その後の三人『家へ帰ろう』10

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その後の三人『家へ帰ろう』10

 参ったな。  足取りというものが、この歳でもこんなに軽くなるなんて、知らなかった。 まるで遠足に行く子供みたいだぞ、憲吾……お前一体どうしたんだ?  思わず自問自答してしまった。  素直になれたのさ。  本当は……自分にはない……優しくて温かいものが好きなんだ。  だから美智に惹かれて結婚したのだ。   さぁ、母さんの言うとおり……早く家に帰ろう。  美智に早く会いたい……お腹の子供にも。  今日あった楽しかったこと、嬉しかったことを妻と分かち合いたい。  **** 「滝沢さん、書類チェックお願いします」 「今日はもうそろそろ帰るから、そこに置いてくれ」 「あ、そうか! 今日は水曜日でしたものね。はい明日でも大丈夫な書類ですので」  私は40代を目前。  働き盛り、仕事量も多く深夜近くになることも多かった。 だがどんなに忙しくても週の真ん中だけは、早く帰ることにしていた。  民間企業なら『ノー残業デー』と言うのか。私の中では水曜日は『美智の夫である時間を作る日』と決めていた。  これは美智が待望の妊娠をしてから始めたことだ。もちろん緊急の案件の時は無理だが、それ以外ではコツコツと守っている。  季節は間もなく4月を迎え……美智は妊娠8ヶ月、6月には私はいよいよ父となる。  今日は最後の書類に少々手間取って、いつもより3帰宅が遅くなりそうだ。 『美智、すまない。30分程遅くなる。体調に変わりはないか』 『大丈夫よ。でも帰りにお母さんのところに寄ってもらえる? 肉じゃがを作って下さったって。それからね、芽生くんも来ているって』  なぬ! 芽生が来ているのか!  正月以来ゆっくり会えていないので、是非とも会いたいぞ。  そう思うと猛烈な勢いで仕事を片付け、小走りで会社を出た。  まだいるか……もう迎えが来て帰ってしまったか。  最寄り駅からは、とうとう本気で走った。  私がスーツ姿で走るなんて、いつぶりだ?  新人の頃のようにフレッシュな気分になってきた。  実に爽快だ。  近寄り難い神経質そうな外見なのは、自分でも知っている。だから子供にモテたことなんてない。近寄るだけで泣かれたこともある。  そんな私に……芽生は飛びついてくれる、いつも。  **** 「憲吾さん、お帰りなさい」 「あぁ、ただいま」 「芽生くんに会えた?」 「会えた・可愛かった」  美智は明るくほがらかな性格で、話しているとホッとできる存在だ。 「それで、それで? 御飯を食べながら聞かせてね」 「あぁ、これ肉じゃがだ」 「わぁ、お母さんの肉じゃがって美味しいのよね。楽しみにしていたわ」    パタパタとキッチンに消えていく身重の妻を、目を細めて見守った。  もうかなり大きなお腹になったな。  あの中に私と美智の赤ん坊がいる。 「お待たせ」 「一緒に食べられるの嬉しいわ。今のうちだもんね。赤ちゃんが生まれたら座って食べる暇がないって聞いたわ」 「そうなのか! 私もしっかり手伝うよ」 「ありがとう。心強いわ。あっ、動いた!」    美智のお腹にそっと触れてみた。  丸い丸いお腹の中に動く命を手で感じる。  こうやって皆、生まれてくるのか。生命の神秘だな。 「どっちだろうな? 聞かなくていいのか」 「生まれてからのお楽しみにしていい?」 「もちろん。どちらでも可愛いだろうな」 「そうよね。白や黄色のお洋服用意しておくわ」  腹の中から、足をぐーっと伸ばしているのが分かる。  元気に産まれてこいよ。 「芽生くん、大きくなっていた?」 「そうだな。少し背が伸びたかもな。だが相変わらずぬいぐるみ好きで、いつもの羊のぬいぐるみも撫でてくれと帰り際に頼まれたよ。ふっ」 「家族なんでしょうね。羊のメイくんはもう」 「そうだな。そうか……仲間が増えるといいかもな」 「うん。羊の赤ちゃんとか?」 「はは、可愛がるだろうな」  母さんの肉じゃがは美味しかった。しかし私は美智の味にすっかり慣れてしまい、少しだけ甘さが足りなく感じた。 「憲吾さん、週末は出張なのよね」 「そうだ。何故か金曜日から日曜日の夜までなんて……悪いな、せっかくの週末なのに……美智に、何かお土産を買ってくるよ」 「え? わぁ……ちょっと感動したわ。あなたからお土産だなんて!」 「……そうか」  確かに今まで仕事の出張で、土産なんて買ったことなかったか。  私が変わったのは、瑞樹くんのお陰かもな。  彼が何かにつけて私達に心のこもったお土産や贈り物をしてくれるから、私もしてみたくなった。  ****  日曜日の函館 「いやぁぁ滝沢さん、今日の仕事の勢い、凄かったですね、なのに何故、最終便なんですか」 「たまには観光をしてみようと思ってな」 「珍しい! いや……あ、すみません。じゃあ僕は1本前の飛行機で帰りますので」 「あぁ、お疲れさん」  日曜日の夕刻、仕事を鬼の勢いで片付けて、後輩と別れた。  理由は、瑞樹くんの育った家を見たかったから。  駅からも近いし、まぁ……その、チラッと覗いてみるか。母さんにああ言われたら、寄らないわけにいかないだろう。これは母さんの頼みだからですよ。  頭の中であれこれ言い訳しながら、黙々と歩いた。  やがて見えて来た古びた看板……『葉山生花店』  昭和な建物で、よくある街の花屋さんだ。  お世辞にも豪華でもお洒落でもない。  プラスチックのバケツに花が無造作にさしてあり、コンクリートが剥き出しの床には切り落とした茎などが散乱していた。  瑞樹くんは実の両親と弟と……交通事故で死別後、遠い親戚の葉山家に引き取られたと聞いた。こちらも父親を病気で早くなくした母子家庭で大変だったそうだな。  お世辞にもゆとりのある環境ではなかったようだな。  君は持ち前の優しさ、控えめな性格を発揮し、一歩引くことを学んでいったのかもしれないな。  彼の過去を思えば、切なくなる。  今、彼の実家を前に思うことだ。 「せっかくだから、ここで美智に何か買っていくか」    店の入り口には御榊や仏花などが置かれていたが、これでは土産にはならないな。  ヒョイと中を覗くと、レジ前には人がおらず無防備だった。さっきまで若い女性店員がいた気がしたが、奥に引っ込んだのか。  しかしちゃんとレジを締めているのか。都会の店じゃありえん。  ふと見渡すと、棚に珍しいものを見つけた。  スズランの瓶詰め? これは売り物なのか。 『母が瑞樹くんはスズランのような可憐な子よ。憲吾も大切に扱ってあげてね』と口を酸っぱくして言われたのを思いだした。 「あ、すみません~お客さんでしたか」 「あ、いや、見ているだけだ」 「あれ……?」  出てきたのはガタイのいい熊のような男だった。  彼が、もしかして瑞樹くんのお兄さんなのか。  兄といっても、実の兄ではないから似ていないとは思ったが……まさかここまで真逆をいくとはな。  向こうも何故か私のことを、懐疑的な目つきで見てくる。 「な、なんだ?」 「いえ……あ、あのさ……」  
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