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わたしを抱きしめたまま、しばらく痙攣していたミュルバッハは、やがて、ひとつ深い溜息をついて、ゆっくりと身体を離した。
虚脱して、ガンレンジの射撃台の上に丸まってるわたしは、ほぼ全裸。
ミュルの大きな身体の熱が離れて行ってしまうと、「してる」ときは全然そんなこと思わないのに、なんだか急に、自分が無防備すぎるような気持ちになって、もぞもぞと縮こまる。
と、どこかからなにかを取って来て、ミュルバッハが、わたしの汚れた脚やらなにやらを拭いてくれる。
そして、グッタリと横たわったままのわたしの頬を、太い指先で、ちょんと突いた。
「あ? う…ん、ありがと…」
それだけは、なんとか口にしたけれど、起き上がる元気は、まだ湧いてこない。
目を閉じたまま、わたしは手探りで服を探して指を伸ばす。
ブラはつけないで、とりあえず、Tシャツを引っかぶった。
むき出しのままの下腹部が、なんだか逆に、ますます気になる。
でもジーンズに足を通す気力は、やっぱり、まだなかった。
射撃台の上で丸まったまま、わたしはぼんやりと、ミュルバッハを見やる。
ミュルは、いつの間にか脱いで放り投げていたらしい、自分のジャージーシャツを、床から拾い上げていた。
焦げ茶のねこっ毛の頭髪は、ふわふわと逆立って、胸もとの薄い茂みや腕の体毛が逆光に透け、金色めいて光っている。
無意識のようにミュルバッハが、人差し指でこめかみを掻いた。
「……あ」
わたしは、思わずちいさな声を上げる。
ミュルの左のこめかみは、ちいさくピンク色にただれていた。
シグの銃口を押し付けた場所……。
薄い火傷の痕。間抜けな感じで、わっかになってる。
……あらま、痛そうにして。
もう、あいつってば。
やっぱり熱かったんじゃない。
ホント、馬鹿なんだから……もう。
笑おうと思ったわたしのくちびるをついて出たのは、溜息だった。
床に座り込んで、シャツをかぶっていたミュルバッハが、顔を上げてこっちを向く。
「ねえ、ミュル……」
わたしは顎先をちいさくしゃくって、店の隅のバーチャルセックスマシンに視線を向けた。
「あれって、『どんなの』なの?」
「あれ?」
首を捻って、ミュルが、くだんのニヤケ笑いを浮かべる。
「さあな? ってか、そもそも起動すんのか怪しいぜ。ただの飾りだろ。言うなりゃ、『アンティーク』ってヤツで」
ふうん、と。わたしは適当な相槌を打つ。
ミュルが続けた。
「動いてんのなんか見たことねえな……多分、あれだろ。何人かから女を選べて、その女の裸の三次元像が出てくるから、それ見て、てめぇで『ナニしろ』ってモンだろうよ」
「ふーん……」
「見たことない」割には、結構詳しいじゃん? と、わたしは胸の中で独りごちる。
ああ、そろそろ起き上って、ズボン穿こうかな……。
とか、そんなことを思っていると、ミュルの焦げ茶の瞳と、また目があった。
「……なに? ミュル」
こう訊ねたのに、ミュルバッハは、わたしから目をそらす。
「ねえ? なに」
もう一度訊ねるけど、ミュルは床に座り込んだまま、相変わらず目を伏せて、自分のブーツの分厚いラバーソールを見つめている。
すこしして、ミュルバッハは、やっと口を開いた。
「……お前さ」
「うん?」
「お前……そんな性欲あって、普段とか…どうしてんの」
あ?
なんじゃい、それは?
「どうって? 別に……っていうか、『普段』って何?」
「普段は、普段だろうが!」
突然、ミュルが勢い込む。
「だから、その、俺と…ヤってないとき…とか」
えー?
ミュルと「してない」とき、ねぇ……。
「うーん、別に、シゴト忙しいし、普通」
ここのとこ、ずうっと事件多すぎでさ。正直、プライべートとか? ゆっくり遊ぶ暇なんかないんだよね。
「『普通』? なんだよ、普通ってよ」
ぶつくさと、ミュルバッハが口の中でもごつかせる。
っていうか、なに? ミュル。こいつ、今日、ちょっとヘン?
「他には……誰かとヤってんのか?」
「なにそれ、嫉妬?」
「……ああ」
ミュルは俯くと、くせ毛の頭髪を、クシャクシャとかき回した。
「ちょっと、あんたさ、ミュル。寝てるくらいで『俺の女呼ばわり』とか、止めてくれる?」
「別に……『俺の女』とか思ってねえよ」
「あ、そ? ならいいけど」
わたしは起き上がった。
ショーツを拾い上げ、台に腰かけて足を通す。
……って、ミュル。こっちチラ見してんじゃないよ。アホ。
そして立ち上がり、裏返しになったジーンズを、表にひっくり返した。
「『俺の女』とかは、思ってねえけどよ……」
ミュルバッハが、ぼそりと呟いた。
「そうだったら…いいな、とかって」
「え?」
ジーンズを腰まで引き上げ、わたしは、床にしゃがんでいるミュルを見下ろして睨みつける。
「だから、こんなトコでじゃなくてよぉ、もっと普通に、ベッドとかで」
そりゃ?
わたしだって、ベッドでシルクのシーツに羽根枕に、苺とシャンパンとかがあった方がいいけど?
っていうか、ガンレンジなんかで迫ってきたの、あんたの方じゃんよ、ミュル。
「そんでさ、夜も、朝も……お前とヤリまくりたいんだけど」
「意味わかんない」
ざくっと切捨て口調で、わたしはミュルに即答する。
「意味って、ナナミ。だから、俺は……その、お前と、ちゃんと? その、ス…ステディな仲にだな」
「ミュル、馬鹿じゃないの、あんた」
さっきから、何言ってるんだろ、こいつは? ヤリすぎて、なんか脳に来たの? 大丈夫か。
「だめ……か?」
絞り出されたミュルバッハの声は、なんと半泣きだった。
ぱたりと、床の上に涙だか鼻水だかが落ちる音がする。
ウソ……泣いてるよ、こいつ。
しかも、ジーンズの前ボタン全開のまんまで。
イチモツ丸出しだし……。
アホ? やっぱアホなのか、こいつは。
「とりあえず泣くかペニスしまうか、どっちかにしたらいいと思う、わたし」
「まだ…勃ってて、ボタン留まんねえんだよ」
わたしは思わず、まじまじとミュルのソレを見る。
あ、そう、そう…みたいね。
確かに。
まだまだ「できそう」とお見受けしました、ハイ。
でも、わたしはもういいから。うん。
と、わたしの頬に、はらりと前髪が乱れかかった。
指で邪険に払いのけると、いつも髪に絡めておくビャクダンの香りのほかに、なんだか別の…ミュルの雄臭いような体臭とかが混じり合った匂いがした。
……うーん、早くシャワー浴びたいな。
それに、超眠い。
してる最中はね……ザーメンの匂いも悪くないかな? とか。
むしろ、ちょっと燃えるかなとか思うんだけど。うん、身勝手でごめん。
「あのさ、ミュル」
まあとりあえず、ここはサックリまとめておこう。
「っていうか、わたし。セックス以外、あんたには、別に全然興味ない。あんたはさ、わたしと付き合って、何がしたいわけ?」
「何って……別に」
ミュルが言い淀む。
ほら、ね?
「あんただって、ヤレればいいんでしょ。それとも、何? 映画でも行って、並んで座ってスクリーンにポップコーンでも投げつけたいわけ?」
コックリと、ミュルバッハが頷く。
「そういうのも悪かねえよ……その後で、セックスできれば」
やっぱ、そうじゃん。
「だったらさ。いいでしょ、今みたいに、お互い気が向いたときに『する』関係でもさ?」
わたしの言葉に何も言い返せないのか、ずびと鼻をすすって、ミュルが黙り込む。
雨に濡れた子犬みたいに、「きゅう」と声を上げそうな感じだ。
いやまあ、図体は「ヒグマ」みたいにデカいんだけどね……。
しかし、なんだろ? ミュルってば。
せっかく今日は、ひさびさスカッとできたのに。
面倒くさいことになっちゃったなあ……。
それに、いくらなんでも店の人は、そろそろ食事から帰ってくるだろうし、締め出されてるの解ったら、ガタガタうるさそうだし……。
うん、とっとと退散しよう。
「じゃさ、悪いけど、ミュル。わたしシャワー浴びたいし、お先に」
わたしは、ジーンズと一緒に脱げてたサイドゴアブーツを急いで履いて、場末の射撃場から飛び出した。
ドローンキーでドアを開けて、車に乗り込んで。
アクセル踏み込んだ瞬間に、わたしは、ブラをつけ忘れてきたことに気がついた。
えぇぇ……どうしよう。
いまさら、戻る気にもなれないし。
でもあれ、ショーツとお揃いで、すっごい高いのだったんだよね。
あんな店に、置いていくのはなあ。
うう、もう。
めんどくさいなぁぁぁ……ホント!
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