その後の三人『春の芽生え』2

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その後の三人『春の芽生え』2

「車は、どこだ?」 「あ……あそこです」 「よし、行くぞ」 「え?」  忘れ物は、カムフラージュだったのでは? 「まだ震えている」 「あ……はい」  宗吾さんには、もう強がらない。  怖かった気持ちを隠さない。  今日は花材が多かったので、会社のワンボックスカーで来ていた。   「これです」 「後ろに乗ってもいいか」 「……はい」  ドアを開けると半分以上花材で埋まった空間だったので、むせかえるような花の香りが立ち込めていた。 「瑞樹も来いよ。君は……花の匂いに包まれろ、きっと落ち着くぞ」 「あ……」  宗吾さんと一緒に後部座席に乗り込み、花材の中に埋もれるように隠れた。  そこで、また手を繋がれた。  仕事中なのに……触れてもらえて、すごく嬉しい。 「だいたいの事情は察した」 「……怖かったです。急に高校時代のことを言われて……思い出せなかった僕が悪かったのです」 「そんなことない。君は当時、大変だった。広樹から聞いているよ。それを今更蒸し返すなんてデリカシーのないヤツだ。絶対に相手にするな」 「う……、はい」  男なのに、高校時代、大人の男性に執拗につきまとわれた。  誰にも相談出来ずに、その視線を浴び続けた恐怖。  兄さんが気付いてくれなかったら……と思うとぞっとする。  しかもその相手は、一昨年まで尾を引いて……あの事件に巻き込まれた。  鼓動がどんどん早まり、息苦しくて……眉をひそめ、訴えるように宗吾さんを見つめてしまった。 「く……るしくて」 「瑞樹、落ち着け、深呼吸しろ」 「は、はい」 「そうだ、上手だ。 なぁ……花の香りは安らぐだろう」    宗吾さんが僕の肩を優しく抱いてくれる。  そのまま、背中を優しく撫でてくれる。 「よしよし偉いな、落ち着いてきたな」 「はい……」 「じゃあ仕上げに」    僕にそっと口づけしてくれた。  ほんの一瞬だったが、直に温もりが届いた。 「あ……」 「悪い、こんな場所で不謹慎だったよな」 「いいえ、とても……とても嬉しかったです」 「続きは夜な」 「えっ」    スッと心臓に手をあてられる。 「ここ、またドキドキしてるな」 「これは、宗吾さんが触れているから」 「そうだ、それでいい」  あぁ……そうか、僕の恐怖をすり替えてくれたのだ。 「さてと、そろそろ戻れるか。俺が見張っているから大丈夫だ。アイツはうちの会社の人間じゃないから、気にするな」 「はい……宗吾さんがいてくれて、良かったです」 「俺が役に立てて良かったよ」  ポンポンと肩を叩かれて、ようやく戻れそうなところまで浮上できた。  **** 「あれれー? 葉山先輩、どこ行ったんですかね」 「……下に忘れ物を取りに行ったよ」 「えー、ひとりで持てるかなぁ、俺も付き添ったのにぃ~」 「協力な助っ人が入ったから、大丈夫さ」  葉山……大丈夫だったか。  さっき……知らないヤツに話しかけられて、青ざめていたな。ヤバイ雰囲気になってきたので急いで止めに入ろうと思ったら、背後から滝沢さんがスッと現れて、葉山を連れ去ってくれた。  今日の滝沢さん、ヒーローみたいでカッコよかった! 「菅野、悪い……」  葉山がさり気なく戻って来た。  顔色も戻り、元気になっていたのでホッとした。    ははん……滝沢さんに栄養をもらったって感じだな。 「こっちは大丈夫だ。葉山は中の装飾を頼む。外部との交渉は俺がやるから」 「うん……ありがとう」  さっきのアイツ、しつこいな。葉山のことをまだチラチラ未練がましく見ている。そうだ! こういう時こそ『金森鉄平』が役立ちそうだ。  「そうだ、金森、お前は見張り番だ」 「へい!」 「あそこに変な目つきのやつがいるだろ。仕事に集中したいら、近づかないように威嚇しとけ」 「なんだか分かりませんが、了解っす!」      **** 「芽生、そろそろお茶にしましょう」 「はーい、ちょっとまってね。羊くんたちも一緒でいい? つれてきたんだ」 「いいわよ」  芽生がリュックから、大切そうに大きな羊と小さな羊を出して来た。 「おばあちゃん、あのね、この大きな羊くんはね、僕たちよりも1日多く旅行をしたんだよ」 「まぁ、そうなの?」 「うん! しあわせやさんが特別に泊めてくれたの。だから帰ってきたとき、ふわふわで白くなっていたんだ。温泉ってすごいね。おばあちゃんともいきたいな。おばあちゃんのはだもつやつやになるよ」 「いいわね」  芽生がバスで忘れ物をした話は、宗吾からこっそり聞いたわ。そんな可愛い演出をしてくれるなんて、気の利いたお宿ね。 「ところで、なんという名前のお宿にとまったの? 覚えている?」 「えっとねぇ『わかぎりょかん』って、おなまえだったよ」  ずっと思い出せなかった旅館の名前をやっと思い出せたわ。 「まぁ! 若木旅館? あらまぁ驚いた!」 「知ってるの?」 「知ってるも何もおばあちゃんの新婚旅行で泊まったところよ」 「えー!」   それから、芽生とアルバムを広げた。 「えー! このきれいなおねーさん、おばーちゃんなの?」 「ふふ、そうよ」 「えー! このかっこいいおにーさん、おじーちゃんなの?」 「そうよ」 「びっくりしたぁ」 「まぁ、ふふふ」  主人はグレーのスーツで私は桜色のタイトスーツにベレー帽姿。お互い20代、完璧な新婚ルックで楽しそうに笑っているわ。  あなたも、こんな楽しそうな笑顔を浮かべていたのね。ちらりと仏壇を見ると、決まり悪そうに笑っている主人の顔が浮かんだ。感情表現をストレートに出すのが苦手で気難しい人と捉えられがちだったけれど、根っこは優しい人だったわ。  「ほら、ここに『若木旅館』と書いてあるでしょう」 「ほんとうだ! ぼくたちも同じ場所で写真をとったよ。今度みせてあげるね」 「そうなの? ご縁があるわねぇ。ここは家族経営のいいお宿だったわ。今はもう……息子さんの代かしらね」 「おにいちゃんとご縁があった人だっていってたよ」 「……そうだったのね、じゃあ会えてよかったわね」 「うん! ニコニコ、バイバイしたよ」    瑞樹くんがお土産でもってきてくれた羊羹とコーヒー、よく見たら小さく旅館の名前が入っていたのね。老眼だから、気付かなかったけれども。  懐かしい新婚時代を思い出しながら、一休みしましょう。  なんとなくの話だけれども……瑞樹くん、旅行から帰って来てから、更に私に素直に甘えてくれるようになった気がするわ。旅先で何かを整理出来たのかもしれないわね。 「おばあちゃんも、ここにつれていってあげたいなぁ、いっしょにいきたいなぁ」  孫の可愛い夢、愛おしいわ。 「じゃあ、おばあちゃんも元気でいないとね」 「うん!」  明日から4月1日、芽生の小学校入学がいよいよ近づいてくる。  身体も心も、大きく成長して行くでしょう。  でも……芽生の心の中に確実に育っている『相手を想うあたたかい気持ち』は、ずっと大切にしてね。 瑞樹くんの優しさを、これからも素直に受け止めていってね。
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