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10 分署の自席に着いたのは、いつもよりも随分遅い時刻になってからだった。 わたしと向い合わせの席に座る高級スーツの貴公子が、ゆっくりと優雅に足を組み替えて、アイスブルーの目をふいと細める。 ああ、まっずい……。 王子様は、超不機嫌だ。 「ナナミ、今日は朝一で、百十二番街の強盗傷害の被害者宅に聴収に行く予定のはずだ」 そしてゆっくり顔を上げると、ジョシュは、わたしをまじまじと見た。 「もうすでに十分遅刻だが、あと五分待つ。ともかく、その髪、何とかしてきてくれないか」 髪……。 生乾きのまま、思い切り走って来たから、多分、もつれてるとは思ってたけど。うん。 そうだよね。 オフィサーがだらしない恰好で現れて、被害者さんの信頼を失う訳にはいきませんよね。 ハイ、私服警官は身だしなみも大事なお仕事です。    +++ ジョシュがさっさか運転席に乗り込んでしまったから、しょうがなく、わたしは助手席に潜りこむ。 ……あーあ。 今日はきっと、ハンドル譲ってくれる気ないだろうなぁ、ジョシュ。 車を発進させると、ジョシュは無言のまま、また冷たい視線をよこした。 「わかってる、ジョシュ、お願いだからさ……何も言わないでよ」 しかし貴公子は、引き続き冷淡な溜息でわたしを責める。 だってさ。 ミュルに、朝からまた一回イカされた上にさ。 その後も、なんかアホなこと言い出すから、シャワー借してもらう気にもなんなくて、結局、家にとんぼ返りで。 時間ぜんぜん、足りなくなっちゃったんだよ。これでも必死に急いで来たんだから。 ……という言い訳など、もちろん口に出せるわけもなくて。 今朝のダメ押しセックスのせいで、もう、身体中ミシミシで、だるくってしょうがないし。 サイドミラーに映る顔は、自分で見てもヒドいもんで、ちょっと正視に堪えない。 目は充血してて、瞼は赤くなってる。 くちびるは、噛みしめてたせいか、うっ血しちゃって、ぷっくり腫れ上がってるし……声もすこし、かすれてるかもしれない。 ムスッと黙り込んだままだったジョシュが、とうとう口を開いた。 「……たしかに、僕は言ったよ。『スカッとしてくれば?』ってね。でも、ナナミ」 「ジョシュ、解ってるってば」 「『欲求不満』じゃなければ、今度は『色ボケ』かい?」 「だーかーらー。ジョシュ」 「君もね、すこしは限度ってものをわきまえて……」 「だからそんなの、ミュルに言ってよってば!!」 そして。 ちょっとひとまず、ここで気持ちを落ちつけようと、わたしとジョシュは、互いに口をつぐんだ。 沈黙は、それなりに気まずい。 けど、われわれもつきあいの長いバディ同士だ。 別にこんなのは、たまにあることで。 しばらくすれば、自分たちの気持ちの棘が、段々に取れてきてる様子すらも、空気を通じて、互いに感じ取れた。 車が高級住宅地域に入っていく。 被害者のフラットが近づいてきた。 「……なんかさ、たぶん、合わないんだよ? 究極的には」 わたしがこう口すると、ジョシュは怪訝そうに、綺麗な形の眉をひそめた。 「うん、そう、合わない、総合的に見て」   「何が?」 「ミュルとだよ。そうなんだよ、きっと気が合わないんだよ、わたしとミュルって」 ジョシュは「ふうん」と気の抜けた相槌を打つと、ハンドルを左に切る。 ほんのちょっとだけど、そのタイミングは遅くて、微妙に急ハンドルになっていた。 まあ……合う合わないっていっても。 今までミュルのこと、身体の相性以外に考えたことって、正直あんまりなかった。 というか。 あんまりに「セックスが良すぎた」から 結構、他のこととかどうでもいいって思っちゃってたのかもで……。 だからさ、わたしとしては。  お互い身体だけでも、すごく楽しく過ごせれば、「それはそれでいいんじゃないの?」って思ってたわけなんだけど。でも……。 やっぱり、ミュル(むこう)は、「そう」じゃなかったってことなんだよね。 これ以上は、なんだか、こじれるばっかりなのかな……。 ちょっと、せつない気もするけど。 「うん、やっぱり。すっきりさっぱり、ミュルのことは切る。あいつとはもうおしまいにするよ。ジョシュ、ごめんね、今朝は迷惑かけてさ」 そうだよ、「スカッとする」云々っていうより、なんかかえって、仕事に支障が出ちゃったわけだし。 ミュルだって、キレイに気持ち切り替えてさ。 他の誰かをあたって、またハッピーになってほしいし。 「あ、そういえばさ、ジョシュ」 わたしはふと思い出す。 「アホバッハってば、なんか『すっとこどっこい』なこと言ってた。わたしと『あんた』が『寝てる』んじゃないか?  だって」 ジョシュは黙ったまま、カチリとウインカーを出した。 でも、ちゃんと話は聴いてるって解ってるから、わたしは構わず続ける。 「まあでも……それって、あんたがゲイって、全然バレてないってことだし、ある意味良かったよねってことでさ」 涼しいような小馬鹿にしたような、溜息みたいなちいさな笑い声をひとつ、ジョシュが発する。 そして、「当然さ。バレるだなんて、あるはずがない」とでも言うように、肩をすくめて見せた。 被害者の家の前の道は、ずらりと縦列駐車で埋まっていて、ジョシュはハンドルを切り返し切り返し、なかなかに苦労しながら、わずかしかない隙間に車両を押し込んでいく。 うん、別にジョシュの腕前も、そう悪くはないんだよ、でもね。 悪いけど、運転に関しては、わたしの方がずっと上なんだよね……。 そんな自慢げなモノローグをするわたしの心の中でも読んだのか、ジョシュが、かすかに顔を顰めた。 そして、「あのね、ナナミ」と、わたしに呼びかける。 なに? と応じると、ジョシュはハンドルから片手を離して、軽く口もとに当てた。 「とりあえず、君、被害者の事情聴取をするには、ちょっとその……『あまりにあまりな』顔してるんだけど」 あまりにあまり、って。 ……なんなんだ? 「つまり、ナナミ……僕が言いたいのは」 少し言いよどんでから、ジョシュは続ける。 「こう……見るからに、『今ちょっと、一発ヤってきました』みたいな、そのエロい顔。何とかなんないの? ってこと」 何とかなんないの? ってさ。 …………なるかよ!? わたしは相棒(バディ)へと、ずっさりツッコミを入れた。 もちろん、ココロの中で。 っておっしゃいますが、ジョシュ。 そうだよ。 だってさ。 「一発ヤって」来たんだもん? 「今ちょっと」ね。
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