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「幸せのトイレットルーム」という言葉を、聞いたことがある人もいるかもしれない。
この頭の悪そうな名前のついたトイレというのは、ある地方都市――つまり私の住む街――のはずれにあった、公衆トイレのことだ。
その中で出産された子供は幸せになれるという、どこをどうしたらそんな話に仕上がるのかもよく分からない、こじつけるにももう少し何かなかったのかと言いたくなる、本当に頭の悪そうな都市伝説。
十七歳の一学期が終わろうとしている七月、今日の今日まで、私はお母さんからそのトイレの話をことあるごとに聞かされた。
「|菜摘〈なつみ〉は、そのトイレであたしが産んだんだよ。だから絶対に幸せになれるからね」
シングルマザーで育ててくれていること、虐待のような仕打ちはなかったことも、感謝している。
でもやっぱり、「公衆トイレで産んであげた」と言われて、いい気持はしなかった。
「あのね菜摘、普通そういう出産って、産んでも育てられない親が、子供を捨てるためにやるのね。中絶できなくてさ。あたしの時はどうしても妊娠したことを親に言えなくて、でも産みさえすれば絶対にいいことが待ってるって信じてたから、それで一人で、幸せのトイレットルームで産んだの」
楽しそうに――武勇伝みたいに?――その話を繰り返すお母さんは、私の無感情な「ありがとう」に、いつも心底嬉しそうな顔をする。
なぜ私がそんな出生を喜ぶと思うのか、今でも理解できない。
とっくに朽ちて壊れたらしいそのトイレを、お母さんが微笑みを浮かべて思い出しているのも、気色が悪い。
私は父親がどんな人かも知らない。
どんな男の人だったのかと尋ねると、お母さんは目を伏せて、
「一緒にいても幸せになれない人だよ」
と答えた。
なぜ私は、そんな人との間に作られたのだろう。
中学の時には生理がきた。
私はもう、子供を産める。
でも、どういう風に産むかは、私が決める。
それは少なくとも、一緒にいて幸せになれない人とではないし、場所もトイレではない。
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