紫陽花の咲く道 9-1

1/1
前へ
/1917ページ
次へ

紫陽花の咲く道 9-1

「そっ宗吾さん、何でっ――」  座っていた椅子から転げ落ちる程、驚いてしまった。 「おいっ瑞樹、落ち着けって」 「で、ですがっ……っ」  突然現れた宗吾さんの姿に、呆気に取られてしまった。  心臓が止まるとかと思った。    宗吾さんは、本当に神出鬼没だ。 「あの、お客様のお連れ様でいらっしゃいますか」  女性店員ににっこり微笑みながら聞かれたが、僕はどう答えたらいいのか分からなくて、宗吾さんを縋るような眼で見上げてしまった。  一方、宗吾さんは、どこまでも堂々としていた。 「えぇ俺は彼のパートナーです。隣に座っても?」 「もちろんでございます」  あっ……今……僕のことを『パートナー』と言ってくれた?  なんだか公の場で、そんな風に紹介されるのは初めてで、驚いたし不安にもなったが……心の奥底では、とても嬉しかった。 「お客様、もう一度、パンフレットをご覧になりますか」 「いや、さっき彼が希望した指輪を見せてくれ」 「畏まりました」  動揺したせいで膝の上に置いた手が小刻みに震え出してしまった。  隣に座った宗吾さんがすぐに察知してくれ、僕の手を机の下でそっと握ってくれた。彼の手が重なると、その温もりに一気に心が落ち着いた。 「瑞樹……震えなくていい。この店は一流だ。この意味、分かるだろう」 「は、はい」  確かに、ここは銀座の一流店だ。店員さんも皆、一流の教育を受けている。  つまり男同士で結婚指輪を買いに来たからといって、異端児のように見られることはない。現に僕の担当の女性も、何一つ態度を変えず、顔色も変えずに接客してくれている。  有難いな。  僕たちの左手薬指のサイズを測って、指輪を目の前に並べてくれた。 「へぇ……現物は更にいいな。瑞樹、これでいいか」 「はい。あの……宗吾さんはどうして、このデザインが気に入ったのですか」 「あぁ、小指に向かって流れるカーブが美しいよな。まるで流れる水のように潤いのあるデザインが気に入った。俺たちらしいと思ったのさ」  驚いた! まるで僕の心の内側が見えているような言葉だ。  目を丸くしていると、宗吾さんが快活に笑った。 「また以心伝心だったか」 「はい」  照れくさいが、二人で試しに左手の薬指に付けてみた。  ここが個別ブースで本当に良かった。  「お客様、サイズは大丈夫でしょうか。フィット感はいかがですか」  水の流れのような曲線デザインが、指に馴染んで付け心地もよかった。 「しっくりしますね」   「あぁフィット感がいいな。もし何かに流されそうになっても、俺たちはこの指輪同士で繋がっているからお互いの元に戻って来られるという印象を受けるな。それに水をイメージさせる流動的なデザインもいい……俺にとっての潤いは瑞樹自身だ、君のイメージと合っているよ」  これも以心伝心だ。  でも猛烈に面映ゆい……! 「そっ宗吾さん、もうそれ以上は今、ここでは言わないで下さい……すごく恥ずかしいくなります」  ここはまだ店の中で、目の前に女性店員さんが座っている事を忘れてしまったように、宗吾さんが愛を熱心に語り出すから焦ってしまった。  チラッと様子を伺うと、目の前に座る女性の店員の頬まで、赤く染まっていた。 「なっなんだか小説のワンシーンのようで、ドラマチックでうっとりしちゃいました。このお店をモデルに書かれたシーンがあって。あっすみません。余計なことを」 「ふぅん、それって、例の流行りの小説?」 「そっ宗吾さん!」  耳まで赤くして俯いてしまった店員さんが、気の毒だ。 「すまなかった。でも、そんな風に言ってもらえて嬉しいよ。瑞樹この続きはロマンチックな場所で多いに語ってやるからな。そうだな……北鎌倉がいいな」 「はっ、はい……」
/1917ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8000人が本棚に入れています
本棚に追加