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花の行先 3-1
不可解な電話だった。
瑞樹の声は明るく振る舞っていたが、違和感を感じた。
何かあったのか。
「パパぁ。おにいちゃん……おそいね。だいじょうぶかな」
「あぁ……実は急に仕事が入ったらしい。帰りは……」
帰りはいつになるのか。さっきの電話では瑞樹は濁していた。
トラブルだから仕方がないのか。そんなに先が見えない大きなトラブルなのだろうか、どこまでも心配になる。
「うーん帰りは夜になるみたいだ。遅くなるようだったら、また迎えにいこうな」
「えー夜? おたんじょうびかいは?」
「そうだな……夜にしようか。ケーキはあとでパパと買いに行こう」
「……うん、わかったぁ」
芽生は少しつまらなそうに、ほっぺたを膨らませた。
無理もない。さっきまでもうすぐ始まる誕生日会を、ワクワクと楽しみにしていたのだから。
張り切って準備していたのに、俺も気が抜けてしまった。
すると玄関のインターホンが鳴った。
「あっ……おにいちゃんかも!」
瑞樹だったら鍵を持っているから、インターホンは鳴らさない。
嫌な予感がする──休日のこんな時間に来客なんて、もしかして。
「パパが出るよ」
「うん! おにーちゃん、もうおしごと、おわったのかも。やったね!」
モニターに映ったのは……元妻の玲子だった。
「……玲子?」
「お久しぶり」
「ちょっと待ってろ」
慌てて玄関に向かう。
「パパ……だれぇ?」
「……ママだよ」
「えっママ!」
芽生は眼の色を変える。まぁ無理もないだろう。秋からもう半年以上母親に会っていないのだから。そのせいもあり、玄関を開けると芽生が玲子に飛びついた。
「ママーっ」
「芽生! わっ、ケーキが横になるわ。宗吾さんこれ持って」
「あっあぁ、どうした。急に……」
「まぁ失礼ね。息子の誕生日を忘れるとでも」
「いや……だが去年は来なかったから」
「秋以降……考えを改めたのよ。ねぇあがってもいい?」
「あぁ」
玲子と暮した家なのだ。ここは……
彼女が玄関で靴を脱ぐ姿を見て、昔の記憶が過ぎってしまった。
「あら? ここ、なんか雰囲気変わった?」
「あぁその……」
瑞樹のことを早く話そう、同棲していることを言おう。彼女は勝手知ったる様子でキッチンを覗き込んだ。
「やだ、宗吾さんがハンバーグ作ってるの? すごいじゃない。あっそのケーキ冷蔵庫に入れておいてね」
「……分かった」
だが、すぐに玲子のペースにのまれてしまう。
「ママ? もしかしてボクのおたんじょうびのケーキかってきてくれたの?」
「そうよ。芽生の好きなショートケーキよ」
「わぁ……まあるいの?」
「ホールで大きなイチゴがたっくさん乗ってるのよ」
「やったー」
今の芽生は久しぶりに母親と会えたことでテンションがあがっている。
瑞樹の存在を忘れたかのように見えるのも、無理ない。まだやっと6歳になったばかりの、母が恋しい幼い子供なのだ。
だが……俺の心中は穏やかではない。
今この場に瑞樹がいたら……いたたまれなかっただろう。そう思うと彼が仕事でいないのは、よかったと言えるのか。それとも……胸の奥がモヤモヤとしている。
「宗吾さんったら、イクメンじゃないのよ。一体どうしちゃったの? 」
「お前が出て行ってから努力しているよ」
「ふぅん、最初からこうだっらよかったのに……」
「なに言ってんだ?……俺達の間には、もっと根本的な問題があるだろう」
「あぁ、そうよね。あっそういえば」
「どうかしたか」
「いえ、何でもないわ」
あとで瑞樹にもう一度電話して確かめよう。
まさか玲子と会ったのでは? それで帰ってこないのでは……どうにも、心配で……彼のことが心配でたまらない。彼の心を苦しめたくない。俺のことで──
「ねぇ、私も一緒にランチしてもいいでしょう」
「わぁ~ママ、今日はいっしょにいられるの?」
「いいかな? 芽生」
「もちろんだよ。パパ、いいよね?」
「……そうだな。ひさしぶりだし。芽生もママと話したい事がいろいろあるだろう」
「わーい、母の日の絵、ママの顔を見てかきたかったんだ」
「えーうれしいな」
玲子はどんどん優しい母の顔になっていく。
こういう時、俺の立ち位置は……
一体、どんな風に立ち回ればいいのか、難しい。
「宗吾さん、私も何か手伝おうか」
「いや、今日は俺が作るから、芽生と沢山遊んでやってくれ」
「分かったわ」
ハンバーグを捏ねながら……
リビングで玲子の膝に乗る芽生の様子を見て……胸の奥がズキっとした。
この光景はなんだろう?
離婚前の……芽生が三歳の頃の休日と似ている。
早く瑞樹のことを言わないと。
だが母と子の久しぶりの甘い時間に水を差すことにならないかと、躊躇してしまった。俺はこんな小さな男だったか。
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