第三章 あじさい茶屋

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第三章 あじさい茶屋

 この世の人間がとにかく嫌う梅雨というものが狭間にも存在する。洗濯物が乾かないだとか、低気圧で頭が思いだとか。  妖にもそういう気候に左右されるものいるが、紙織(しおり)にはあまり関係なかった。手紙から派生した付喪神(つくもがみ)の類なら紙ゆえに湿気や水には弱いだろうが、紙織の場合は付喪神とは違う。 「私は手紙に宿っていた『想い』が形になって生まれたの。だから付喪神とは性質が少し違うんだ」 「ふうん。そういうのってなんていう妖になるの?」 「さぁ? 私も知らない。でもそういう想いが形を成した妖っていうのも結構いるんだよ」  紙織は大きめの傘をさし、糸桜(しおう)と並んで歩いていた。糸桜はその翼で大きな袋を抱えている。 「浮橋は?」 「浮橋は私と違って妖と妖が愛し合って生まれた子だから、ちゃんと親きょうだいがいるよ。ただ、それも、元を辿れば誰かの夢からあの一族も始まってるんだと思うけどね。卵が先か鶏が先か…みたいな途方もない話だね」  そう言うと、糸桜は首を傾げた。脳内にたくさん浮かべただろう疑問符が見えそうで、紙織はくすりと笑った。  糸桜は現在、紙織の元で狭間のことや店のこと、妖についてなど様々なことを学びながら暮らしている。紙織も糸桜の疑問にはできるだけ答えるようにしている。好奇心旺盛なようで、糸桜は何でも知りたがったし、何でも不思議がった。 「そういえば、糸桜のそれだけど」  と言って、紙織は彼の翼を指した。 「変化が中途半端なのは、君の妖気がなりたてで不安定だったこともあるんだけど、ここで暮らして二月になるし、ここのものをたくさん食べたから、もしかしたらそろそろきちんとした人型にも、元の雀の姿にも変化できるかもしれない」 「そうなの?」  紙織は笑顔で首を縦に振った。名を与え、未練を解消し、手紙屋で過ごすことで生活の基盤も整った。狭間のものを食べて生きるうち、糸桜は幾分か妖力を増したように思う。 「私に変化の指導は出来ないけど、その手のことなら(あかり)(かがや)が得意分野だよ。そのうち二人から聞いてみるといい」 「うん! そしたら僕、傘も持てるし文字も書けるようになるね。もっと紙織の役に立てるね」  糸桜は無邪気な笑顔でそう言った。紙織は空いていた方の手で糸桜の頭を撫でた。 「さて。そんな話をしている間に到着しました」  夢幻通りの東端、手紙屋から西へ向かって歩いて約七分ほど。『晴風(はるかぜ)屋』という暖簾の掲げられた店にやってきた。 「何のお店?」 「今にわかるよ」  紙織は糸桜を促し、傘を閉じて店の中に入った。  戸を開けてすぐ、いくつも並ぶ籠の中に衣類が無造作に入れられているのが目に入った。その衣類の山の中、一人せっせと仕分けをしている女の妖がいた。 「あら、手紙屋さんじゃない。久しぶりね」  髪が短く活発そうな印象を受けるが、その話し方はおっとりしている。 「こんにちは、花風(はなかぜ)。仕事の依頼に来たのだけどいいかな?」 「ええ、もちろんよ。喜晴(きはる)ー! 紙織さんが来たわよー」  二階に向けて花風と呼ばれた女が叫ぶと、バタバタと慌てるような足音が来た。 「いらっしゃい。久しぶりだな」  階段を駆け下りてきた男の妖は花風よりも髪が短いが、顔の造りは瓜二つだ。 「そうだね、久しぶり。この雨続きで着物が乾かないんだ。糸桜、それ喜晴に渡して」  抱えていた袋を糸桜は喜晴と呼ばれた男に手渡した。その瞬間、喜晴は上から下までじっくりと糸桜を見た。 「噂には聞いてたけど、ちっこいのが増えたんだな」 「うん。糸桜って言うんだ。糸桜、こっちのお兄さんが喜晴。奥のお姉さんが花風。風を操る双子の妖だよ」  紙織が間に立って紹介すると、糸桜はぺこりと頭を下げた。 「糸桜です。手紙屋で紙織の手伝いをしています」 「あらあら、お利口な雀さんね。花風です。兄の喜晴と一緒に乾かし屋を営んでいるの。どうぞよろしく」  花風がふんわり笑って挨拶すると、糸桜もつられるようににっこりと微笑んだ。 「…紙織、乾かし屋って何?」 「洗濯物を乾かしてくれるんだよ。二人は風の子だから、今みたいな梅雨や秋の長雨の時期には風を使ってちょちょっとね」  あれがその山だよ、と紙織は畳の間にある洗濯の山を指さした。 「そうか。こいつの分が増えたからいつもより多いんだな」  袋をポンポンと軽く叩きながら喜晴が呟いた。 「そうそう。私ひとりならよかったんだけど、糸桜は決して雨に強い子ってわけじゃないからね。ちゃんと乾かしてあげたくて」 「わかった、任せろ」  喜晴は端に置かれている量りに、糸桜が運んできた袋を乗せた。円盤の中、揺れ動く針が静かに止まり、示された目盛りを見て紙に数字を記した。金額を提示され、着物の袂から財布を取り代金を支払う。 「はいよ、確かに。じゃあ明日の昼には出来るから」 「わかった。明日また取りに来るね」  じゃあ、と店を出ようとした時だった。 「あ、待って紙織。あのさ…」  喜晴の顔が見るみる赤くなった。 「明日は午前で店閉める予定なんだ。だから、裏山の紫陽花を見に行かないか。近くに最近出来たお茶屋も一軒あるし、季節外れの花見というか……なんというか…」 「あらあら、喜晴は本当に格好がつかないわねぇ」 「うるさいよ、花風」  口篭る兄の情けなさを妹はおっとりした口調ながらも容赦なく指摘した。 「いいね、楽しそう。それじゃあ、仕事の依頼がなければご一緒させてもらうよ。ね、糸桜」  え、と喜晴は紙織を見た。 「紙織、花見ってなあに?」 「ああ、花見っていうのはね―」  と、二人は話しながら背を向けて店を出ていった。  喜晴は数秒、その場に呆然と固まっていた。が、 「そうじゃない!」  と叫び膝から崩れ落ちた。 「ふふふ、喜晴ってば上手にかわされちゃったわねぇ」  口元を押えて品よく笑う妹の腹黒さに、喜晴は負けじと食ってかかった。 「違うかわされたんじゃない、紙織はちょっと鈍感なんだ!」 「そうだとしても無理よ、喜晴。紙織さんには浮橋(うきはし)さんがいるもの。勝てっこないわ」 「いや、それだって違うぞ。あいつら別に恋仲じゃないからな」 「恋仲じゃないからこそ難しいんじゃない、あの二人は」  そう言った花風の横顔が、笑っているのにどこか切なげなもので、反論しようとした言葉を喜晴は飲み込んだ。  花風が店の扉を開けてのれんをくぐると、雨は上がってほんの少し空が明るくなっていた。 「……どこへ行ってしまったのかしらね、あの眩しいほど美しい黄金の妖さまは」 *  見事に紫陽花が花を咲かせるその山に、浮橋は足を運んでいた。 「若長、どうですか?」  背後から男の妖がひとり近づいてきた。浮橋ほどでは無いが背が高く、細身だがやや筋肉質な男だ。 「その若長って呼び方やめろ」 「若長は若長じゃないですか」 「お前に呼ばれると気色悪い。敬語もやめろ、遊生(ゆうせい)」  男は悪戯っぽく舌を出してみせた。 「わがままだなぁ浮橋は。俺に敬われるのが嫌なんて…そんなに俺と対等でいたいのか」  ああ?と浮橋は思い切り遊生を睨みつけた。 「冗談。冗談だからそんな睨まないで」 「こっちは真面目に仕事してんだ。あまりふざけてばっかいると吊るすぞ」  へいへい、と軽い口調で遊生は答えた。 「あっちの方は特になにもなかったぞ。まぁ俺はお前ほど敏感じゃないから、気づかなかっただけかも知らんが」  打って変わって深刻そうに遊生が言うと、浮橋は眉間の皺をさらに深めた。 「…いや。逆に俺は最近過敏になりすぎている気がする。だから、冷静な判断のできるやつを連れてきたんだ」 「お前に褒められると気持ち悪いなぁ」 「お前はどうあっても茶化したいんだな」 「いや、至って真剣だよ。お前が素直に人の手を借りようとするくらい何かよからぬ事が起きてるんだろうなって」  遊生の目線の先には夢幻通りがあった。自分たちの生まれ育った場所で、一族として守るべき街だ。 「知ってるか? 寺には紫陽花が多いんだが、それは昔、梅雨の時期の流行病で亡くなった者たちへの手向けの花として植えられたらしいんだ」 「いきなり何の話だ」 「…この山に紫陽花があるのはなんでだろうなと思ったんだよ。この世のように寺があるわけでもない山にわざわざ誰が植えたんだろうな」 *  朝まで降っていた雨粒が葉や花に残り、陽光を浴びた雫がきらりと光れば、それは美しい光景が広がった。 「季節外れの『花見』いいね。悪くない」  紙織は男物の淡い緑の着物に身を包んでいた。足は脚絆でしっかり押さえ、軽装備だが登山仕様に仕立てたらしい。糸桜にも同じような格好をさせている。人の出入りの多い山で、登山というほど本格的なものでは無いし、ある程度道も整備されている為、女の着物姿でも十分なはずだ。実際、花風はいつも通りの姿だ。 「あらあら、今『美しい紫陽花と綺麗な着物に身を包んだ紙織を見たかった』って思った?」 「双子の妹なんて持つもんじゃないなと思ってたんだよ」  顔は瓜二つでも性格は真逆な双子だ。喜晴は恨めしそうに隣に並ぶ妹を見た。 「お茶屋はあっちだっけ?」 「そうよ。あじさい茶屋って名前だったわ」 「そのまんまだね。いつ出来たお店?」 「三月ほど前かしら? この春にやってきた白と黒の狐が始めたお店よ」  紙織はしばし、手紙屋業に勤しんでいた為、近頃の夢幻の世情にやや疎くなっていた。こんな近くに茶屋が出来ていたとは全く知らなかった。浮橋は知っていたのだろうかと、今日誘っても来なかった赤毛の大男のことを思い出した。 「二人は行ったことあるの?」 「いいえ。実は初めて行くの。お客さんに聞いたんだけど、お菓子がとっても素敵で美味しいんですって」 「お菓子…」  糸桜の目が輝いた。元雀らしく初めの頃は生米などを食べたりもしていた。しかし、人型になったこともあって様々な料理を出してみると、味覚は徐々に変化した。しかし、そこは元雀。米や米を原料にしたお菓子が好物になった。 「糸桜ちゃんの好きなお菓子もあるかしらね。楽しみね」  花風は、ふわふわと柔らかい髪の毛を気持ちよさそうに撫でている。されるがままの糸桜も気持ちよさそうだ。  あじさい茶屋はすぐそこだった。紫陽花に囲まれるように建つそのお茶屋は、茶屋というより昨今のこの世で流行っている『古民家カフェ』の装いだった。建物全体は確かに木造だが、中は机や座椅子ではなく足の長いテーブルだ。 「いらっしゃいませ。何名様で?」 「あれ、狐じゃないよ?」  質問に対する答えを言う前に、糸桜がボソリと呟いた。現れたのは黒髪が美しい人型の男の妖だった。ただし耳と尻尾はちゃんと生えている。 「ああ、僕らのこと知ってるんですね。実は喫茶店を営むには人型に変化しちゃうのが一番楽なんです」  気にした様子もなく男は答えた。 「えっと、四名様ですね。こちらご案内します」  入口からは遠いが窓際のテーブルを案内された。すぐさま水が出され、紙織は浮橋とこの世の喫茶店に立ち寄った時のことを思い出した。メニュー表も人間界のものをそのまま真似ているようだ。  各々注文をすると、一度黒い狐は奥に下がった。白い狐は厨房担当だろうか。カウンター席の向こうの作業台は飲み物専用らしく、黒い狐はさらにその奥に菓子の注文を伝え、自分はコーヒーを淹れ始めた。 「すごく落ち着いていて、なんだかいい場所ねぇ。私、前々から夢幻にもこういう場所が欲しいと思っていたの」  花風が嬉しそうに言った。 「夢幻の管轄とはいえ、山の中にあってちょっと外れた場所にあるから微妙な感じだけどな」 「ああ、それなら僕の店も夢幻の東の端っこにあるから似たようなものだよ。平らか登るかの差だな」 「いや、お前の店は有名だし端とはいえ普通に歩いてれば着くじゃんか」  あたふたしながら喜晴は言った。 「東端? それって手紙屋さんのことですか?」  コーヒーを淹れていた黒い狐が手を止め、こちらを見た。 「僕が手紙屋です」  そう答えると、黒の狐はバタバタと紙織に駆け寄り、バンとテーブルに手をついて、捲し立てるように話した。 「で、では、相手の名前さえわかればどこにでも誰にでも手紙を届けられるっていう、夢幻通りの手紙屋さんっていうのはあなたのことですか?! 店主は男の時もあれば女の時もある不思議な妖で、夢幻の若長の許嫁と聞いたのですがそれはあなたですか?!」 「おい、誰が浮橋の許嫁だ!」  そう叫んだのは紙織ではなく喜晴だった。 「あなたがそうならお願いがあります!」 「聞けよ、話!」  喜晴の声は耳にも入らないようで、黒の狐は紙織の両手を鷲掴み、片膝を床について懇願した。 「白星(しろぼし)の想いをある方に届けて欲しいんです」 「白星?」  首を傾げていると、バタンとカウンターの奥の扉が大きな音を立てた。 「黒丸(くろまる)、勝手なことを…!」  頭巾を被った色白な美しい女の妖が、キッと目をつりあげて黒い狐を睨んだ。駆け寄ってきた女の妖は紙織の手を掴む男の手をピシャリと叩いて離すように言った。 「お客様、申し訳ありません。この者の勝手をお許しください」  彼女は深々と頭を下げた。雪のように肌が白く、頭巾の隙間から見える髪の色も真っ白だ。 「君が白星?」 「…はい。黒丸と共に三月ほど前からあじさい茶屋を営んでおります」  凛とした佇まいに、何か強い力を宿している瞳が印象的な狐だ。けれど、その奥底に抱えていそうなものを覗こうと、紙織は逸らさずに真っ直ぐ彼女の瞳を見据えた。 「そこの彼の話からすれば、君は何か……誰かに伝えたいことがあるみたいだけど、どうなのかな?」 「ありません。何も」  白星は即答した。かえってその態度が彼の言葉を肯定しているように思えてならなかった。 「すぐにご注文のお品をお持ちしますので、もう少々お待ちください」  失礼します、と頭を下げると白星は踵を返して戻ろうとした。が、すんでのところで紙織は腕を掴んだ。 「待って。ちゃんと挨拶だけさせてもらえないかな?」 「え?」 「僕は手紙屋兼文房具屋の紙織。文具で何か入用なものがあればいつでも来てくれ」  すっ、と白星に名刺を握らせた。戸惑いながらも白星は再び頭を下げ、今度こそ店の奥へと帰った。  残された黒丸と呼ばれた黒い狐は、申し訳なさそうに紙織に頭を下げた。 「…すみません。お客様なのに騒ぎ立ててしまって」  しゅんとしたその表情と同じようにわずかに耳が垂れており、狐らしいその様に「ハハ」と紙織は笑った。 「気にしなくていい。余程思うところがあったんだろう?」  そう聞き返すと、黒丸は寂しげな表情で微笑んだ。 「黒丸と言ったね? 君にもこれを渡しておくよ。夢幻で暮らすにあたって何か困ったことがあればいつでも頼ってくれ」  白星に渡した名刺と同じものを黒丸に渡した。物珍しげに名刺を見つめた後、「ありがとうございます」と名刺は胸ポケットにしまわれた。  その後、出されたコーヒーやケーキはとても美味しく、紙織はこの世に出張で行った時の喫茶店を思い出した。そこには銀髪の初老の主人と、美しい男女の店員がいたなと、紙織は記憶を掘り返した。 * 「手紙屋さん、ありがとうございました」  手紙屋の店先で、そう言って今日もまた一人、迷子の魂があの世への正しい道に戻っていくところを紙織は見送った。  背後に気配を感じ振り返ると、そこにはあの黒い狐がいた。 「あれ、あじさい茶屋の……黒丸だったかな?」 「はい。先日はありがとうございました、手紙屋さん。…今日は女性の日なのですね」  紙織は女物の薄紫の着物に深緑の袴を合わせ、長い髪は邪魔にならないよう三つ編み一つでまとめている。 「今日はこっちの気分だったからね」 「気分次第で男にも女にもなれる…。いいですね、なんだか自由な感じで」  人の良さそうな笑みを浮かべる黒丸に、釣られるように紙織も微笑んだ。 「ありがとう。以前同じことを言ってくれた迷子の女の子がいたことを思い出したよ」  黒丸はきょとんと首を傾げた。 「さて、わざわざここに来たということは、今日は黒丸がお客様…ということでいいのかな?」 「あ、はい。ここでは狭間では珍しい手紙も扱っていると聞いたので」 「ええ、ありますよ。定期的にこの世に出向いて向こうの文具を調達したりするんです。中へどうぞ」  黒丸は店内に入ると、壁を埋め尽くす箪笥とその引き出しの多さに圧倒された。 「これ、中に全部商品が入ってるんですか?」 「ええ。うちは私がお客様から話を聞いて、それに見合った文具をお出ししてます。買う買わないはお客様の判断にその都度おまかせしています」  土間で靴を脱ぎ、紙織は畳の間に上がった。中央の机に黒丸を座らせ、紙織は奥にいた糸桜にお茶を出すように声をかけた。 「単なる文房具屋ってことではないんですね。人間界では陳列された商品から好きに選んで買ってました」 「ああ、そういうお店も狭間にありますけどね。私はちゃんと自分にある能力を活かさないと宝の持ち腐れで…。ところで、今日はどういったお品をお探しで? 」 「母に……育ての母に手紙をと。新生活を初めて三月経ちますし、連絡しておこうと思いまして」 「育ての母?」  紙織が聞き返すと、ちょうど糸桜がお茶を持ってやってきた。翼を使って器用にお盆を持ち、掴めない湯のみは(あかり)(かがや)が運んだ。三人にもこの場に留まるよう合図すると、糸桜は行儀よく正座をし、灯と燿は紙織の肩にそれぞれ座った。 「僕の本当の母はこの世のただの狐でした。けれど、僕は兄弟たちと違う毛色で生まれてしまい、それが原因で捨てられてしまいました。そんな僕を哀れに思い、乳を与え育ててくれたのが神獣であった今の母様なんです」 「なるほど。母親の力が移って妖化したのね」  妖化の例のひとつとしてよくある話だ。元は普通の生き物であったはずが、力あるものからその一部を受け取り、普通の枠から外れるというものだ。 「お母様は今どちらに?」 「この世の北にあるお山です」  ふむ、と紙織は考え込み、少しして立ち上がった。箪笥の引き出しを一つ、そしてもう一つ開けて品を取り出し、黒丸の前に置いた。桃色がかった淡い紫の紙と、黒く見えるがラベルに『紫』と書かれたインクだ。 「これはどうでしょう? あじさい茶屋の紫陽花の色、あるいは北国に咲くライラックの花の色の紙と、それよりも少し濃い紫のインクです。人の世ではインクの色も様々ありますし、こういうのも風情ですよ?」  紙織は試し書き用の紙も用意し、筆を黒丸に渡した。淡い紫の用紙に濃くて深い紫の文字が映えている。 「素敵ですね。これにしようと思います」 「ありがとうございます。手紙はうちで出していきますか? 外にあるポストに投函してもらえばちょっとお値段上がりますけど即日…むしろ即時配達出来ますが」 「え、そうなんですか?」  通常ならば妖の世界でも『手紙』というアナログな手法を使えば、距離と輸送手段によっては早くて一日、遅ければ一週間はかかる。『即時配達』は手紙から生まれた妖である紙織だからこそ生み出せた技だ。 「外のポストには私が術を施しているんです。住所と名前が明記されていれば瞬時にその場へ届きます。要は手紙が瞬間移動するんです」 「……噂には聞いていましたが、本当にすごい妖なんですね、紙織さんは」  噂?と首を傾げると、黒丸は答えた。 「この世まで噂が届いてました。『手紙屋さん』という強くて不思議な妖がいると。人と人、妖と妖は勿論、人と妖、この世と狭間を相手の名さえあれば手紙ひとつでつなぐことが出来る妖で、それほどの力を持ちながら、夢幻に現われる迷子の未練解消に無償で力を貸し、あの世に送り届けている変わり者らしいと」 「妖からはちゃんと頂戴するものはしてるんだけどね。結構不思議がられるんだけど、あの世に行こうっていう死者から何を取れって言うんだろうね」 「本来なら記憶を抜いて夢妖に売ることも出来ると聞きました」  ああ、と紙織は目を閉じた。 「その力は使わないことにしてるんだよ」 「どうして使わないの?」  それまで黙っていた糸桜が、生まれたての好奇心で紙織に尋ねた。黒丸は妙に焦った。 「本来私が持つべき力じゃないからだよ」  糸桜はきょとんとしたが、それ以上深くは聞かなかった。黒丸はほっと息を吐いた。 「では、せっかくなのでポストに投函させていただきます。こちらで手紙を書いてもよろしいですか?」 「ええ、どうぞ。…っとそうだ、代金の話なんですけど、お願いがありまして」 「お願い…ですか?」  黒丸は目をしばたかせた。紙織は隣の糸桜の頭に手を置いた。 「この子、元は雀の子なんですけど、見ての通り変化が中途半端なんです。あなたはこの世で…人の中で生活できるほど変化がお得意なんですよね? よかったらこの子に変化の指導をしてくれませんか? うちの灯と燿…妖精たちはどうも壊滅的に指導向きじゃないみたいで…」  両肩に大人しく座っていた妖精二人がプクッと頬をふくらませ、紙織の頬や髪を引っ張って講義をした。いてて、と紙織は二人の首根っこを指でつまみ引き剥がした。 「本当のことでしょー? 二人感覚型天才肌だから指導向きじゃないんだよ。その点…失礼だったらごめんなさい。元は普通の狐だったなら変化覚えるのは相当苦労したんじゃないですか?」 「え、あ、はい。力が自分の中に宿ったことはわかっても、それを使うという感覚がよくわからなかったです」 「そういう『出来なかった』ことがある方が指導には向いていると思うんです」 紙織は二人を机に乗せ、改めて黒丸に向き直った。 「今回の手紙は狭間からこの世へ渡るため負担が大きくなるんです。ゆえに通常利用より料金が高くなります。早い話がその高くなる送料と手紙インク代合わせて、この子の指導料として物々交換してほしいんです」  通常送料と空間越えの金額を提示し、指導料としては物々交換が成立することも紙織は伝えた。黒丸はすぐに快諾した。 「僕は構いませんよ。普通の動物だった者同士、伝えられることはあると思います」 「契約成立ですね。では契約書をつくってくるので、その間手紙を書いていてください」  黒丸の手紙は長々としたものでは無いらしく、数分で書き終えてポストに投函された。  糸桜は変化の術を会得するしないに関わらず、黒丸から三度ほど指導を受けることになった。場所は閉店後のあじさい茶屋でという指定付きで、素直な雀の子はすっかり張り切っていた。
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