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不満
夏の夜。
都会の小さなワンルームで、同居人に対する彼女の心は許容量を超えた。
「いい加減にしてよ!!?」
感情を露わにする彼女に対し、相手の”男”は微動だにせず、ただ床に突っ伏すだけ。
反省しているのかしていないのかわからない。感情が無いかの如く、その表情は変化しない。
「もう、限界なのよ、この生活には。……覚えてる? 私が一人でこの部屋に引っ越してきてから、あなたはすぐに勝手に入ってきたわよね。そりゃ驚くわよ。気付いたら、真っ黒な格好でそこにいるんだから。でもさ、こっちは引っ越したばっかりで、何の準備もしてないわけじゃない? すぐにいなくなるかと思って放っておいたの。追い出すのも、ちょっと可愛そうかなって。私もあの時は、特別あなたのこと大嫌いってわけじゃなかったから。……そしたら、あなたは朝でも昼でも夜でも部屋の中あちこち走り回って! 勝手に人の物を食べたり! ほんと、信じられないわ!! 挙句の果てに奥さんと子供まで部屋に連れ込んで……!!」
肩を振るわせ、目には涙が浮かぶ。
短い期間に、彼女の相手に対する無感情が、やがて嫌悪、そして憎悪へとすり替わってしまった。
「だから、もう終わりにしましょ……? その方がお互いのためになるわ」
”男”は動じない。喋りもしない。
じっと彼女を見ているように見えるが、焦点がどこにあるのか見当も付かない。
”男”の黒く鈍い光沢のある格好すら、今の彼女にはひどく疎ましく思えた。
「ああ、そう。何も言わないんだ……。じゃあ、別に死んでも良いわよね?」
彼女の右腕にぐっと力が入る。
掌には凶器が、潰れんばかりに握られていた。
しばし沈黙が続く。
彼女も”男”も、二人で過ごす最後の時を感じていた。
人差し指が引き金にかかる。
「さようなら」
彼女の言葉が発せられた直後、”男”に向かって大量の煙が発射音と共に放出された。
すぐに、あれだけ大人しかった男はもだえ苦しみ、奇声を発し、手足をばたばたと激しく動かした。
それでも彼女は指の力を緩めない。
二人がいる空間はすっかり薄雲に覆われたように煙が充満した。
さすがの彼女も、少々咳き込んだ。
約1分に渡って苦しんだ後、”男”は仰向けになり再び動かなくなった。
ようやく彼女の緊張が解ける。
「はあああぁぁ……怖かったぁ……」
そう言って、凶器を近くの机に置いた。
これでようやく彼女に安寧の日々が訪れ――
”カサカサッ”
背後で足音がした。
「……そうだわ。まだ子供と奥さんがいたんだった」
彼女は机上の殺虫剤を、再び手に取った。
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