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◆3
「私、ヴァカンスに出かけます」
浮き輪とサングラスを装備したシャルロットが言った。
「じゃあ私も同行しよう」
ウェルテルが、そばにあったビーチサンダルを装備した。
「なんで」
「シャルロット君が行くっていうから……」
「あのですね。私は雇用主の無能さにあきれ果てて、職場を逃亡しようとしているんですよ。なんで雇用主が付いてくるんですか」
「ぐぬう。ひどい言われようだ」
心痛な心持で、ウェルテルはビーチサンダルを脱いだ。
「解毒剤はまだなんですか」
「まだだ。困難を極めている」
「ウェルテル博士の天才ぶりをもってしても?」
シャルロットは適当にウェルテルを持ち上げた。
「ああ。天才の私でも、やはり人の感情の抽出技術は難しいのだ」
持ち上げられたウェルテル、得意そうだ。
「人の感情の抽出、ですか?」
「うむ。例えば、惚れ薬の『とある人物を好きでたまらない』という感情を抽出して作った薬だ。解毒剤、つまりその逆をやるなら、『とある人物が憎くてたまらない』という感情を抽出しなければならない。それがとても難しいのだ」
「はぁ、感情の抽出、ですか……」
聡明なシャルロットはふと思った。
「じゃあ、最初の惚れ薬作ったとき、『とある人物を好きでたまらない』の感情どこから持ってきたんですか?」
「……。」
ウェルテルは固まった。
「たしかあの時、ハカセ、部屋にこもりっぱなしだった気がしましたけど……。」
「……。」
ウェルテルの目が泳ぐ。
「さて、夏季休業の件だが」
ウェルテルは無理やり話題を変えた。
「許可しない」
「えええ、なんでですか?!」
「とりあえず、現在の顧客対応は困難を極める。私一人きりで捌ききれる自信がない」
「っていうか、博士って通常時でも接客できないですよね」
シャルロットは、貴族の男から『惚れ薬』の注文を受けたときのことを思い出していた。あの時もウェルテルは部屋にこもりっぱなしで部屋から一ミリも出てこなかった。
突然やってきた貴族の男に、お茶を出してソファーに座らせ、事情を聴き、薬の注文を受けたのはシャルロットであった。
……しかし、シャルロットでは惚れ薬を完成させることはできなかっただろう。
しかし、ウェルテルはいとも簡単にその薬を完成させた。やはり彼は天才と言わざるを得ない。
ウェルテルはシャルロットなしでは生きていけないとダメ人間発言をしたが、それはシャルロットだって同じだ。ウェルテルなしでは、この研究所は成り立たない。
「ちなみに、惚れ薬の効果が切れるまで?」
シャルロットが尋ねた。
「あと28日」
「解毒剤ができるにはあと?」
「のんびりやってるから、あと27日ぐらい」
「……。」
シャルロットは閉口した。
「とりあえず、私は解毒剤の研究をしてこよう」
ウェルテルが乗り気になったのはいいが、いくら何でも遅すぎやしないか。
「ちなみに、惚れ薬作るのにかかった日数は?」
「2日」
シャルロットはウェルテルに殴りかかったが、こぶしは白衣をかすっただけだった。
「なんでそんなに早かったんですか」
「前から作ろうと思ってたし。惚れ薬」
「うっわぁ……」
「じゃ、例のごとく、来客対応よろしく~~~」
ウェルテルは白衣を翻して、実験室へと逃げていった。
「はぁ……また、ウェルテル大好きクラブ過激派が来たらどうしよう……」
シャルロットは机に頬杖をついて悩んだが、それは杞憂だったようだ。
「ウェルテル博士は在宅か」
玄関のベルも鳴らさずに、猟銃を構えた男が研究所に押し入ってきたからだ。
「あなたは……」
シャルロットは机から立ち上がった。
「覚えているか。ウェルテル博士に惚れ薬の依頼を出した、貴族だよ」
その顔に、覚えはあった。
「覚えています。貴族のアルベルトさん。でも、どうしてここへ……」
「恋に破れた私は川に惚れ薬を投げ捨てたが、その行為は間違っていたことに気づいたのだ」
貴族の男は、猟銃を構えなおした。
「俺も、町中の女性からもモテモテになりたい!!」
ええい、どいつもこいつも!! シャルロットは床に書類を投げ捨てると、そのまま両手を上げた。それにしても、最近はこういうパターンが多すぎる気がする。近頃は、銃器や刃物を片手に、研究所に押し入るのが流行っているのだろうか?
「ともかく、惚れ薬を渡してもらおう」
流行最先端のアルベルトが言う。
「また、ウェルテル博士に依頼すればいいじゃないですか。お金を払って、作ってもらえば」
両手を上げながら、シャルロットは平和的解決を目指す。
「そうはいかない。私は前回の依頼で文無しだ。それに、モテモテ薬は私が独占したい」
胸がすくほど正直者だ。シャルロットは感心したが、絶体絶命のピンチである。ようは押し入り強盗なのである。
「ウェルテル博士を出せ」
「無理です。あの人実験室にこもると、何が起きても出てこないんですよ」
例えば、発砲音がしたり、防衛用ゴーレムが起動したり、弓矢が放たれたり、手裏剣が壁一面に突き刺さったり、その他いろんな騒動が起きても、ウェルテルは絶対に実験室から出てこないのだ。いいか、絶対にだ。
「それならばこちらから尋ねるまでだ。こい!」
アルベルトはシャルロットを引っ張ると、猟銃を突き付けて案内を促すのだった。
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