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第1コーラス目「合唱!」
『仰げば尊し』という言葉は今は昔。卒業という言葉はかりそめに。特にほぼ全生徒が同じ中学に進学する小学校では、児童の感動もいかほどか。ただ、感動するは親ばかり。ところが、ここに一人だけ感涙にむせる少女がいた。
その名を煌輝真湖という。何事にも感動しやすい性格なため、他の子達が壇上で誰かが挨拶をしているのを横目で見ながらクスクスと笑っているところに、真湖は一人ハンカチを離すことができずにいた。せっかく母親が大枚はたいてレンタルしてきた袴を着せてもらったというのに、馬子にも衣裳が台無しである。
「真湖ちゃん、大丈夫?」
真湖の後ろに立つ合歓乃愛琉が心配そうに声をかけた。乃愛琉は真湖の無二の親友である。普段から好奇心旺盛でどこでもチョロチョロする真湖に対して、比較的低学年の頃から落ち着いている乃愛琉は、どちらかというと保護者的な立場に近い。
「う゛ん……。大丈夫」
とは言いながらも涙は止まらなかった。ついでに鼻水も。
「在校生からの合唱曲を送ります」
在校生からの合唱曲での見送りは石見沢中央小の恒例だった。去年は真湖達も歌った。今年の送り曲はアンジェラ・アキの「手紙」。真湖も大好きな曲だった。前奏が始まったあたりから真湖の感動は最高潮になった。
「ぶえええぇぇん。どえるぅ…」
「はいはい」
ハンカチを顔いっぱいに広げて泣きじゃくる真湖に乃愛琉は優しく頭を撫でてあげた。そう言えば、小学校に入学したばかりの頃もこんなことがあったような気がすると、乃愛琉は思った。どうして真湖が泣いていたのかが思い出せないのだけれど、確かに小学校の玄関前で彼女が泣いているのをあやした光景が目に浮かんだ。
「乃愛琉、変なこと思い出すね」
泣いていたはずの真湖が赤い目を乃愛琉に向けた。乃愛琉は真湖に何も言ってはいない。ただ、その時の光景を思い出しただけだった。
「だって、あの時も真湖泣いてたじゃん。なんで泣いてたんだっけか?思い出せないのよね」
それでも、乃愛琉は特に不思議にも思わない様子で答えた。
「なんかね、ひぃっく……、学校行きたくないって、ごねたような気がする……」
真湖のこの不思議な感覚は、もう随分と前から乃愛琉は知っていた。最初は時々おかしなことを言うなと思った程度だったのだが、お互いに成長していくうちに、真湖が乃愛琉の心を読んでいることに気がついたのだ。もちろん他の子には内緒だし、真湖の両親も気づいていない、二人だけの秘密なのだが。
「そっかー。真湖ちゃん、昔から朝弱かったもんね」
「えへへ」
真湖はまたハンカチで目の周りを拭いた。
ただ、この真湖の不思議な能力は普段は発現しないもので、大抵の場合は、何かに感動した時とか、驚いたりとかで真湖の感情に起伏ができる時に、直接触れることができた人に限るということが最近分かってきた。だから、今日も卒業式というイベントに心を揺さぶられた真湖に触れた乃愛琉の心を読めたのだろうと、乃愛琉は思った。
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