冬から春へ 39

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冬から春へ 39

 薄暗いBARのカウンターに、ミモザの花をダイナミックに生けていく。  僕のミモザに対する従来のイメージを裏切る世界を目指していた。  彼らの醸し出す雰囲気に心寄せて――    心を込めて――  お日様の光を集めたような元気で明るい印象のミモザの花色を、思い切って星空に置き換えてみた。  この花は……夜空の星として、暗黒の世界を照らそうと、この二人の心の中で咲いていたのでは?  きっと、この花が繋いだ命があったのだろう。  そんな気持ちを込めて、完成させた。 「蓮さん、完成しました。いかがでしょう?」  お客様に確認していただく瞬間は、いつも緊張する。    人の心は様々で、感じ方、捉え方も様々だから。  蓮さんは花をしばらくじっと見つめてから、呟いた。 「へぇ、意外だな」 「あの……お気に召さない部分がありましたら、すぐにやり直しますので遠慮無く仰って下さい」  気に入らない部分があったのだと察して、気を引き締めた。 「いや、違うよ。とてもいい。爽やかで透明感のある瑞樹くんに、こんな一面もあるのが意外だったのさ。このミモザは日溜まりに咲く花ではなく、暗闇の世界を灯しているように見える」 「ありがとうございます」 「瑞樹くん、君のことを俺はまだよく知らないが……君の花には力がある。リーダーシップのような強い力では無く、人を癒やす力だ。ミモザは兄さんと俺にとって大切な花なのを深く理解してくれてありがとう!」  艶めいた笑みを浮かべる蓮さんに突然ハグされると、ふわりと大河さんの匂いを感じてドキドキした。 「え、えっと……蓮さん」 「ははっ、初心だな。そんなに焦って。取って食いやしないさ」  そこにギィ……と重い扉が開く音がした。 「蓮、おれは少し焦ったぞ」 「ふっ……兄さん、これを見てくれよ」  上気した蓮さんの嬉しそうな顔に、役目を果せたことを実感出来、達成感を感じた。 「おぉ、これはまた素晴らしいな」 「瑞樹くん、君に頼んで良かったよ。今日は俺たちにとって大切な日なんだ」 「そうなんですね」  蓮さんと大河さんが肩を組むと、ちょうどそこにスポットライトがあたって、絵になる二人だと思った。 「あ、そうだ。瑞樹くん、君を呼びに来たんだった」 「え?」 「いや、よく考えたら上のお客様と君は面識があるんだよな。菫の再婚相手って、君の弟で当ってるか」 「そうです。あぁ、では桃ジュースって、菫さんと樹くんですか」  今日二人がテーラーに行くのは知っていたのに、花を生けることに集中してピンとこなかった。 「あぁ、そうだ、菫たちが上に来ている。ちょっと寄っていけるか」 「あ、はい、勤務中なので少しだけなら」  テーラーの扉を開けると、ちょこんとソファにいっくんが座っていた。  大切そうに桃ジュースのグラスを小さな手でしっかり持って、美味しそうに少しずつ飲んでいた。 「あ、みーくんだぁ」 「いっくん! やっぱりいっくんだったんだね。すいしゃんの桃おちりは美味しいかな?」 「えへへ、これ、おいちいでしゅよ。テーラーのりゅーくんのだいこうぶつ!」  いっくんと僕にしか分からない会話だと思い油断していると、ヌッと大河さんの顔が近づいてきた。 「なぁ、さっきからこの坊やが言う『スイシャン』ってどこ水産のことなんだ? それから……りゅーくんの大好物って?」  首を傾げて大河さんが聞いてくるので、『すいしゃん』は『北鎌倉の月影寺のご住職さまのことで、『りゅーくん』は副住職さまの『流さん』だと告げると、大河さんは目を見開いて驚いていた。 「え? 君たちって、まさか月影寺の流の知り合いだったのか。これは驚いたな」 「あ、はい。翠さんと流さんは僕の友人のお兄さんたちです」 「なんと、世間は狭いというか……人の縁ってすごいな。流はおれの大学の後輩で目にかけてきた奴だ。この店に兄弟でスーツを作りに来たこともあるぞ」 「そうだったのですか。驚きました。そんなご縁があったなんて」  あ、そうか。  これこそ翠さんが仰る、ご縁なんだ。 …… 「瑞樹くんは『一切法は因縁生なり』という言葉を知っている? 瑞樹くんと僕たちが出会ったのも因果生で、僕らの身に起こるすべての結果は因縁があって生じていると教えるのが仏教だよ。因と縁……両方のおかげで人は出会い、縁を繋いでいき、良い縁は良い結果を招くとも言うよ」 …… 「そうか、人と人はこうやって繋がっていくのか」 「はい。必要としているから出逢えたような気がします」 「俺たちはずっと二人きりだった。ずっと二人で生きていく覚悟は出来ていた。だがここに来て……君たちや流たちと交流を持てて、しみじみと嬉しいよ」 「僕もです……僕もそう思います!」  この二人もまた、翠さんと流さんと同じなのだろう。  だからこれは……  分かり合える、許し合える関係。  互いを尊重しあって、良い方向へ進めるご縁なんだ。 「今度は流たちも呼ぼう」 「俺のBARならいつでも使ってくれ」 「ぜひ宜しくお願いします。あ、僕、そろそろ次の仕事に行かないと」 「今日はありがとう」 「これからもどうぞ宜しくお願いします」  また一つのご縁が生まれた日。  潤。  聞こえるかい?  火事は辛かったが、何もかも失ったわけではない。  こんな風にまた一つご縁が生まれたのだから。  きっと失った分だけの良いご縁があるよ。  潤にも必ず。  だから悲観するな。  潤は良縁に恵まれている。  応援しているよ。  季節が動こうとしている。  今頃、軽井沢の潤にも連鎖反応が起こっているといいな。  何かきっといいことがある予感―― **** 「潤は住む家は見つかったのかい?」 「……それがまだなんです」 「そうか、どんな家に住みたいんだ? やっぱりマンションとかアパートかい?」 「いえ、一軒家です。古い家を手に入れて、少しずつ補修し、家族の城をじっくり築いていきたいです」  ばーちゃんは、まるでオレの祖母のようで、いつも放っておけなかった。オレには父もいなかったが既に祖父母もいなかったので、余計にそう思ったのかもしれないな。  だから聞かれれば、夢を語ってしまう。  ばあちゃんはいつものように、ふんふんと頷いて聞いてくれる。  ばーちゃんには、オレがここにやってきて間もない頃、いっくんのお空のパパについて一度だけ聞いてしまった。  あの時、ばーちゃんはオレの背中を叩いて断言してくれた。 …… 「すみれちゃんの亡くなったご主人のことは確かに知っているよ。だけど、それは今、私から話すことじゃない。あんたにはあんたの良さがある。まずはそれを大切にしないと、ぶれたら終わりだ。あんたはもっともっとかっこ良くなれるさ! がんばれ!」 ……  バンバンと背中を叩かれて、吹っ切れた。  菫から話してくれるまで、待とうと誓った。 「潤、聞いているかい?」 「え? すみません。 今、なんて」 「実は私がアパートに引っ越す前に住んでいた一軒家があってな、そのまま残してあるんだ。そこはどうだい?」 「まぁ、お母さんいいアイデアね。もうあそこはいい加減に処分しないと」  ばーちゃんの申し出に、娘さんも賛同している。 「え?」 「軽井沢駅からもそう遠くないし古い家だが手を入れればまだまだ使えそうだ。潤は命の恩人だ。どうか使ってくれないか」 「え?」 「私が一人で住むには寂しくて空き家になっているんだ。だから好きにしていいよ」 「えええ!」  展開についていけず、ぼうっとしていると、ばーちゃんに笑われた。 「どうだ? 今から見に行くか」 「あ……じゃあ今、北海道から両親が来ているので一緒に見てもいいですか」 「もちろんだよ」  こんな展開になるなんて――  驚きだ!  兄さんの声が風に乗って聞こえてきた。 …… 潤は良縁に恵まれている。 きっと良いことがあるよ。 そんな予感で包まれているよ。 ……
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