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休みに入る前「貴船には美味しいブーランジュリがあるの」とエマに言われ、素直に行ってみたいと思ったその時、私は自分がかつてパン屋の娘であったことを思い出した。
ブーランジュリとは、日本でいうパン屋とは少し違う。パン職人が自分で小麦から選んで、粉をこねて焼くお店のことだ。本場フランスでは厳しい基準があると聞いたこともある。
もちろん、パン屋の娘だったと言っても山梨の実家はブーランジュリとは言い難い。コッペパン、あんぱん、それにクリームパン、メロンパンとか、いわゆる町のパン屋さんの品揃えだったが、バケット(当時はフランスパンと出していたような気がするが)は店できちんと父が焼いていたし、地元ではそこそこ人気があって、中高生のカフェがわりになっていた。
店内へ入ると、香ばしいバゲットの香りが充満する。茶色く若干焦げついたそれは、八十センチはありそうなくらい長く、何本も店内のさほど高くもない天井に突き抜けるように伸びている。
このブーランジュリには、バケットの他、ごろっとりんごの入ったショソンオポム、ふわっとまるいパンドカンパーニュ、いわゆる菓子パン風なヴィエノワズリーなどが並ぶ。パン屋の娘だった頃は、これらのカタカナ文字列を見ても何かの呪文のようにしか捉えなかっただろうが、エマがパンの話をし出すと止まらず何度もするので今ではすっかり覚えてしまった。
バゲットを使ったベーコンのサンドイッチとアイスカフェラテを注文すると、私は川のせせらぎがわずかに見える道沿いに面したカウンター席へ座った。
さっきのは、本当に新名君だったのか――いや本物だ、新名君だ。間違えるはずないし、その証拠に顔を見ただけで私の胸はちょっとちくっとした。
新名君は他の同級生の男子より大人びていて、こんな言い方は失礼かもしれないがあまり友達がいなかった。いつも一人で小説を読んでいて話しかける人も少なく、でも私の家の、トキエダベーカリーにはよく来て、下校途中で大抵はピーナッツコッペパンかメロンパンを買っていく。新名君は通りを一つ挟んだ向こう側に住んでいて、元々東京の電機メーカーで働いていたお父さんの転勤で甲府に引っ越してきたのだ。
カフェとも呼べない、トキエダベーカリーの小さなドリンクコーナーでブラックコーヒーを飲みながら、夕方の四時から五時くらいの間、いつも新名君は静かに小説を読んでいた。学校へ行く前の早朝と帰ってから店を手伝っていた私は、最初は同じ学校の制服だなと思っただけで特別気にも止めていなかったけれど、偶然私の大好きなフーゴ・ラクールの小説「夏の天井」を読んでいるのを見た時、カウンターを布巾で水拭きしながらふと目に入ったそれに声を上げられずにはいられなかった。
それは、二十世紀前半、退役後にフランスで画家となった男の半生を、娘・ゾエの視点から語るという物語である。ゾエが幼い頃、眠りにつく前に横で眺めた父親の記憶を紡ぎ出す場面の文章を今でも鮮明に覚えている。
「ゾエは天井までまっすぐに伸びる、日に焼けた父の太い腕を、バケットみたいだと笑った。そうしてその先の天井に付いた小さな星の形をした黒い点を、掴んでみてとお願いした」
天井はそんなに高くはないけれど横になった状態では届くはずもなく、また小さくて見えなかったのか父は優しくゾエにこう言ったのだ。
「あれはあそこにあるべきだ。ずっとお前をこうして見守ってくれる」
その数日後、ゾエが八歳の誕生日を迎えたその日に父親は亡くなった。
「その小説、私も好き」と一言告げると新名君はゆっくりと、私の方を振り返った。そうして、店内に並ぶバケットの方を指差して、あんなに太いって結構すごい腕だよね、と言って屈託のない顔で笑った。
恋に落ちたのは、新名君の笑った顔を初めて見たその瞬間だったと思う。
私たちはそれから、学校ではすれ違ってもぎこちなく挨拶を交わす程度だったが、学校が終わるとトキエダベーカリーで会うようになった。
新名君はほとんど学校では他の誰かとも話しているところを見かけないのに、カレーパンを揚げる油臭さとか、バケットの焼ける香ばしい香りとか、クリームパンの甘い匂いとかに包まれながら話す時は、生き生きと小説の話、勉強の話、兄弟の話などをしてくれた。新名君と特別な空間を共有している気がして、それが嬉しかった。
でも、終わりは割とすぐにやってきた。高校二年の夏、隣駅に新しく映画館ができて新名君を誘ったが、あっさり断られた。
「映画は観ないんだ」
その一言が、私の初めての失恋の記憶。
そして秋には商店街にバリスタのいる本格的やカフェが新しく出来て、トキエダベーカリーは潰れた。
それ以来、新名君と私が会うことはなくなったのだ。
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