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壁に立てかけた大きなスクリーンモニタの前で、わたしはスタイラスを手にし、作業を続けていた。
モニタには、十八区から二十四区の地図を表示させてある。
その上に記号を書き込み、区域を色分けしていく。
この数日、ジョシュとマコーネルが組んで、あちこちに出向いている間。
出揃ったデータを使って、わたしはひとり黙々と、地理的プロファイリングに没頭していた。
ステイツには、捜査官とは別に、専門の分析官がいるにはいるけど、その絶対数は足りているとは言えなかったから。
最近は、希望するオフィサーにプロファイルの研修を受けさせる試みがなされ始めていて、わたしは何回か、それを受講していた。
プロファイリング自体は、捜査の一手法として、すでに十分認識されてはいたけど、マッチョなオフィサー連中には、「分析官」っていうのは「女っぽい」職っていうイメージを持つヤツらもいる。
別にわたし自身は、プロファイルが男の仕事だとか女の仕事かとか、どっちでもいいし、興味深い手法だから試してみる価値があると思ってるだけだ。
そして。
それが、往々にして逮捕の重要な突破口となった実績があるだけにまた、女のオフィサーが「気に入らない」同僚には、余計面白くないのかもしれないけど。
マコーネルの相棒、カートが、こっちに歩み寄ってくる。
多分、こいつは、どちらかというとプロファイルを女っぽい仕事って思っているクチだろうな……。
ヤツは案の定、わたしに、こんな風に問いかけた。
「よお、ナナミ。その『ぬり絵』は、はかどってるのか?」
「はかどってるよ」
顔も上げずに即答してやる。
「なら、なんか解ったことあんのかよ?」
と、これまたぶっきらぼうに訊かれたから、わたしは「あと四十秒後に解るよ」と、カートに答えた。
デバイス上では、十八区から二十四区内において、ある複数条件を満たす領域に居住する二十二歳から三十三歳までの人物データとNRの経験者のデータとのクロスレファレンス計算を走らせていた。
これで抜き出された何人かの中に、被疑者がいるはずだ。
おそらくは……だけどね。
終了まで、あと三十二秒。
十七秒……。
五秒。
そして、終了を知らせる短いビープ音が鳴る。
カートが、デバイスのモニタを覗き込んだ。
表示データは、一件のみだった。
住所と氏名、それに出生証明が、あわせて表示される。
カートはすかさず、ポケットから電話を取り出すと出先のマコーネルたちに通話を繋ぎ、裁判所に回って令状を取ってくるように頼んだ。
そして、
「ナナミ、警部補に報告上げといてくれ。マコとジョシュとは現地で落ち合おう」と言いながら、わたしを振り返る。
「さて……悪たれを、とっととフン捕まえてやろうぜ」
+++
で。とっととフン捕まえた「悪たれ」は、というと。
自供はしなかったけど、他の証拠の出具合がスゴブル良好で、担当検事も大満足だった。
きっと、有罪は固いだろう。
ずっと苦労していた一件が片付き、マコーネルたちも、いたくご機嫌の様子で、特にマコのバディのカートの方が、「奢らせろ」と言ってきかなかったから、わたしとジョシュは、彼らに夕飯を御馳走になった。
もちろんお互いの相棒がいて、ふたりっきりではないとはいえ。
マコーネルと顔を突き合わせるのは、なんとなく居心地悪かった。
でも、マコーネルは、いつもどおりの落ち着いた物静かな佇まいを崩さない。
わたしもできる限り平静でいようと努力した。
カートは、本当に上機嫌でひとり盛り上がりまくっていた。
レストランを出てからも、皆にしきりと「飲んでいかないか?」と声を掛けていたけれど、ジョシュもマコも、その誘いをやんわりと断ったから、その日はそこで終わりになった。
わたしは、みんなから離れて歩き出す。
そして、1ブロックほど行ったところで、立ち止まり、思わず深い溜息を洩らした。
するとその瞬間、「ナナミ」と、後ろから声を掛けられる。
わたしはゆっくりと振り返った。
「なに……ジョシュ? あんた、尾行てきたワケ?」
冗談めかせて言おうとしたけど、我ながら声はひどく沈んでいて、それはイマイチ失敗だった。
ジョシュはといえば、わたしの言葉などまるで意に介した様子もなく、例によって王子様の微笑みを浮かべて、
「一杯つき合わないかい?」と、涼しい声でわたしを誘った。
+++
ジョシュに連れて行かれたのは、どちらかというと地味な佇まいの落ち着いたバーだった。
わたしたちはカウンターではなく、一番奥のテーブル席へと座る。
「それで? ナナミはこの数日、何を暗く落ち込んでるのかな」
飲み物がくるまで、じっと口をつぐんでいたジョシュだったが、運ばれてきたモヒートをひとくち飲み下すやいなや、すかさずこう訊ねてきた。
「別に……PMSだよ」
わたしはボソッと応じる。
「ふうん、それだけ?」
ジョシュが重ねて訊いてきた。
わたしは、手にしたオンザロックのスコッチの氷へと視線を向けて、目を伏せる。
ジョシュが、また口を開いた。
「マコーネルとのこと、気にしてるんだろう?」
解ってるなら訊くなよな……と。
内心、ちょっとイラッとした。
「もう一度、誘ってみる気はないの?」
さらにジョシュが畳みかける。
わたしは、ただ、溜息で返事をした。
そして、グラスに口をつけ、琥珀色の液体をゴクリと飲み下す。
喉から胃が、ヒリヒリと焼ける感じがした。
「マコーネルのこと、何か気に入らなかったのかい? 思ったより好みじゃなかった?」
ジョシュのこの問いかけは、わたしの心のささくれを、ピッとひん剥いた。
「そうじゃないってば、マコは、めちゃめちゃいいヤツだったよ。すごく…好みだよ、でも」
「でも、なに?」
すかさず問い返されて、わたしは「ああ、なんか、ジョシュに上手く乗せられちゃったかな」って思う。
深々と、わたしは、またひとつ溜息をついた。
そして俯いたまま、「何もかも、すごく好みだったけど、でもなんか、全然ダメだったんだってば」と洩らす。
そうなんだよ。
マコってば、結局、ホテルの部屋代も全部払っていっちゃったしさ……。
ホント、もう。
「だからなんか……何もかも、こう、負い目に感じちゃうっていうか」
「『負い目』? なぜ? ナナミ、どうしてそんなことを感じる必要が?」
ジョシュの口調が、すこしキツイ感じになってくる。
ああ、もう……。
すでに十分憂鬱なのに、なんでジョシュからも、こんな色々問い詰められなきゃならないんだ、わたしは? いい加減、勘弁してよ。
「『なぜ』とか、そんなの…解んないけど、あのさ、ジョシュ。もう、放っておいてくれない?」
こう発した声は、なんだかえらく頼りなく震えていて、わたしは、ほとほと自分に嫌気がさしてしまう。
ジョシュが、モヒートのグラスをテーブルの上に置く。
そして、ひどく横柄な様子で両腕を組んだ。
「ナナミ、僕は、前々から思っていたんだけど……君って時々、本当に面倒くさいんだ」
「面倒くさい? 何がよ……?!」
すると、ジョシュは腕を解いて、ふわりと表情を緩める。
「馬鹿だな、いつまで認めないつもりなんだい?」
認めない?
「……なにを?」
「結局、ミュルバッハじゃなきゃダメってこと。違う? ナナミ、君はミュルバッハと寝たいのさ」
「ジョシュ!」
ごく静かなバーだというのに、思わず声を張り上げそうになり、わたしはすかさず自重した。
「君がなんでそんなに意地を張るのか、僕にはまるで解らない」
ジョシュが肩をすくめてみせる。
「だってミュルバッハのこと考えたら、濡れるだろう? したくてたまらなくならないかい?」
ジクンと、条件反射のように奥が疼いた。
それが……。
ジョシュの言葉のせいだと解るから。
否定できないような直感として、それが解ったから、だから。
そして、ここしばらくずっと、ミュルとのセックスを、一切思い出さないようにと。
頑なすぎるほど頑なに、そう努力し続けていたこともまた、あわせて思い知らされたから、だから、さらに余計に。
わたしは、情けないやら恥ずかしいやらで、どうしようもなくなる。
「だから僕は、最初から言ってたんだ。『ミュルバッハとつきあっとけば?』ってさ。本当に……君って面倒だよ」
涼しく長い睫毛を伏せて、優雅にモヒートに口をつけ、ジョシュがこう続ける。
「ナナミ、君は、ミュルバッハが好きなんだ」
「何…言ってんの……! 好きなわけないじゃん、あんな、あんな単細胞。脳筋馬鹿、アホバッハ」
そりゃ、身体は好きだよ。セックスは好きだよ。でも。
「違うもん、違う……」
「だから、何が違うの? ナナミ。他の男じゃ濡れないんだろう? ミュルバッハとしか寝たくないんだろう? 君の言っていることは、ワケが解らない」
別に、ミュルと「しか」寝たくないわけじゃない。
そう思ってた。そう思ってる。
そうなんだけど。
実際は、ダメだった。
「でも、だからってね、わたしが、ミュルのこと好きってことにはならな……」
ここまで言った瞬間に、何か熱いものが、わたしの頬を伝っていった。
パタリと、テーブルに水音。
うわぁ……。
わたし、なに泣いてんだろ。
頭の中で、自分自身に激しく吃驚する。
ナニコレ、すごい情緒不安定。
……やっぱPMSだ。
わたしは、慌てて手の甲で涙を擦り取った
でも、瞼がまた熱を帯びてくる。
何度も何度も、両手で目を擦っていると、ジョシュの指先が伸びてきて、ごく素っ気なく、わたしの手を瞼から払いのけた。
そして代わりに、ジョシュの上等のポケットチーフが、わたしの瞼に押し当てられる。
ほんのりとコロンの香りのするシルクのチーフで、しばらくの間、わたしは溢れる涙を拭っていた。
やっと涙が止まる。
鼻をすすってから、わたしはジョシュに訊ねた。
「わたし、面倒くさい?」
「ああ」と。
低いジョシュの声。
「……わたしって、ばか?」
コクリと、ジョシュが頷く気配がした。
「わたしって……アホ?」
ジョシュが、また頷く。
そして、ふうと溜息をつくと、
「……まったく、君とミュルバッハってさ。アホ同士で、とってもお似合いだと思うけどね」
と呟いて、ジョシュはひとつ、小さく笑った。
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