紫陽花の咲く道 10-1

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紫陽花の咲く道 10-1

 季節は6月中旬。  土日を利用して、俺たちは北鎌倉へ行く。  先月偶然丈さんと洋くんに逢ってから楽しみにしていた一泊旅行が、いよいよ始まる。 「瑞樹、準備出来たか」」 「はい!」 「アレもちゃんと鞄に入れたな?」 「……あっ、はい」  アレとは、あの日一緒に購入した結婚指輪のことだ。  瑞樹が、はにかんだ表情を浮かべる。  君のその淡い表情が好きだ。頬も淡く色づいて本当に綺麗だ。  見ているだけで……胸の奥が少年のように疼くんだよな。毎度毎度繰り返されるこの気持ちには、感動すら覚えるよ。    何度抱いても初々しさを損なわないのが、君の魅力だ。  瑞樹との恋……同棲生活はまだ二カ月足らずだが素晴らしいものだった。  毎朝汲み立ての新鮮な水を飲むような心地で、1日が始まる。水は一ヵ所に止まらず……さらさらと淀みなく流れていく。  そんな清流の飛沫を浴びた瑞々しい若葉が、俺が抱く瑞樹の印象だ。  そんな君へとの指輪の交換場所として、月影寺は最高だろう。  彼との関係……今流行の言い方では『俺の生涯のパートナー』と呼ぶがふさわしいのか。法的に認められていない関係で、戸籍上も何も繋がっていない。結局はただの同居人という扱いだが、俺たちの間では、この指輪は間違いなく結婚指輪だ。  瑞樹自身もこっそり下見に行ってしまう程、待ち望んでくれているものだ。だから彼の心が落ち着く場所で、思い出に残る時と共に贈りたい。  俺の脳裏には、北鎌倉の月影寺の美しい庭で、君に指輪を贈るシーンが浮かぶよ。ロマンチックな事ばかり考えて照れくさいが、瑞樹が喜ぶ顔が見たくて堪らない。  彼の事を思うだけでも、俺の日常は色づき色鮮やかになっていく。    こういう気分になれるのって、ありきたりだが、今の俺が幸せだからだ。  電車の車窓から移り行く景色を、瑞樹を想いながら眺めていた。  高いビル群の並ぶ都会の風景に、緑色が増え、徐々に開放的になっていく。横浜駅を通過すると一駅一駅ごとに自然豊かな風景が、窓を占める割合が増える。   「パパ、どうしたの? 今日は静かだね」 「あぁ……幸せに浸っていた」 「宗吾さん……?」  ボックスシートの向かいでは、瑞樹が芽生の相手をし楽しそうに喋っていた。俺はふたりの仲睦まじい様子を、ゆったりした気分で眺めた。 「瑞樹、月影寺に行くのは、いつぶりだろう」 「あ……あの時はいろいろありましたね。でもハロウィン楽しかったです!ぷっあの時の宗吾さんってば、ナース姿やっぱり見たかったです」 「おいっ、あれはもう忘れろ!」 「くすっ」  確かにあの時は大変だった。七五三の写真を撮ってからお参りに行ったのだが、その後とんでもないハプニングが起きた。瑞樹と芽生が階段から転げ落ちてしまい、瑞樹は丈さんの病院に運ばれて……大事を取って月影寺に一泊させてもらった。そこに瑞樹の前の彼氏のお父さんの訃報を聞いて、瑞樹が凹んだりと……  こっちはもう心臓がいくつあっても足りない気分だったぞ。  でも……今はそんな悲しい思い出はいらないな。  こうやってコトコト電車に家族で揺られながら、北鎌倉に向かう。  鞄の中でも、コトコトと指輪の箱が揺れている。  幸せを呼ぶ鈴みたいだ!
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