秋色日和 8

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秋色日和 8

「あっ、そうだ!」 「勇大さん? どうしたの?」 「さっちゃん、ちょっと待っててくれ。屋根裏部屋に行ってくるよ」  なんてこった! 今の今まで忘れていたなんて!  ダダッと屋根部屋へ駆け込んで、積み重なった荷物の中から必死にトランクを探した。  あれはいつだったか。  確かみーくんが1歳を過ぎた秋の出来事だった。 ****  ログハウスで大樹さんの写真集の編集作業をしていると、外から大きな声がした。 「熊田ー いるか。今日は俺と一緒に瑞樹の子守をしてくれ」    窓を明けると、大樹さんがみーくんをおんぶしてズンズン歩いて来た。 「珍しいですね。ここにみーくんを連れてくるなんて」  このログハウスは大樹さんの自宅から少し離れた場所に建てた作業場だった。 「実は澄子が風邪気味で体調が悪そうだから、少し休ませてやりたくてな」  みーくんはママが大好きっ子なので、不安そうに大樹さんの背中にしがみついていた。そして俺と窓越しに目が合うと、今にも泣きそうな悲しげな顔をした。 「大樹さん、みーくん怖がっていませんか」 「んなことない。なぁ瑞樹」  大樹さんがおんぶから抱っこに切り替えると、みーくんの表情が一層険しくなった。  大きな瞳に涙をいっぱい溜めている。 「ふぇ、ふぇ、ぐすっ、ぐすっ」 「え? なんで泣く?」 「そりゃ、ママが恋しいんでしょう」 「俺がいるのに? 瑞樹ぃ、パパじゃ駄目なのか」  大樹さんが真顔で大きな声を出すと、みーくんはとうとう顔を真っ赤にして泣き出した。 「うわーん、うわーん、わーん」 「わわっ、熊田どうしよう?」 「大樹さん、こういう時は大きなリアクションであやすんですよ。ほら、いないいないばーとか」 「えっと……熊田、頼むっ、手伝ってくれよ」  何でも颯爽とこなすスカッとカッコいい大樹さんだが、子育ては上手だとは言えなかった。  そして何故か俺は子育てに手慣れていた。  不思議なもんだな。  子供になんて縁はないし、結婚もしていないのに。  それでも大樹さんのみーくんへの愛情は溢れんばかりだが。  今まで正統派二枚目として生きて来たせいか、おどけるとか、ふざけるのがどうやら得意ではないだけで。  俳優のような端正なマスク、逞しい姿。  大樹さんは、今までさぞかしモテただろう。  さてと、こんな時は俺の出番だ。 「分かりました。俺があやしますよ」 「よかった! 今行くよ」  大樹さんがログハウスに入ろうとすると、みーくんがいよいよ大泣きしてしまった。 「ふえーん、ふえーん、ふえーん」 「み、瑞樹、どうした?」 「たぶんいつもと違う景色なのが怖いみたいですよ。こっちにはあまり来たことがなかったし、ママもいないから。そうだ、こういう時は見慣れた景色がいいのでは? 俺がそっちに行きますよ。外で遊びましょう」 「おぅ! 頼む」  俺は原っぱで、おおげさなジェスチャーでいないいないばあや、高い高い、飛行機などで、みーくんをたっぷりあやしてやった。 「きゃ、きゃ!」  みーくんは頬を薔薇色の染めて、泣き止んだ。  こうなればもう大丈夫だ。 「ほら、パパにも抱っこしてもらおうな」 「ん、ん」  可愛い天使のような優しい顔のみーくんに、花咲くような笑顔が生まれる。  俺と大樹さんは、その笑顔にメロメロだ。 「くしゅっ」 「みーくん? 寒いのか」 「熊田、大変だ! 瑞樹のスタイびしょびしょだ」 「確かに、いっぱい泣いて笑ったから、涎もたっぷりですね」 「澄子が替えを持たせてくれたから、取替えよう」 「その方がいいですね。これは洗っておきます」 「あぁ、頼む」  オレンジ色のスタイを外し、今度は黄色のスタイをつけた。  澄子さんのお手製のスタイは、みーくんのお気に入りで端をしゃぶったりして、もうどれもボロボロだった。 「このレモンイエローも、みーくんに似合いますね」 「だろ? 瑞樹もこの色がお気に入りのようで一番劣化が激しい」 「確かに!」 「熊田、世の中には色んな色がある」 「はい……」 「だから熊田ももうクヨクヨ悩むなよ」 「はい、大樹さん、すみません」 「心配すんな。お前はずっとここにいればいい。遠慮すんな。もっと俺たち家族に積極的に関わってくれ」 「はい!」    大樹さんは、たったひとりの肉親だった祖父を亡くし途方に暮れていた俺を探しに来てくれて、一緒に住もうと言ってくれた心の恩人だ。  ひとしきり遊んだ後、大樹さんは逞しい腕の中で眠ってしまったみーくんを宝物のように抱きしめて帰っていた。  みーくんは、小さな手に真っ赤に紅葉した葉っぱを握りしめていた。  まさに小さな秋だな。  ところが、その後濯物を取り込みながら大変なことに気付いた。  ここに干したはずの、みーくんのオレンジ色のスタイが見当たらない!  夕方、急に冷え込んで北風が吹いてきた。  もしかして木枯らしに攫われたのか。  必死に辺りを探すが見つからず、大樹さんと澄子さんに電話で謝った。 「なんだ、そんなことは気にしなくていい。瑞樹が元気で笑っている。熊田が傍にいてくれる。それ以上の幸せはない」 「熊田さん、きっとスタイは太陽の所に遊びにいったのよ。あのねもう七色揃っていなくてもいいの。それぞれの色がそれぞれの場所で輝き出せばいいのよ。それってなんだか瑞樹が成長していく証みたい。あのね、瑞樹、さっき一歩歩けたのよ。だからそろそろスタイも卒業よ」  二人ともそよ風のように優しく、俺を励ましてくれた。    冬を越して春になり、屋根裏部屋の換気をしようとよじ登って天窓を開けた時、棚の上にオレンジ色のスタイを発見して拍子抜けした。  風のいたずらか。  スタイが見つかったと大樹さんにすぐに話したが、もうみーくんはスタイは卒業したので、こっちで処分していいと……  捨てられないよ。  これは可愛いみーくんの成長の置き土産だ。  それでこの中に入れた。  今日の今日まですっかり忘れていたが……  古びたトランクを見つけ出し開けると、 「あった! あったぞ!」  心に焼き付けた思い出から飛び出してきた古いスタイが1枚。  もう色褪せていたが、確かにこれはあの時のオレンジ色のスタイだ。 「さっちゃん、あった! スタイが1枚だけ残っていたんだ」 「まぁ、どうして? すごいわ」  事情を話すと、さっちゃんは慈しむように抱き締めてくれた。 「これ、瑞樹が赤ちゃんの時にしていたのね、瑞樹の産みのお母さんの手作りだなんて貴重だわ。そうだわ、このスタイを型紙にして、私も作って見るわ」 「あぁ、そうだな。そうしてみよう。完成したら届けに行こう」 「瑞樹のスタイも届けに行きましょう。これは……あの子のお気に入りのくまちゃんにぴったりよ」 「はは、確かに」  もう少し秋が深まったら、また可愛い息子や孫の顔を見に行こう。  会いたいなら会いに行こう。  今しか出来ないことがある。  今だから出来ることがある。  深まる秋に心寄せて―― **** 「先生! 俺たちがうつります!」 「お? 二人揃っていいのか」 「はい! なっ、芽生」 「うん!」 「芽生、あのさ、ありがとうな」 「え? どうしてお礼を」 「うれしかった!」 「ボクもうれしかったよ!」  ボクたち、ニコって笑い合ったよ。  なんだか気持ちが近づいたみたいだよ。  運動会、今年はカボチャのダンスをするよ。  あのね、カボチャ組はオレンジ色のお洋服がいるんだって!  だから早速、お兄ちゃんがくれたの、活躍するよ。  お兄ちゃん、いつもありがとう。  僕ね、お兄ちゃんからもらったやさしさの種、ちゃんと育てているよ。  大事に育てているよ。  芽が出て来たよ。  スクスク大きくなるよ。
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