9人が本棚に入れています
本棚に追加
◆4
実験室のドアが開けられた。
「おや、ここまでお客さんが来るとは珍しい」
フラスコを持ち、実験中のウェルテルが穏やかな声が言った。この野郎、人が銃突きつけられて人質になってるときに、第一声がそれか。
「ウェルテル博士、久しぶりだな」
アルベルトがにやりと笑った。ウェルテルはゆっくりと振り向いて、アルベルトと銃を突き付けられているシャルロットを交互に見比べて、困ったように笑った後、こう小声でささやいた。
「……誰だっけ?」
「貴族のアルベルトさん!! この人が惚れ薬依頼したんだよ!!」
シャルロットが泣きそうな声で言った。何なんだよこの雇用主。
「そうだったっけ……まぁいいや。追加の惚れ薬が必要かね?」
相変わらず、穏やかな声でウェルテルが応対する。押し入り強盗を刺激しないマニュアルがあるとしたら、きっとこの対応が正解なのだろうが。ウェルテルの場合、ただ単に何も考えていないだけの気がする。
「その通り。ここにある惚れ薬、すべて出してもらおうか」
「すべて?」
ウェルテルがきょとんとした顔をした。
「さもなくば、この女の頭が吹き飛ぶことになる」
アルベルトが、シャルロットにぐっと銃を突き付けた。
「ふむ。それは弱ったな」
全然弱っていない声で、ウェルテルが言う。
「まぁ、まずは銃を下したまえ。彼女は私の大切な助手だからな」
「だから人質に取っているんだ。俺の言うとおりにするがいい」
「ううむ。弱ったな」
ウェルテルが、普段と変わらぬトーンで呟く。
「私は何をすればいい?」
「だから、惚れ薬を全部出せ、と言っているんだ!!」
「ふむ、いいだろう」
シャルロットは意外だった。ウェルテルが、強盗の言いなりになっしまうとは。
「しかし、全部か……」
ウェルテルがうなった。
「全部だ!」
「とりあえず、5トンある」
「5トン!?」
シャルロットが叫んだのと、アルベルトが叫んだのは同時だった、
「なんでそんなに作ったんだ!?」
「いやぁ、クスリ漬けにしようと思って……」
何か物騒な単語が聞こえた気がする。
「貴様、なかなか欲深い人間のようだな。そこまでして女性にモテたいのか?」
アルベルトが尋ねる。
「いや、私はただ一人の人間をクスリ漬けにして、あんなことやこんなことをしようとしているだけだよ」
犯罪めいた単語がぽんぽんでてくるので、シャルロットは冷や汗をかき始めた。
「しかしこの薬には致命的な弱点があってな……効果が30日しか持たないのだ。すなわち効果を継続させるには、連続投与、すなわちクスリ漬けが必要で」
「ごちゃごちゃうるさいぞ! 速くよこせと言っているんだ!」
「まぁいいだろう。小分けにして分けてやる。そら」
ウェルテルは、棚の上にあった瓶を投げてよこした。
「そら、もう一本」
ウェルテルが連続して瓶をパスする。アルベルトはあわてて、両手で瓶をキャッチし始めた。
今だ!シャルロットはスキを突くと、アルベルトの間合いからから逃げ出した!しかし、そこに惚れ薬の瓶が直撃する!!
「ギャーーー!!」
薬の瓶から栓がすっぽ抜け、中身の液体が散乱し、シャルロットに命中した!!液体は地面に降り注ぎ、足を滑らせたシャルロットは、すさまじい音を立てて盛大に地面とキスした。
「くそっ、騒がしい奴らめ!!」
アルベルトが銃を構えた。銃口は、ウェルテルの方を向いている。
「お前はもう用済みだ。残念だが、お前にはここで死んでもらう」
銃口を向けられたが、ウェルテルは微動だにしない。ニコニコとほほ笑んだままだ。引き金に指があてられても、それに力が込められても、ウェルテルはニコニコとしたまま、動こうとしない。
引き金は引かれた。
……。
弾は出ない。
「馬鹿な……」
「惚れ薬、もっといるかい?」
ウェルテルは、ニコニコと微笑んだまま、両手に惚れ薬の瓶を抱えている。
「くそっ、さっき銃を濡らしやがったな……!」
アルベルトはカスカスと引き金を引きながら、後ずさった。猟銃に水分は厳禁である。
「まぁいい、もう目的のものは手に入れたんだ。あとは、これを川に流せば……!」
アルベルトは両手に惚れ薬を持つと、どたどたと研究所から退出していった。
ウェルテルはにこにこと微笑んだままである。一方、惚れ薬の雨を食らい、ずぶぬれになったシャルロットはしばらく地面に伏せていたが、ようやくよろよろと立ち上がった。
「……ウェルテル博士……」
シャルロットの声は弱弱しい。
「ということで、クスリ漬けにしてみたけど、気分はどうだい、シャルロット君?」
ウェルテルは得意げだ。
「……」
シャルロットは息を吸い込んだ。
「解毒剤、完成してたのなら、言ってくださいよ……」
立ち上がったシャルロットは、すぐにがっくりと膝をついた。そう、『惚れ薬』とラベルされた薬の中身は、すべて解毒剤だったのだ。なんでこんな小賢しいことを。
「ほら、こうしておけば、アルベルト君が、解毒剤を町中にまいてくれるだろう?我々の手間も省ける。我ながら天才じゃないか」
「だからって、私に瓶の液体、かける必要ありました?」
「それはなんとなく、趣味で」
「どういう趣味してるんですか……」
「まぁ、危ない目に合わせて悪かったとは思ってるんだ」
ウェルテルはタオルを手渡した。シャルロットは素直に受け取ると、頭を拭き始める。
「悪かったと思ってるなら、今日の部屋の掃除、ちゃんと自分でやってくださいね」
「ううむ、善処しよう」
割れた瓶の破片を見ながら、ウェルテルは自信なさそうに呟く。
「っていうか、解毒剤、5トンも作ったんですか?」
顔を拭き終わったシャルロットが尋ねた。
「いいや。5トン作ったのは、惚れ薬の方だよ」
「なんでそんなに……」
「クスリ漬けにしたら、さぞかし楽しいだろうなぁ、と思って」
悩ましげに、ウェルテルが言う。
「でも、そうなると、私の世話をしてくれる人がいなくなるし……」
「……何の話してるんです?」
顔を拭き終わったシャルロットが、タオルを首にかけた。
「ううむ。シャルロット君は、実に洞察力が足りないな。錬金術師としてまだまだと言わざるを得ない」
<終>
最初のコメントを投稿しよう!