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「それで? ナナミ。結局、どうしたんだい?」
含み笑いを噛み殺す様子もごく涼しげに、わたしの向かいの席に座る相棒が言う。
えっと、言ってなかったね、こいつの名前は、ジョシュ。
アイスブルーの瞳に金の髪で、本当に、貴公子みたいな超ハンサムなヤツ。
もちろん、ミュルバッハよりは背は低いけど、ガタイは、まあ、いい。
なんといっても、警官になろうっていうくらいだから。
体格的に「男」の仕事って認知されまくってるだけあって、多少の例外はあれ、オフィサーに志願したがるのは、がっしり系の連中。私服警官となれば、なぜか、さらにそうだ。
そ、わたしとジョシュ、それにミュルもだけど。
我々は、私服のオフィサー、犯罪事件の捜査を担当するのね。「刑事」とかって言い方してた地域もあったみたいだけど、「探偵」の方と紛らわしいから使わなくなったんだろうと思う。
でも、わたしの感想ではさ、実は制服警官のときの方が、断然、パワーと体力は要ったと思うんだ。
確かに私服警官は、捜査だ書類だ裁判だなんだって、すごい忙しいけれど。
でも、忙しい仕事ってだけだったら、金融ディーラーでも、アパレルマーチャンダイズでも、他にいくらでも色々あって、別に性別も体格も関係ないからなあ……。
昔は女のオフィサーも結構いた、っていうの、なんだか解る気はする。
あ、そうそう、今、ジョシュに、「それで、どうしたんだい?」って、訊かれたんだっけ。
「『どうした?』 って別に、ブラ取って、そのまま帰ったけどさ……」
「ミュルバッハは、また、ナナミに何か言わなかった?」
「えー? うん……実は、それがさあ」
って、わたしが言いかけたところで、ギャルソンがランチの皿を持ってきた。
ここは、こじゃれたフランス風のカフェ。同僚連中はまず来ないようなとこだ。
そんで、これはジョシュの趣味。
ジョシュが涼しげに口の端を引き上げて、「ありがとう」なんて言うと、ギャルソンが耳の付け根をポッと赤くした。
……おいおい、ギャルソンくんよ。
こんな場所、クールでハンサムなゲイくらい、いっぱい来るでしょ?
なに、いちいちトキメいてるのだ、君は。
わたしは鳶色巻毛の若いギャルソンに、内心でツッコミを入れた。
あ、そうそう。
バディはゲイです、ハイ。
ジョシュは、身なりも綺麗。
ライトグレーのシャツに、きちんとタイを締めて、黒に近いネイビーのスーツ。
ほんのりコロンとかつけたりなんかして、普通の女性よりも、ずっと身だしなみがいい感じ。
だから、張り込みなんかで、相棒と二人車両に長時間押し込められるはめになっても、ジョシュが相手だと、本当に助かる。
だって、相方がむっさい男で、風呂も面倒がって入らないみたいなヤツだとさ、さすがにうんざりしてくるからね……。
まあ、ゲイって基本、身ぎれいだよね……なんて。
そんなこと言ったら、それこそこっちだってセクハラだけどさ。でもジョシュに関しては大丈夫だ。
とにかく、わたしにとって、ジョシュは特別。相棒だから。
お互い、ほぼ隠しごとはなし、っていうか。
朝から晩まで一緒、どうかすると休日も潰して捜査するわけで、こう顔つきあわせてちゃ、何かを隠そうったって、そう簡単には隠せない。
だから、ジョシュは、わたしとミュルとのことも知ってる。
ということで、ジョシュの好きな「こじゃれた店」でランチしながら、昨日の射撃場での顛末を話しているわけ。
美しいフォークさばきで、ジョシュがひらりと、クスクスをくちびるへ運ぶ。
「それで、ナナミ? 結局、ミュルバッハを捨てたの?」
「いや、あのさ…『捨てた』とかって、そもそも、そういうつきあいじゃないんだってばよ、ジョシュ」
えーっとさ、ほら、たまにやるだけのカジュアルな関係? みたいな?
「でも、ナナミ、ミュルバッハのこと、気に入っていたんじゃなかったのかい」
「身体はね」
そうなの、身体は。
非常に……。
ブラを取りにガンレンジに戻ったときも、ミュルのヤツ、まだジーンズの前開けたまま、床に座り込んでいた。
それでわたしを見上げて、ずびって鼻すすって、
「……ミュルってばさ、『俺もう、お前と寝ないから』だって」
プッと、ジョシュが噴き出した。
そして、数秒間笑いを噛み殺し、ジョシュはごく優雅に、ナプキンでくちびるを拭う。
「なんだ? ナナミの方が捨てられたのか」
「だーかーらー、捨てただなんだって関係じゃないんだってば、ジョシュ!」
ついムキになってしまい、声の音量が上がってしまった。通りがかりのギャルソンが、ちらっとわたしに視線を向ける。
ここがジョシュのお気に入りなのは、料理と店のムードのほかにも、ギャルソンが美形ぞろいだからっていうのがあると思うんだ。
でも彼ら、わたし好みではない。みんな華奢すぎて。
わたしとジョシュがうまくやれるのって、ふたりの男の趣味に、全然共通点がないからだなって思うよ。
うん、男の奪い合いみたいなケンカには、絶対ならないからね。
そして……。
ギャルソンたちよ、ああ、もう。さっきから君たちは。
ジョシュをチラ見した後、
ナニ?! その隣のチビっこいオリエンタルは? 彼女なの?! キィィーギリギリ!! みたいな目をして睨むの止めて。
そりゃ仕事柄というか立場上というか。
ジョシュは、今、ゲイオーラを抑えに抑えてはいますよ、いますけどさあ、君たち。
同類なら、そこはちゃんと嗅ぎ取んなさいって。
あのね、こいつは、ゲ・イ!
多分、この人、君らの先輩とか同僚とかに、結構手を出してるはずだよ? 訊いてみぃ?
あと。
斜め後ろと、右横、テラス席の女性諸君。
無駄だから、その熱い視線。ぜんぜん意味ないから。
わたしの前に座ってる、このカッコイイお兄さんはね、性別女とか、クロスドレッサーとか、なんでもいいけど、ともかく「女」には、一切、興味なし、関心ゼロだから。
あなた方の人生に、ほんの一ミリたりともクロスすることがあり得る男じゃありません。
貴重な若さの無駄遣いだよ。
命短し恋せよ乙女、長くはない人生です、速やかにほかをあたりましょう。
だからほら、わたしのことも、チクチク睨まないで下さいよ。
単に、仕事のパートナーです。はい、別に寝たりしてませんから。
ちらっと見たことある裸も、上半身どまりです、そこのところヨロシク。
というか実のところ、ジョシュは私服警官には見えないだろうなあとも思うんだ。
スーツの仕立ては良いし、タイの趣味もいい。
そうだね、見た目は、大手法律事務所のやり手弁護士か、そうでなければオーキッドストリートあたりにある老舗画廊のディレクターかキュレーターってところかなあ……。
「まあ、ともかく。ミュルとは終わったってことになるのかな、ナナミ?」
終わったって……、ジョシュ、あのね。
「別に、何も始まってないし」
「でも『もう寝ない』って、言われたのだろう? どうするの?」
そんな風にジョシュに訊かれたとき、奥の方から急に熱いものが、とろりと落ちてきて、わたしは小さく悲鳴を上げそうになった。
うーん、すごくキチンと洗浄したんだけどなあ……。
ミュルってば、中でどんだけイったんだよ、あいつ。
って、まあ……「ミュルの」だけじゃなくて、実はわたし自身も、昨日の余韻がすごくて。
結構、色々とまだ敏感なままだっていうのもあるのかもしれない。
……なんか、すごく濡れやすくなってる。
バースコントロールについては、人によって結構好みがあって、内分泌系を直接薬品でいじる昔からの方法を取る女性も、まだまだ多くいるけれど。
ホルモン分泌って、やっぱり相当繊細だから、わたしなんかは、体調や精神状態に、すぐ左右されちゃって、薬品でホルモンを調整するのは難しくって、苦手だ。
なので、避妊については、わたしはナノマシン派。
性交回数やら射精の回数やらは、相当の耐久性があるって、一応、製品の保証はしっかりしてるんだけど。
それでも、あの巨大なミュルに、あんまり「がっつかれる」と、マシン壊れないだろうか……と心配になるときもある。
ナノマシンの避妊失敗率の低さも相当ではあるけど、まあ、疑似妊娠状態を作るピル方式は、避妊率ほぼ百パーセントだから、そっちを好む人もいるってことなんだろうね。
ミュルバッハとセックスし始めたころ。
行為の後……翌日とか翌々日とか、いつまでも下腹部に鈍痛みたいなのが続いちゃうのが、ちょっと怖くなって。
ヘルスチェックに駆け込んだことがあった。
だってさ、その…あんなに「すごい」ので、奥まで激しくされたことって、正直なかったし。
子宮とかが、もうなんかどうかなってんじゃないのか? みたいな、漠然とした不安というかさ。
普通にプロープで内診してもらったわけなのだが、そのとき、ほんと。
……どうしようかと思った。
上手に音波画像撮るために、いろんな場所に押し当てられるわけだけどさ……。
別に、あれなんだよ?
どっか悪かったらどうしよう……って診察に行ってるだけで。どっちかというと、不安で緊張した状態だったわけなのに。
……なんで感じてるんだよ? わたし?! って。
特に奥の、その…子宮口付近とか? かな、押し当てられたときの、じくんとした感覚。
なんか、ここで濡れたりしちゃったら、どうしよう……とか。
逆にそっちの方が気になり出す始末で。
わたくしナナミは、もうちょっと可憐な娘ではなかったか?
ここまで淫乱ではなかったはずなのだが……何を開発されちゃってんだ? わたしは、って、エロ映画ですか、これは。
えっと……うん。
いや、だからね。
ジョシュに、「ミュルに『もう寝ない』って言われたって、どうするの、お前?」みたいに訊かれて。
正直、わたしも「どうするかなあ……」って。
昨日は十分すぎるほど、したし。
「ヤリだめ」ってのができるなら、当分は大丈夫だろうなって思うほどなんだけど。
でも、寝だめ食べだめっては、できないって言うし…ってことは、ねぇ。
あ、なんか、わたし。昼間から、思いっきり下品かも。
予想どおり、今日は足も腰もガクガクになってて、なんか首までも、えらい筋肉痛になってたりするのに。
今晩も、ミュルと「しろ」って言われたら、うーん、まあ「してもいいかな」って思ってる自分もいたりして。
それでもってジョシュも、そんなことはたぶん、お見通しなんだろうなあ。
結構、長いつきあいだもんね、われわれ……。
「ミュルバッハのほか、今、誰かいたっけ? ナナミ」
「いない……」
ジョシュは、鴨のコンフィーから、フォークとナイフで器用に骨を外した。
そして、ひょいと骨をつまんで、くっついている肉のかけらに、直接口をつける。
ちょっとちょっと。ジョシュ。
休憩中とはいえ、今、われわれ、一応、仕事中だから。
周囲に、無駄にフェロモン振りまかない振りまかない。自重して、ほら。
「それなら、今は実質、ミュルバッハが、ナナミの『ステディ』みたいなものだろう? 違うかい」
……え?
なに、ジョシュ。そういう解釈、来るか。
「違うにきまってんでしょ、ジョシュ。わたし、ミュルのこと全然好きとかじゃないし」
ふうん、と、ジョシュが涼しげな相槌。
「ってさ、だって。あんな頭空っぽなセクハラ男と? 『ステディ』とか『つきあう』とかって、ないない。無理」
おや、そうなのかい? と、えらくスカした調子で、ジョシュがわたしに応じる。
そして、「僕はあまりつきあいないから、ミュルバッハのことは良く知らないしなあ……」と区切り、ふわっと笑んで、「寝たこともないし?」と付け足した。
「とにかく、あんなアホ。セックスする以外、間なんか持たない、酒飲んでたって会話とかできないに決まってる」
わたしは、すっかりふやけきったクスクスをフォークで掬って口にほうった。
と、ジョシュが皮肉気にくちもとを緩める。
「……ちっちゃなお人形みたいな見かけのくせに、ナナミはキツイな」
「それだから警官やれてるの」
わたしは即答した。
なるほど? それもそうだ、と。
ジョシュは、溜息みたいに言って笑った。
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