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せっかくのオフの日を、無駄に、憂鬱には過ごしたくなかった。
「済んでしまったこと」を、ただ無意味に振り返って、悔やんで、悩んで、そのせいで「今」を台無しにするくらいなら、反省なんか意味ないし、それってそもそも、反省ですらない。
すっぱり切り替えて、前に転がって行かなきゃ。
時間がもったいない……って。
昔からそう思っていて。それはいうなれば、わたしの「意地」みたいなもので。
だって、そうじゃなかったらやっていかれないくらい「悔い」ばかりになってしまう。オフィサーのシゴトなんてものは……。
でも今回ばかりは、それは結構、難しかった。
たしかに、マコーネルにはひどく申し訳なく思うけれど。
でも、所詮は「ただの失敗」、「ただの不首尾」だったのだ。
それだけのことなのに。
「なにもそこまで引きずって、悩む必要あるようなことかい?」と、自分でも呆れちゃうくらい、わたしはマコとのことを引きずってしまっていた。
そのことを考えないようにするために、一日中、好きでもない家事に、ワザと忙殺されてみたほどだ。
……なんで?
なんで、こんなにいつまでもウダウダしてるんだろ。
夜、自宅のベッドの上で天井を見ながら、わたしは、そんなことを考える。
マコーネルは至極まっとうな、大人の対応をしてくれたのだ。
だから、別にもう、あれはあれでいいじゃない?
そりゃ……。
マコが、あんまりにいいヤツだったからさ、ホント、さらに余計に申し訳ない気持ちにもなるけれど。
それとも、わたし。
マコーネルに、なにか借りをひとつ作ったような気分になっている?
それがシャクにさわってるとか?
ううん、そんなんじゃない。それは違う。
じゃあ、なんでこんなに……?
そんな風に繰り返す堂々巡りにも疲れ果てて、わたしは深い溜息をつくと、瞼を閉じた。
+++
オフの日の翌朝。
珍しいことに、わたしはジョシュより先にオフィスに着いた。
コーヒーマシンからポットを取り、カップになみなみと焦げ茶の液体を満たして、口をつける。
分署の「泥水コーヒー」にも、この時間はまだ多少、淹れたての香りが残っていた。
デスクトップデバイスを、生体認証で立ち上げる。
コーヒーをすすりながら、昨日来た音声メッセージや事務連絡やらに目を通していると、ジョシュが出勤してきた。
「おはよう、ナナミ」
パリッとプレスのきいたシャツで、朝っぱらからまた、なんとも涼しげな微笑を浮かべるジョシュ。
そして、「早いね? 今朝は」と続けると、手にしていた超高級デリカテッセンの紙コップをデスクに置き、スーツのジャケットをスラリと脱いでハンガーに掛けた。
ジョシュご愛用のコロンの微かな香りと、一杯十二ドルのカプチーノの香ばしい匂いが、わたしの鼻先をくすぐる。
確かに、「ダビデとデ・マルコの店」のコーヒーは悪くないけど。
十二ドルという価格は、カプチーノにつけるべきものではないと思う。
まあ……あの店は、オリジナルのコーヒーサーバーに家具級の値段をつけているようなトコだけどね。
ありすぎるお金の使い道に困る人間というのは、世の中には、結構存在するんだな……ってことなんだろう。
貴公子の微笑みでわたしを見つめながら、ジョシュがカプチーノの泡立てミルクにくちびるをつけた。
ハイハイ、ジョシュの言いたいことなんて解ってる。
「おとといはどうだった?」って、そう訊きたいんでしょ?
あーあ……。
さっそくに、また憂鬱な気持ちにさせてくれるじゃないの、ジョシュ。
でも、だんまりをきめこんだところで、きっと、あの手この手で探り出されてしまう気もするし。
それに、まだマコーネルたちの案件の手伝いが終わったわけじゃない。
ジョシュってば、わたしとマコのことに、また色々と気を回してくれようとするかもしれないから、結果だけは言っとくべきなんだとは思うんだけど。
……でもさ。
「あのさ、ダメだったから」
ポツリとわたしはやっと、それだけを口に出す。
ジョシュがひとつ瞬いて、アイスブルーの目を細めた。
もう、頼むから、それ以上は訊かないでよね、と。
ジョシュに念波を送ってみたけど、それは全然届いていないらしくて。
「ダメ? それどういうこと、ナナミ。何が駄目?」
ジョシュってば、軽く身を乗り出す勢い。
「だからさ……」
わたしはさらに声を抑えて、ジョシュに鋭く囁いた。
「『ダメだった』んだってば、うまくいかなかったの! だからもうこの話は、これきりなしってことで」
「まるで意味が解らないな、ナナミ。何が『ダメだった』んだよ?」
ジョシュが、キュッと眉根を寄せる。
「もう、ジョシュ。お願いだから勘弁して。だからさ……『できなかった』の、マコとは」
……できなかったって?
口の中で噛みしめるようにそう呟いて、ジョシュは首を捻った。
「それって、マコーネルが『ダメ』だったってことかい?」
ジョシュの言わんとすることは、ハッキリと解った。
つまり、マコが「モノの役に立たなかったのか」と訊いているのだ。
いやいや、それは違うし。
マコーネルの名誉のためにも、そこは否定しておかないと。
フェアじゃないよね。
「ちがう、ちがうってば、そうじゃなくって……」
わたしの言葉に、ジョシュがさらに首を捻った。
「そうじゃなくて、わたしが……ダメだったんだってば」
ここまで聞くと、さすがのジョシュも、それ以上の追及を止める気になってくれたようだった。
溜息のような相槌のような息をひとつ吐いて、椅子の背もたれに寄りかかりながら、ジョシュは、カプチーノのカップを手に取る。
そして、デバイスを立ち上げると、さも「仕事に集中している」と言う風に、モニターを見つめ始めた。
その日は、またマコーネルたちのコンビの手伝いをすることになっていた。
今度は、わたしとマコが組まなくていいようにと、またさりげなくも気を回してくれたのだろう。
ジョシュはさっさと、マコーネルと連れだって出かけていく。
なんか、わたし。
あちこちに変な借りを作りまくっている?
……とかなんとか。
そんなことを思わずにはいられなくて。
気持ちを切り替えて浮上するどころか、わたしは、ますますブルー入ってしまって仕方がなくなった。
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