紫陽花の咲く道 24-2

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紫陽花の咲く道 24-2

****  朝食を食べ終わると、翠さんに呼ばれた。 「宗吾さん、瑞樹くん少しいいかな」  案内されたのは、翠さんの住まいの衣裳部屋だった。  6畳ほどの和室に桐箪笥がずらりと並んでおり圧巻だ。 「ごめんね。実は今日、宗吾さんと瑞樹くんに着て欲しいものがあって」 「何でしょう?」 「これなんだけど、どうかな」  翠さんが箪笥から取り出し広げて見せてくれたのは、黒い紋付き羽織袴と白い男物の着物だった。白い着物には、凛とした佇まいの繊細な白き花が重なるように描かれていて、目を奪われた。 「わぁ……すごいですね」 「うん、実はこれは洋くんに縁のあるものだが、ぜひ君たちに今日着て欲しい」  着物に絵付けされた白い花を、指でそっと辿ってみた。 「あ、この花って、もしかしたら」 「知ってる?」 「はい、夜空に輝く星のように凛とした六枚の乳白色の花弁を持つ『オーニソガラム』ですね」 「流石、フラワーアーティストさんだ。そうだよ。これは実は……丈と洋が結婚式で着た着物なんだ」 「えっ」  驚いた。そんな大切なものを僕たちに貸してくれるなんて。  一体何故、急に……? 「君たちが今日、指輪の交換をすると聞いてね」 「あっはい……その予定ですが」 「僕たちも見守ってもいいかな」 「え、もちろんです。でも、そんな……」 「見守りたいんだ。皆で君たちの門出を祝福したい」    こんな展開が待っているとは思わなくて、涙がはらりと零れてしまった。  本当に僕は泣き虫になった。 「あぁ泣かないで。今日は晴れの日だよ」 「はい……でも嬉しくて」 「瑞樹、良かったな」 「宗吾さんっ、僕……どうしよう!」  僕と宗吾さんは男同士だから、法律上の結婚なんて出来ない。  でもそれでも、お互いに指輪だけでも交換しておきたかった。  そんな小さな望みだったのに……  まさか、この寺の人たちに見守ってもらえるなんて。  急に指輪の交換が儀式めいて来て、ドキドキしてしまうよ! 「さぁ着付けてあげる。流、頼むよ」 「もちろんさ!」  流さんが僕に長襦袢を羽織らせ手早く着付けてくれ、翠さんがそんな僕のことを優しく見守ってくれていた。  嬉しいのに少し不安だ。 「あの、実は住職の翠さんに聞きたかった事があって」 「何かな? 何でも聞いて。僕でよければ」  袈裟姿の翠さんが、泥水に咲く蓮の花のように、たおやかに微笑んでくれた。 「あの、僕は実は……ふとした拍子に、いつも過去の事を悔やんでしまうのです。もうそんな不安は必要ない、もう大丈夫だと分かっているのに、これってどうしたらいいのでしょうか。未来に希望を抱くのも、なんだか心許なくて……幸せ過ぎる事に相変わらず臆病になってしまうのです」  翠さんは僕の話にじっと耳を傾けてくれた。  悟りを開いたかのような卓越した表情を浮かべている。 「瑞樹くん……それはね、君が今日という日を踏みしめてゆけば、心も穏やかになると思うよ。過ぎ去った日のことは悔いず、まだ来ぬ未来に憧れすぎずに、今日という日をひたすらに生きることが一番大切なんだよ」 「はい……」 「そうだ『日日是好日(にちにちこれこうにち)』と言う言葉を知っているかな」 「あ……なんとなく」 「これはね、単に毎日が穏やかでいい日という意味ではなくて、日々の一喜一憂にとらわれ過ぎず、その日その日をひたすらに生きることが出来たら、それがいい日になるという意味だよ。理解できるかな」 「はい……」 「過去にも未来にも怯え過ぎず、今を清々しく生きる。君にならきっと出来るよ。それが君の未来の幸せに繋がっていくよ」  翠さんの言葉は、どこまでも厳かで優しかった。 「そうだぞ。瑞樹、今日という日を、俺たちはしっかり過ごせばいい。素直に受けとめよう。この状況を」  いつの間にか宗吾さんも黒い紋付き羽織袴姿になっていた。  うわっ……どうしよう。カッコいい……!  胸の奥が、ときめいてしまった。 「しかしお二人さん、案外和装も似合うな」 「そうでしょうか」 「今日は和装だからブーケはいらないな。その代わりこれを」  流さんが見せてくれたのは、紫陽花のコサージュだった。 「これ、君たちをイメージして、俺が今朝作ってみたんだ」 「すごく、すごく綺麗です!」  紫陽花のがくを加工したものだが、まるで四つ葉のクローバーのように見えた。それを僕と宗吾さんの着物の帯留めの上に、つけてくれた。 「よく似合っているよ。幸運を呼びそうだ」 「ありがとうございます」 「さぁ案内するよ。とっておきの場所がある」 「はい!」  案内されたのは、寺の中庭の奥の茶室だった。  近くに滝があるようで清々しい水音が響き、竹林が風にそよぎ清涼な雰囲気に包まれていた。  茶室へは白い石畳の道が、真っすぐに伸びていた。  道の脇には、真っ白な紫陽花が咲いている。  まるでこの紫陽花の咲く道の名は……! 補足 (不要な方はスルー) **** 紫陽花のコサージュでは読者さまであり、一次創作作家さんが 宗吾さんと瑞樹をイメージして作ってくれたものです。 あまりに素敵だったので、物語の中で使わせていただきました。 ありがとうございます。  画像提供(つつじ様)
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