幸せな復讐 26

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幸せな復讐 26

 彼が調節してくれた湯加減が心地良く、つい長風呂をしてしまった。  ふと見ると、隣で芽生が茹で蛸のようになっていた。 「わ、悪い! 芽生、もうあがろう」 「うん!」 「よく我慢したな」 「ボク『まごころ』を味わっていたんだ」 「おお? 芽生、あんまり大人びたことばかり言うなよ~ゆっくりでいいんだぞ」  思わず芽生を抱きしめてしまった。 「えへへ。パパー、じゃあだっこして」  裸ん坊の芽生は、まだ体つきが赤ちゃんっぽくて、可愛かった。 「よーし。ほら、高い高い」  芽生の脇を掴んでグイッと腕力で持ち上げてやると、芽生は水平に手を広げ飛行機の真似をした。 「わーい、久しぶりだね! やったー! ブーン! ブーン!」  子供らしい無邪気な笑顔が弾けた。  子供は子供らしくが、一番だ。    芽生は大人の中にいることが多い。  だが5月には、兄さんのところに赤ちゃんが生まれる。従兄弟か従姉妹かまだ聞いていないが、とても親しい所に誕生する小さな命は、芽生にとって良い刺激になるだろう。  そのまま脱衣場に直行した。  瑞樹が普段していることを想い出し、まず芽生に浄水器の冷水を飲ませた。 「あぁ、おいしい。お水って、ほんとうにおいしいね」 「そうだな。毎日欠かせないものだ」 「うん! そろそろお兄ちゃんのところに戻ろう。お兄ちゃんはね、さみしがりやさんだから、ボクたちがついていないとね!」 「くぅ……お前って……」 (本当によく気が付いていい子だなぁ。あぁこれは将来かなりモテそうだ。パパは心配だ) 「パパ、早く! 早く!」  芽生に手を引かれて外に出ると、雄大な景色が視界に飛び込んで来た。  丘を登って来た時は振り返らなかったので、見えなかった世界だ。 「いい景色だな」 「うん! 空気がおいしいね」 「あぁ、深呼吸しよう」 「すー、はー」    ここは由布岳の麓に広がる温泉郷で、別府の賑わいとは一味違う落ち着きを保った里だ。 昔と今がうまく調和した、穏やか土地。湯量も豊富で、夏は高原性の気候で涼しく、九州の軽井沢と称される程だ。本当にいい場所にいるんだと、しみじみと感じた。 「パパ、耳をすまして。きれいな声の鳥さんがないてるよ」  季節は春……鶯だな。 「パパ、お山がきれい。お兄ちゃんにも見せたいな」 「そうだな。ここに連れて来よう」  ふたりで手を繋いで歩き出すと、遙か前方に人影が見えた。 「あ……お兄ちゃんだ!」 「しっ-」  瑞樹と、さっきの彼だった。  向き合って、何か話している。  そうか、やっと二人で話す気になったのか。  俺はさ、白黒ハッキリさせたい性分だから、やっぱりここまで来たからには、最後は当事者同士で話し合った方がいいのではと思っていたのだ。  瑞樹の気持ちが1mmも揺らいでいないのを、昨夜充分教えてもらったから、落ち着いて、見守れた。  今だからだ。瑞樹の大学の寮が壊される時、そして彼と住んでいたマンションの解約の時と、別れた後、瑞樹は二度……彼とすれ違った。 『瑞樹の過去も含めて、君が好きだ』   あの時告げた気持ちは、もちろん今も変わらない。  だからこそ、もう……ここで、しっかり言葉で『さよなら』をして欲しい。  瑞樹に向かって、彼が手を差し出した。  いよいよだ。俺は見届けるぞ、君の卒業式を。  グッと顎を引いて覚悟を決めた。  彼らが交わしたのは、最後のキスでも……最後の抱擁でもなく、紳士的な握手だった。    掌を合わせて互いの手の甲を握り込み、さらにそれを上下に揺さぶった。  それから、彼の方から手を離し、胸の前で『バイバイ』と手を振った。  瑞樹も同じ仕草で小さく『バイバイ』と。  参ったな……俺は知らない。  こんなにも爽やかで明るい、互いの幸せを願う別れ方があるなんて――  俺が生きてきた過去には、なかった。  瑞樹……君にとっての7年間がどんなものだったのか、その一連のやりとりで充分過ぎるほど伝わって来た。  彼は、7年にも渡り……彼なりに瑞樹を大切に愛しんでくれた。  実りきらなかった果実だったかもしれない。  それでも7年間……ふたりで花を育て、花を咲かせたのだ。    俺は……静かにそれを受け入れよう。  寛容でありたい。  俺だって同じで、過去がある。  瑞樹は俺の過去を穏やかに受け入れて、芽生を我が子のように、弟のように、心から愛してくれている。  カッとなりやすかった俺は、瑞樹と過ごすことによって、花が開く時間のような繊細な感情を知った。  先ほど、露天風呂で彼から引き継いだ想い。  瑞樹を幸せにしてやりたい。  瑞樹だけでなく、芽生と俺も幸せになりたい。  三人で生み出す日常から、幸せを紡いでいこう。 「あ……パパ、お話し終わったみたいだよ。もう呼んでもいい?」 「あぁ、大きな声で呼んでやれ」 「うん」  芽生が口に手を添えて叫んだ。 「お兄ちゃーん、こっち、こっち!」  いい掛け声だ。  俺も負けていられない。 「瑞樹! 来い!」  瑞樹は俺たちの方を見て、軽やかに走り出した。  その背中には……まるで羽が生えているようだった。  守られているよ。  君は天国のご両親からも、弟の夏樹くんからも……  この世で、幸せに生きていく羽をもらっている。  朝日が俺たちを照らす。  光の輪が誕生する。  そこに瑞樹が飛び込んできた!  
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