『6年前』

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『6年前』

 ―― 始まりは、6年前の『その日』だった。  そう、アルベルト第ニ王子に対する『殺人未遂』と『国外失踪』という大事件の起きた、あの夜だ。  王妃・デルガネードは、丹念に磨き上げられた石造りの窓枠に手を添えて、外の景色に眼をやった。  高楼の窓から臨む夜の静寂(しじま)は、言い知れぬ恐怖を覚える。  時折、雷音が夜空を震わせる。  あたかも腹を空かせた天空の獅子が、獲物を前にして喉を低く鳴らすかのように。  ふぅ……と息をひとつ吐き、壁に掛かる豪奢な時計に視線を移す。  綺羅びやかな赤い宝石があしらわれた短針は、間もなく深夜の2時になる事を示している。  本来であれば。  ここから先に起こる事について、自分は『一切、預かり知らぬ事』である。ならば、こうして起きているのではなくベッドに入って寝たふりでもすべきであろう。  しかしながら、これから起こる事の恐ろしさを考えれば。  ……到底、横になっていられる程に気持ちの余裕はなかった。  その時。  コンコンコン……コンコンコン……。  王妃の寝室のドアを、何者かが小さな音で叩く。  思わず王妃が時計を振り返るが。  ……いや、早すぎる!  まだ『決行の時間』には5分もあるではないか!  更に(わたし)のところへ伝令が来るのは、もっと後になって然るべき……。もしや、何か不手際でもあったのだろうか?!  デルガネードは慌てて鍵を開け、そっとドアに隙間を作る。  外には配下の近衛兵が跪づいていた。 「……如何した?」  身を屈め、小声で尋ねる。 「も、申し上げます……!」  近衛兵が辺りを注意深く伺いながら、王妃に顔を近づける。 「第二王子殿下の……アルベルト様の御姿が、お部屋にございません。もぬけの殻だと、リーエ隊長から伝令が来ました……っ!」 「何……っ! ア、アルベルトが……」  思わぬ報に、デルガネードの顔が強ばる。  何という事……!  だが……ここで立ち回りをしくじれば、『アルベルト計画』が露見して今度は逆に自分の身が危うくなる!……それだけは絶対に避けねば!  近衛兵の顔に血の気は無く、額に脂汗を浮かべている。 「い、今、親衛隊が懸命に捜索をしておりますが、発見には至っておりません! い、如何しましょうや?」 「くっ……闇雲に騒ぐと、返って騒ぎを大きくしかねんっ! だ、誰ぞ‥‥誰ぞ近衛兵に『遠視』の利く共鳴(レザナンス)遣いはおらんのか!?」 思わず声が昂る。 「残念ながら……近年ではレザナンスの能力を持つ者そのものが減っており、高い共鳴域を誇られた『エマニエル第二夫人様』が亡き今、遠視の利くものが宮殿にはおらず……」 「ええぃ! その名前を出すでないわ!」 『エマニエル第二夫人』  王の正妻として、それは(はらわた)が煮え繰り返るほど恨めしい『名前』。 「他に何か変わった事は無いか? たまたま部屋に居なかっただけで、宮殿の何処かに残っているのではあるまいか? 何しろ聡明とは言えアルベルトはまだ11歳。独りで宮殿を出るとは到底思えん!」 「実は……」  近衛兵が、もう一度辺りを伺う。 「同時に暗殺する予定だった、後見人であるドゥハン公の姿もありません……! どうやら妻子もろとも消えたようです。更にアルベルト様のお部屋からは最低限の身の回り品が無くなっております。これは……」 「おのれ……ドゥハンめ! さては危機を感じ取って『可愛い甥』と共に逃げたか……!」  ……何と言う事だろうか。ここまでは全て順調だったというのに! 「追っ手を出しなさい!すぐに! 逃がしてはならんぞっ!」  紅潮したデルガネードの顔が、押し寄せる悔しさに歪んだ。
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