紫陽花の咲く道 7-2

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紫陽花の咲く道 7-2

 銀座四丁目の裏通りにある『The BAR 月虹』  小さなビルの7階にある、小さな店。ここは最近僕のアレンジメントを指名してくれるので、すっかり顔馴染みになっていた。 「瑞樹くん~いらっしゃい。待っていたわよ」 「お待たせしました。今日のアレンジメントです」 「まぁ素敵よ。今回も季節感あっていいわね」 「ありがとうございます。ここで最終的な調整をさせて下さい」  今日は淡い紫色の紫陽花にクレマチスを合わせたクールモダンテイストにしてみた。花器には、瑠璃色(藍青色)の硝子を選び、神秘的な内装のBarに沿うよう幻想的な雰囲気に仕上げようと思う。  紫陽花を手に、鋏を軽やかに動かしていく。  梅雨は何となく人の心をモヤモヤとさせてしまうが、僕は割と好きだ。  梅雨を象徴する紫陽花は、雨が似合う美しい花だし、しとしとと降る雨にはどこか心地よいリズムを感じ、不思議と心が落ち着いてくる。そんなヒーリング的な僕なりの想いも花に込めてみた。 「いいわねぇ……瑞樹くんが生み出す世界って、何だか妙に落ち着くのよね。今日のアレンジメントも、雨だれのような音楽が聴こえてくるわ」  バーのママさんは、うっとりした面持ちになっていた。 「ありがとうございます。これからも頑張ります。これで完成です」 「あら、今日はもう上がりなの?」 「はい」  僕が帰り支度をしている事に、気がついたらしい。 「じゃあカクテルをご馳走してあげるわ」 「えっ、でも」 「いつも断ってばかりじゃ、疲れるわよ」 「うっ……では一杯だけ。あまり遅くなれないので」 「分かっているわ。大事な彼女さんがお家で待っているのでしょう」 「……」  出勤したバーテンダーさんが、仕事前の腕試しも兼ねてカクテルを一杯作って、差し出してくれた。 「『ブルームーン』です」 「淡い紫色が紫陽花のようですね。あ、スミレの花の甘い香りがします」 「ジンとバイオレットリキュール、フレッシュレモンジュースを使った紫陽花色のカクテルですよ。フランスのバイオレットリキュールを使用しているのですが、これはフランス語では『完全なる愛』という意味なんです。でも、『ブルームーン』というカクテル名には『できない相談』という意味があるので、あなたに言い寄って来るしつこい誘いを断る時にでも、お使いください」  カクテルを、むせそうになってしまった。 「はぁ?」 「はははっ、あなたは男女問わずモテそうなので、つい」 「えっいや……そんな」 「その通りだわ。瑞樹くんは老若男女にモテそうよね」 「そっそうでしょうか」 「特に男性には要注意よ! なんだか瑞樹くんみたいな人って、同性からも言い寄られそうね」 「はぁ……」  まさかその男性と付き合っているとは言えなくて……愛想笑いをするしかなかった。 ****  たった一杯のカクテルでも、僕には十分効果があった。  普段ならひとりで銀座の街をぶらぶらと……あてもなく歩かない。  函館や大沼という地方で育った僕は、大都会の喧騒に気後れしてしまうのだ。 いつもなら人混みが苦手で、さっさと駅まで突っ切ってしまうのに、今日の僕は少しだけ大胆になっていた。  珍しく職場に戻らず直帰できるのが後押ししているのか、とても気分がいい。 「あっ、ここって……」  路地裏から大通りに出ると、ちょうど交差点に、先日宗吾さんと立ち止まった老舗宝飾店が見えた。  ここで……あの日、指輪の話になったのだ。  宗吾さんが僕に指輪を贈りたいと言ってくれた場所だ。  僕たちは男同士だから……  宗吾さんが僕に贈ってくれるのなら、僕からも宗吾さんに贈りたい。  これって変なのかな。 (僕も……宗吾さんに贈っていいですか)  あの時言えなかった言葉は、やっぱりちゃんと伝えようかな。  自然に、息を吐くように……自然に言えばいい。    それにしても……こんな高級店で扱う指輪って、一体いくら位するのか。  値段の事が気になる……少しだけ下調べしてみようかな。  結婚指輪なんて縁がないと思っていたので、どんな種類があるのか見当もつかないよ。  よしっ! 思い切って入ってみよう。  僕に勇気を──  酒の力を借りて、クラシカルな店舗の重厚な扉を、力を込めて押してみた。  
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