心寄せる人 2

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心寄せる人 2

「じゃあ……」 「瑞樹、いつならランチしてもらえる?」  改札を出た後は、有楽町と日比谷では右と左に歩く方向が分かれるので、軽く会釈すると、引き留められた。   「それは……その日によって昼時のスケジュールが」 「そうか、じゃあ仕事の後でもいいよ」 「でも夜は芽生くんが……」 「あぁ平日は俺の母が幼稚園の迎えに行ってくれて、そのまま俺の帰宅まで預かってくれることが多くてね。保育園に移ればいいだろうけど、芽生の環境をあまり変えたくなくてそうしているんだ」 「なるほど。でもそれ、分かります」 「朝ゆっくりな分、夜までかかる仕事でね。あっこれ俺の名刺、広告代理店に勤めているんだ。そしてほら、ここにプライベートな電話番号を書いたよ。その気になったら連絡して。といっても、また明日バス停で会うだろうけどね。まずは会社までの通勤時間から始めようか」 「はい……えっと、その……助かります」  滝沢さんは始終、紳士的だった。ランチの誘いも決して無理強いせずに、やんわりとかわしてくれた。  彼に無理させているのではないかと心配になるが、今だけは、その優しさに甘えたくなった。  僕は昨日の今日で、すぐには一馬のことを忘れられない。  そのことを含めて受け入れてくれている事に胸が温かくなった。 「じゃあまた」 「はい」  別れてから……僕の名刺も渡すべきだったと後悔した。 ****  滝沢さんと朝のバス停で知り合ってから、いつの間にか数週間が経っていた。でも僕はまだ、一緒にランチすら出来ていない。  それでも滝沢さんは根気よく接してくれる。  僕の中でもゆっくりだが確実に変化が起きていて、今では朝の通勤時間が楽しみになっていた。  明日で大きなイベントの仕事が終わりゆとりが出来るから、僕の方からランチの誘いをしてみようか。  そう思っていたのに、結局言い出せなかった。僕は意気地なしだ。  積極的に新しい恋に踏み出せばいいのに、滝沢さんのこと、気になっているくせに。  怖いんだ。  幸せが怖い。  また捨てられたらと思うと、胸がしくしくと痛くなる。  あんな悲しみや苦しみを二度と味わいたくない。  心の声が僕に歯止めをかけてしまう。  それにしてもこの数週間で出来たことは、せいぜい僕の会社の名刺を渡せたことだけだなんて、奥手にもほどがあるよな。    あっでも……滝沢さんの髪型を変えさせたんだ。だって彼の実年齢を聞いて、軽くショックだったからね。 「えっ僕よりたった5歳しか年上じゃないんですか」 「うん。まだ32歳」 「ええっ!」 「くくっその驚き方酷いな。一体いくつに見えていたの?正直に話して」 「えっと……怒らないでくださいね。四十歳位……かと」 「えぇそれは酷いな。あーでもお母さん達からも注意されていたんだ」 「わっ!僕っ余計なことを。すいません」 「いいって。じゃあこれならどう?」  滝沢さんは固めていた前髪を手でぐしゃっと崩した。  意外と長い前髪が目にはらりとかかると、男らしくセクシーだ。  するとあの公園で初めて会った時の気持ちがふわっと沸き起こった。 「あっ……その方が好きです」 「好き?やったな。明日からはこの髪型にするよ!」  明るく豪快に笑う滝沢さんの笑顔に、ぐっと惹かれた。
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