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そんなこんなで、場末の射撃場での「コソ練」から、二週間くらいたっただろうか。
数日前に受けた射撃の定期評価……の再テストの結果が戻ってきた。
そう。初回はコソ練の甲斐もなく、武器携行許可が取り消されかねないほどの悪成績だったのだ。
再試験を課せられたとあっては、さすがに、相棒として捨て置けないと思ってくれたジョシュが、つききりで見てくれて、最終的には、なんとかクリアできたんだけど。
ジョシュときたら、特訓中。
「ナナミ。いいね、銃抜くときは、絶対、僕の前に立ってからにしてくれよ」だってさ。
わたしに後ろに立たれていると思ったら、身の危険を感じて、怖ろしくてどうしようもないんだって、まったく。
いくらわたしの射撃がヒドイってったって、相棒の背中ぐらい守れますってば……と言いきれる自信、結構…ないかもしれない。
まあ、捜査中に武器を使用しなければならないような事態って、実はほとんど起こらないんだよね。
アクション映画じゃないんだからさ。
せいぜい、いきなり逃げ出した質問相手を、走って追いかける程度で。どちらかというと、話術と事務能力の方が必要なお仕事です、ハイ。
そんな懸案を、なんとかクリアできて、せいせいしたところではあったのに。
この二、三日、わたしはなにやら注意力散漫で、警部宛ての報告書でミスを連発してしまった。
おや、メンストレーションにはまだ早いよな? って、ジョシュがぼそっと、わたしに訊ねる。
「排卵日…でもないか」
はあ、どうも。
御心配ありがと、ジョシュ。
まあ、もしかしたら、そろそろかもしれないけどさ。
それにしたって、本人よりも、そういうバイオリズム詳しいって、あんた一体、なんなのって感じだけど。
ジョシュは、御愛用の高級筆記具でこめかみをつつきながら、「ふむ」と金の睫毛を伏せ、何事かを考え込む。
そして、上目づかいにわたしを見上げると、ごく小声で「……もしかして、欲求不満かな」と囁いた。
反射的にジョシュの左頬へと繰り出されるファイルを持ったわたしの右手を、ジョシュがさくっと防御する。
たしかに、あれから。
……わたしは、ミュルバッハとは一回も寝てなかった。
「図星を指されると暴力的になるっていうクセはいただけないな、ナナミ」
わたしの手首を握ったまま、ジョシュが静かに言う。
「……離してよ」
「何度も書類の訂正するなんて、そんな非生産的で合理的でないこと、僕は嫌いだ」
いや、あんたが訂正するんじゃないでしょうが、と言おうと思って口を開きかけたところで、ジョシュがわたしの手首から、ふっと指を離した。
「スカッとしてくれば?」
してくれば? って、簡単におっしゃいますけどねぇ、ジョシュ。
「お前とは、もうしない」って。そのようにおおせだったのよ、あの岩男は。
「別に、ミュルバッハじゃなくても、とりあえず誰かほかのと寝てくればいいじゃないか?」
「……まあね」
そりゃそうですが? でも誰と寝るってのよ。
と、むっつりと黙り込むわたしに、ジョシュがアイスブルーの瞳を悪戯っぽく輝かせて言った。
「ああ、ミュルバッハじゃないと満足できない?」
は? いえ別に、そういうんじゃありません。
たださ? 急に「ほかのと」って言われても。
あんたと違って、そう簡単に引っ掛けてきて、どうこうってわけにもさあ……。
ジョシュが肩をちいさくすくめて、
「だから意地張らないで、ミュルバッハとつきあうことにすればいいんじゃないか」と言う。
「ちょ、何で、そんなこと妥協しないといけないのよ」
って、別に意地とか張ってないし。
「じゃあさ、ナナミは、ミュルバッハが他の女を抱いてもいいわけ」
「ええ、一向にかまいませんが」
わたしは即答する。
うん、これはやせ我慢でもなく何でもなく、本音だし。
でもミュルが誰を抱くとかなんとか、それはともかくとしても。
わたしは、たしかに……。
すごくミュルのセックスが恋しかった。
ふとした拍子に何かがよぎると、それだけでもう、奥が熱くなって痺れてくるぐらいに。
っていうか、ホント。
一発ヤってスカッとしたいんですけど。
+++
ということで、ヤることにした。
仕事に影響が出るようでは、まったくいただけないからね。うん。
あいつが抱えている大きな事件の陪審審理は、たしか昨日で終わってたし。
きっと今頃は、分署の近所のバーで、ウダウダしてるはず。
……ほら、いた。
デカい図体だから、すぐ見つかる。
わたしは店のスウィングドアを押し開けて、中へとズカズカ入って行く。
すでに何杯目かのビールを飲み終えて、目をほんのりと充血させている同僚たちが、
「ナナミ! 珍しいねぇ、こんなところにお出ましとは? なんだよ『レディ』を引っ掛けに来たのか?」とかって、からかいの声を掛けてきた。
ハイハイ。こんな「男の聖域」に目障りな同僚が踏み込んできて、どうもすいませんよ。
とかなんとか、彼らに向かって、内心でそんな皮肉をお返しする。
ま、わたしだって、普段は絶対、頼まれたってこんなとこ来ないし来たくもないし、今日だって、用が済んだらすぐ出ていくけどね?
店に始終たむろっているオフィサー狙いの女の子たちが、なんとも言えない視線で、遠くからわたしを見ている。
だーかーらー。
別に、あんたらを引っかけに来たんじゃないってば、ご心配なく。
そんな誘ってほしげな女が遠巻きにうようよしているっていうのに、ミュルバッハときたら。
近寄るなオーラ出しまくって、カウンターでひとり、暗くバーボンを呷っていた。
わたしは真っ直ぐにミュルの隣へと歩み寄り、バーボンボトルを軽く持ち上げてから、カウンターにゴンと置く。
ハッと我に返ったように、ミュルバッハが顔を上げてわたしを見た。
「時間ある?」
誰にも聞こえないよう、ボソリとそれだけ言って。
わたしは、そのまま店を出る。
+++
一ブロックほど歩いたところで、背後に人の気配が迫ってきた。
念のため腰のホルスターのホックをはずし、シグのグリップに手を掛ける。
「……ナナミ!」
アホっぽいデカい声。
一応、わたしは銃を握ったまま振り返った。
岩みたいに大きな男が、わたしを見下ろしている。
ミュルバッハの目は、明らかに欲望でぎらついていた。
なんかさ、「お前とは、もう寝ないから」とかなんとか言ってなかったか? こいつは?
……まったく、もう。
「別にどこでもいいんだけど、すぐできるなら」
単刀直入に、わたしは言う。
「俺の部屋なら、すぐそこだぜ、ゲイシャガール」
言ってミュルバッハは、無精髭の口もとを、ニヤリと緩めた。
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