む菅野の様子に、呆気にとられてしまった。
胸元を押さえて随分悩ましい顔をしていたけど、一体どうしたんだろう?
朝から様子が変だったが、ますます変だ。
変な物でも食べたのな?
心配が募るよ。
菅野がなかなか戻ってこないので……手持ち無沙汰で、睡魔に襲われた。
「ふぅ……流石に眠たいな」
両手をあげて伸びをした拍子にワイシャツが擦れ、僕も「うっ」と唸ってしまった。
あ……まだ……ここ……こんなに火照っていたのか。
僕の胸の先端は、じんじんと熱を持っていた。
昨夜……こんなになるまで……宗吾さんに弄られてしまった。
まっ、参ったな。
昨夜の情事を思い出せば、顔が火照る。
僕も菅野みたいに困惑した顔で、前屈みに俯いてしまった。
****
「え? 瑞樹……今の本当か……明日から一ヶ月だって!?」
「……そうなんです。急ですみません。アクシデント対応なので、どうしても行かないとならなくて」
夕食時に出向の話をすると、宗吾さんはポロリと箸を落として驚いていた。
その様子に、僕の心にも寂しさが込み上げてきた。
隣でご飯を食べていた芽生くんも驚いて、目を見開いていた。
「お……お兄ちゃん、いなくなっちゃうの?」
不安そうに僕の胸に飛び込んできたので、持ち上げて膝にのせてあげた。
「ごめんね。一ヶ月も長いよね。でも絶対に帰ってくるよ。お兄ちゃん、お仕事頑張ってくるね」
「うん……ぜったいに帰ってきてね。でもシンパイだなぁ」
「どうしたの? 話してごらん」
「お兄ちゃんがいなくて……パパ、大丈夫かな?」
「芽生は優しい子だな。パパの心配までしてくれて、ありがとうな」
「パパもお兄ちゃんも大好きだもん!」
思いやりのある会話に、心が和んでいく。
「二人とも……いい子で待っていて下さいね」
「あぁ、頑張ってこい」
「お兄ちゃん、ファイトだよ」
「芽生、パパとがんばろうな!」
僕たちは3人で肩を組んで、励まし合う。
「たきざわチームだもん、はなれていてもいっしょだよね?」
「そうだよ、芽生くん」
芽生くんの言葉がすべてだ。
「留守中のことは、俺に任せておけ」
「ボクもお手伝いするよ」
「ありがとう! そうだ。芽生くん、今日のうちに夏休みの宿題を仕上げようか」
「あ、うん、今日はね、絵日記が完成したんだよ」
「わぁ、見せて欲しいな」
芽生くんが描いたサマーキャンプの絵は、カラフルでキラキラと輝いていた。
4つのテントと満天の星。
パーティーのようなガーランド。
あの日の思い出が、飛び交うファンタジックな絵だった。
「素敵な絵だね。キャンプ、楽しかったね」
「うん。そうだ! ボク……テントで、お兄ちゃんとお空を飛ぶ夢を見たよ」
「そうだったんだね。僕も見たよ」
芽生くんは、何か言いたそうだ。
「芽生くん、次は何をしようか」
「……お兄ちゃん、あのね……今日はいっしょにねてほしいな」
「うん、そうしよう」
その晩、芽生くんがぐっすり寝付くまで抱っこしてあげた。
「お兄ちゃん……ちゃんとかえってきてね」
「約束するよ。お兄ちゃんの帰る場所はここだから、絶対に戻ってくるよ」
それから宗吾さんが、子供部屋に僕を迎えに来た。
後はもう……あぁぁ思い出すのも恥ずかしいよ。
一体、どんな痴態を見せたのか。
僕も一ヶ月離れることが寂しかった。
その気持ちを宗吾さんは全部分かってくれていた。
余韻が残るほど……強く抱いて欲しいと願ったのは、僕の方だ。
****
「瑞樹ちゃん、待たせたな」
「あ……ごめん。少しウトウトしていたみたいで……菅野、お腹はもう大丈夫?」
「へ? あぁ、それより瑞樹ちゃん、やっぱり寝不足だろ? 目の下に隈が出来ているぞ。京都を通過したら起こすから、今のうちに眠っておけよ」
菅野に促されると、再び睡魔がやってきた。
「うん……じゃあ、少しだけ、いいかな?」
「あぁ、おやすみ」
親友っていいな。
家族とも恋人とも別の次元で甘えられる。
菅野の隣は、とても安心できる場所だ。
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