紫陽花の咲く道 5-2

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紫陽花の咲く道 5-2

 信号が青に変わった瞬間、罪悪感は吹き飛んだ。  You can go now. It's green.  青は……進めの合図だ。  気を取り直して、僕は一歩また一歩と横断歩道を歩き出す。  その時になって真正面から宗吾さんが黒い傘をさして歩いてくるのが見えた。  もしかして……今の僕をずっと見ていた?  宗吾さんも仕事に向かうらしく、カメラ機材を担いだ人と肩を並べていた。 「瑞樹、ガンバレ!」 「宗吾さんも頑張って下さい」  ほんの一瞬だけ交わせた言葉に、元気をもらった。  仮に見られていたとしても、宗吾さんにやましいことはない。 「瑞樹、赤信号になるぞ。急げ!」  そのまま通り過ぎて行くと思ったら、宗吾さんが僕を追いかけてきた。   「えっ……でも宗吾さんはあちらに行くのでは」 「まだ時間がある。瑞樹は?」 「僕は納期の時間が迫っていて……銀座の遠藤美容室へ納品に」 「じゃあ歩きながら話そうか」 「はい」  思いがけず宗吾さんと雨の銀座を歩くことになって、ドキドキした。  傘に跳ねる雫のように、僕の心も跳ねていく。  四丁目の交差点に差し掛かった時、宗吾さんが突然足を止めた。  そこは有名な老舗宝飾店の前だった。  大きなショーウインドウには虹色の傘をモチーフにしたオブジェが輝いていた。 「瑞樹、今度ここに入ろう」 「え……?」  驚いて見上げると、彼は照れ臭そうに笑っていた。 「つまりさ、君のここに指輪を贈っても?」  そっと指差されたのは、ブーケも持つ手に隠していた左手薬指。 「宗吾さん……」  まるでさっきの会話が聞こえていたようで、猛烈に恥ずかしくなってしまう。 「さっきの……聴こえていたのでは、ないですよね」 「お! やっぱりさっき『結婚している』と言ってくれたのか」 「あっ……」 「瑞樹、嬉しいよ」 「もうっ、今は仕事中です!」  透明の傘で良かった。  僕から宗吾さんが良く見える!  彼が嬉しそうに笑えば、僕も嬉しくなる。 「正確には……『もうすぐ結婚する』……です。思わず勝手に……そう答えてしまいました」 「うぉ……瑞樹……俺、今、最高にしあわせだ」  あの日……シロツメグサの咲く野原で受け取った、宗吾さんからの愛の言葉を思い出した。   『今日は青空だが、明日の天気は分からない。雨かもしれないし曇りかもしれない』 『そうですね』 『どんな天気でも俺たちは寄り添って、いい時も悪い時も、互いが互いの傘となり過ごしていこう』 『はい!』  あの日は涙で滲んで、視界が水彩画のようだった。  今日は雨で滲んで、透明感があって美しい。 「瑞樹……君に指輪を贈ってもいいかい?」 「……あっ喜んで」  僕の返事は、あの日のように  風が吹くように、花が咲くように決まっていた。    
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