その後の三人『家へ帰ろう』5

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その後の三人『家へ帰ろう』5

「はい、若木旅館です」 「あの、すみません。本日チェックアウトしたものですが」  この声……! 「はい、お泊まりありがとうございました」 「実は、そちらに忘れ物をしたようで」  俺は努めて……淡々と応対した。 「お客様のお名前と内容を教えていただけますか」 「あぁ、菖蒲の部屋に泊まったものですが」  やはり! 彼は……瑞樹の相手だ。 「実は息子が羊のぬいぐるみを忘れたようで、たぶん送迎バスの中に」  今日の忘れ物はタグをつけて保管しているので確認済だが、羊のぬいぐるみはなかった。 「……申し訳ございません。あいにくぬいぐるみは本日届いていないようですが」 「そうですか、うーむ参ったな、あの子が幼い頃から一緒に眠っているのに」 「それは大変ですね。もう一度バスを見て来ます」 「有り難い! ただ……飛行機の時間が迫っていて、あと10分ほどしか」 「分かりました。折り返しこの番号にかけます!」  絶対に見つけてあげたいと思った。  だから記憶を必死に辿った。  あの坊やが手に持っていたぬいぐるみは、見た気がする。  あぁ……そうだ、朝食会場に連れて来ていたな、少し黒ずんだモコモコの毛の羊だ。 「ごめん、忘れ物を探してくるよ」 「え! もう外は暗いのに?」 「急ぐんだ」 「でも今日はもう届けられないでしょう?」 「分かっているさ! でもあるかないかだけでも教えてあげたくて」 「そうね! あ、懐中電灯持って行って。バスの座席の下とか盲点かも」 「ありがとう」  送迎のバスの鍵を持って、夜道を駐車場までひた走った。  見つけてやりたい。    置き去りしてしまった瑞樹のように、ぬいぐるみにだって……寂しい思いはもうさせたくないからな。  それにしても、春の夜はいい。  月がほわんと明るくて……菜の花畑を照らしている。  希望が散らばっている。  確か夜便だと言っていたな。  時計をちらりと確認すると、飛行機の出発時刻が迫っていた。 「ハァ、ハァ」  息を切らしてバスの中に入り、床を這いつくばって探すが見つからない。  懐中電灯で隈なく探したが、なかった。 「違う場所かも」  諦めきれずに、バス停付近を探すがない。 「駄目か」  時計の針は、あと3分。  その時、宿の本館に繋がる小道に白いものを見つけた。 「あ!」  慌てて駆け寄ると、それは薄汚れた羊のぬいぐるみだった。    運転手が見つけて忘れ物ボックスに入れる前に落ちてしまったのか……真相はわからないが、とにかく良かった。 「……お前だって、置いてきぼりはイヤだよな。分かるよ」  泥まみれになってしまった羊の目が寂しそうに濡れているようで……切なくなった。  おっと! こうしている場合では……早く電話しないと。 「若木旅館ですが、ありました! 気付かずに大変申し訳ありませんでした」 「よかった! 探してくれてありがとう! それを聞けて安心したよ」 「はい。もう飛行機の時間ですよね。明日お送りします。登録のご住所で宜しいですか」 「あぁ……あの住所だ。あそこは瑞樹と俺たち家族が暮らしている家なんだ」 「そうなんですね。もう……寂しくないですね」  つい余計なことを言ってしまった。 「あ、あの……芽生くんに伝えて下さい。道端に転がっていたので泥まみれになっていたので温泉にいれて最高のおもてなしして、お届けしますと」 「ありがとう! それを聞いたら喜ぶよ。はは、君はいい奴だな」 「今晩は俺の息子と寝るので寂しくないと」 「ありがとう! 更に安心するよ」 「いえ、お役に立てて嬉しいです」 「着払いでいいので送って下さい」 「いえ、降車時にすぐに気付いていれば……こちらの責任ですので」 「申し訳ない」 「いえ!」  気持ちのいい電話だった。  お互い、幼い子供がいる父親なのだと感じた。 ****  宗吾さんと一馬が話している会話にじっと耳を傾けた。  どうやら見つかったようだ!  膝に抱っこしていた芽生くんにも、じんわりと笑顔を戻ってくる。 「よかったね」 「お兄ちゃん……ごめんね。ボク……バスのなかで、羊のメイくんにも景色を見せてあげようと出して……でも足湯のことを考えだしたら忘れちゃって……」 「置いてきぼりは寂しいよね」 「うん、メイくんと今日はいっしょにねむれないんだね。ボクにはおにいちゃんとパパがいるから大丈夫だけど、メイくん……さみしいね」  優しい芽生くん。ぬいぐるみの立場になって考えられるなんて―― 「それは心配ないぞ」  電話を切った宗吾さんが、快活な笑みを浮かべながら近づいてきた。 「羊のメイはもう一泊するってさ、宿が気に入って、バスに乗って戻ってしまったようだな。とにかく今から温泉で、夜は小さな坊やと眠るから大丈夫だそうだ。明日の飛行機で帰ってくるよ」 「ほんと! 本当なの?」 「そうだよ。宿の人が教えてくれた」  芽生くんの眼がキラキラと輝く。 「やったぁ! やったぁ! やっぱりあそこには『しあわせやさん』がいるんだ」 「良かったね。芽生くん!」 「パパ、お兄ちゃんありがとう! あ、急がないと。パパーおにーちゃん、早く早く!」  一気に元気を取り戻した芽生くんに引っ張られるように、搭乗口に向かった。 「お客様、お急ぎ下さい~! 最終手続きですよ!」 「す、すみません!」  旅の旅情とはほど遠い、最後の最後までドタバタだったが、なんとか間に合った! 「瑞樹、これも家族ならではの思い出だな。楽しかった!」 「あ……はい!」  宗吾さんの言う通りだ。  僕たち三人だから生まれるエピソード。  きっと後々『あの時は~』と、思い出話に登場するだろう!  そんな日々もいつかやってくる。  僕の未来には――
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