帰郷 16

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帰郷 16

  「潤は……確かココアが好きだったよな。飲む?」 「あ? あぁ」  参ったな。こんなはずじゃなかった。最初は瑞樹を貶めようと東京にやってきて長年の恨みを晴らすつもりだったのに、どうしてこうなった? 今オレは瑞樹の部屋にちゃっかり上がり込んで、至って和やかに平和にソファに座って、ココアを啜っている。 「熱っ!」 「ごめん。冷ましたつもりだったのに。ふふっ潤の猫舌は変わらないね」  瑞樹がオレに向かって笑ってくれる。あぁそうか……ずっとこんな笑顔が見たかった。  兄貴には向ける瑞樹の可愛い笑顔が、オレの前から消えたのはいつだろう。最初は軽い嫌がらせからだった。瑞樹の皿のハンバーグやエビフライを母が見ていないうちに食べたり、おやつを隠したり、ランドセルを勝手に開けてノートにマジックで落書きをしたり……今考えると、あれはまるで好きな子に関心を持って欲しくてやっていたようなものだ。  成長するにつれて瑞樹がオレを怖がるようになったのが癪に触り、関係がどんどん拗れた。だから風呂場であんなこともしちまった。  もしかしてオレは、本当はずっとこんな風にまた優しく話しかけて欲しかっただけなのか。あーもう、どーなっている? これじゃまるで瑞樹に母性を求めるような気分じゃねーか。 「甘さ、どうかな」 「ちょうどいいぜ」 「よかった。相変わらず潤は甘めが好きだね」  そっか、甘党のオレに合わせて砂糖を追加してくれていたから美味しかったのか。学校から帰るといつも瑞樹がいれてくれたココアは格別だった。今更ながらそれに気が付いてしまった。 「……瑞樹はさ、もうオレのこと怖くないのか」  オレは歯に衣着せぬ性格だからストレートに聞いちまう。 「えっ……」  瑞樹は少し驚き、同時に恥ずかしそうに俯いてしまった。おいおい、そんな可愛い態度すんなよ。なんかこう変な気分になる。痛めつけたいのではない、可愛がってやりたくなる。五歳の年上の血の繋がらない兄を。 「潤……怒らないか」 「あぁ」 「本当は……怖かった。でも今はもう大丈夫みたいだ」 「はーやっぱりそうか」  これは自業自得だ。だから瑞樹を責めない。  オレ、ガキだったな。我儘でひとりよがりの…… 「潤は暫く会わないうちに大人になったな。それに外見は広樹兄さんに似て来たね。兄さんからも聞いたよ。東京まで選ばれて出向しているって。仕事をすごく頑張っているって。まだ21歳なのに偉いな」  そんな風に褒められるのは、こそばゆい。今回上京した動機を知ったら……オレは軽蔑されるだけなのに。  そうだ、一刻も早く若社長に断らないと。  100万なんかで瑞樹は渡せないと。あんなストーカーあがりの気持ち悪い奴に、瑞樹を売ろうとしていたなんて最低だ。オレが馬鹿だった。 「そんなことねーよ。もう函館に帰るし」 「あっそれなら一緒の飛行機で帰れるかな」 「なんだよ? ひとりで飛行機に乗るの怖いのかよ」  瑞樹が楽しそうに笑った。あ……また笑ってくれた。 「クスっそういうことにしておくよ。僕……潤とこんな風にまた話せて嬉しいよ」  なんだか猛烈に恥ずかしくなってきたぞ。瑞樹は何でそんな可愛い? 兄なのに、五歳の時から一緒に成長してきたのに。なんだかこのままだと柄にもなくオレまで真っ赤になりそうだったので話を逸らしたくて、立ち上がった。 「この部屋って凄く広いな。ちょっと中を見せてくれよ」 「え……うん、あっでも……」  瑞樹の制止も聞かずに部屋の中を遠慮なく歩き回った。独り暮らしにしては広い部屋。どこも綺麗に整えられた清潔な部屋だ。最後に玄関をあがってすぐの扉が閉まったままの部屋に入った。  電気をつけるとガランとした空き室だった。家具も荷物もない……でも瑞樹でない誰かが暮らしていた匂いを感じた。  別の男の匂いが、微かに残っている。  なんだこれ……ここに同居人がいたのか。そう思って見回していると瑞樹が後ろから慌てて入ってきた。 「そこは駄目だ」 「いいじゃねーか」  オレの腕を掴んで出るように促す様子が、ムキになっていて可愛いな。おいっ、そんなか弱い力じゃ無理だ。俺は建設現場で働いているんだぜ。  瑞樹の腕が触れると、なんだかドキドキした。なんだこれ。胸の奥が疼くような感じに戸惑ってしまう。憎んでいたんじゃなかった。好き過ぎてどうしたらいいのか分からなくて、癇癪を起していたんだ。きっと、ずっと…… 「瑞樹……」 「なっ何?」  瑞樹の腕を掴んで真顔で見つめると、瑞樹が強張った。あぁ違う。これじゃ前と一緒で、また怖がらせるだけだろう。 「悪い」  パッと手を離すと、インターホンが、けたたましく鳴った。 「瑞樹っどうした?」  切羽詰まった男の声には聞き覚えがあった。あの男だ。ここで瑞樹の恋人の登場か。 「えっこの声……宗吾さん?」  ****  ずっと怖くて避けていた潤なのに……今日会ったら怖くなかったのは何故だろう。  今の僕には宗吾さんというホームがあるからか。いつもよりずっと余裕を持って接することが出来た。それに長年怖がって潤を避けていたのは僕の方だ。だから潤もムキになっていじめがエスカレートした。  今考えれば、あれはまだ幼い潤の甘えだった。当時の僕は行く宛もない貰われっ子と自分を卑下していたから、その甘えを受け止める余裕がなくて委縮してしまった。  突然絡まっていた糸が解けていくように、僕達は互いに素直になっていた。  そこに飛び込んで来た宗吾さんの声。これって広樹兄さんが来た時のことを彷彿してしまう。  どうしよう。この状況はやましいことがなくても少々躊躇われる。    思わず潤と顔を見合わせてしまった。 「そんな情けない顔すんなよ。早く出ろよ。あれは瑞樹の彼氏だろ?」 「えっ」  そこまで潤の口からあからさまに言われて、恥ずかしさが募る。  広樹兄さんにしても潤にしても、僕の恋愛対象が男だと分かって、どうしてもっと動揺しないのか。僕が逆の立場だったら、そうはいかないだろう。  玄関を開けると、宗吾さんが仁王立ちしていた。 「宗吾さん! どうして……」 「中に入るぞ」 「あっハイ」 「今誰かと一緒にいたな、どうした? 何かされたのか」 「あっちょっと待って下さい!」 「上がるぞ」  宗吾さんはやはり誤解しているようで、靴を脱ぎ捨てドタバタと上がってきた。そこにヒョイと潤が悪ぶれた様子もなく顔を出した。 「あーもしかしてオレを探してる?」 「あっ宗吾さん……これは」  早く説明しないと。弟だって言わないと。だが僕はずっと潤の存在を宗吾さんに話せていなかった。双方を不快にさせてしまう行為だったと、激しく後悔した。 「あれ? 君はもしかして瑞樹の弟?」 「え……」  何で知っているのかと困惑した。でも宗吾さんの態度はとても落ち着いていた。唖然と見つめると軽くウインクしてくれた。ここは任せろと。 「会いたかったぜ!」 「あっはい。オレは瑞樹の弟の潤です」  潤もずっと年上の宗吾さんの余裕の大人な態度に、まるで上司に会ったかのように畏まっていた。宗吾さんはそんな潤の背中をバンバンを叩いて、朗らかに笑っている。 「お前の兄さんとは深ーい酒を飲んだ仲だ。君とも飲めるかな」 「えっ」 「ん? 未成年じゃないよな」 「あっハイ」  潤と宗吾さんの会話に、僕は安堵した。  宗吾さんはすごい。  僕が長年超えられなかったものを、一瞬で掴んでしまう。  すごい人だ。  だから好きだ。  宗吾さん、今日ここに来てくれてありがとうございます。  心の中で礼を言い、僕は冷蔵庫に向かった。 「宗吾さんは何を飲みますか。潤は何がいい?」 以下、作者の独り言的な後書きです。 (ご興味ない方はスルーでお願いします) **** 志生帆海です。こんにちは! いつも読んでくださってありがとうございます。 ここ数日二人のラブもなく、暗めな話で読者さまもトーンダウンでしたよね。 私もそろそろ抜けたくて、本日、3300文字も書いてしまいました。あぁやっとです。今日ここまで書いて私もやっとノリノリになりました! 潤は当初はもっと悪役の予定でしたが書いているうちに情が湧いてしまい……瑞樹が長年接した人から悪人を出したくなかったのもあるかな~話が二転三転していますよね。でも人生は先が分からない。だからそんなものかなとも。 あ……でもストーカー若社長は、どうにかしないとですが(^_^;) 瑞樹は一歩一歩前進していますね。周りに支えられ、理解されながら。函館への帰郷。いい思い出を作って来て欲しいです!
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