1 長州の風雲児

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 嘉永二(一八四九)年、萩。  林利助(後の伊藤博文)は九歳のとき、父十蔵に迎えられて、母琴子と供に長州毛利家の城下町がある萩へと移り住んだ。  十蔵は元々畔頭(あぜがしら)という庄屋(名主)の下役であったが、豪放で派手な交際を行っていたため、わずかな家産では間に合わず管理していた租米に手を出してしまい、一人郷里を追われ萩で暮らしていた。  彼はそこで日雇人夫や若党奉公をして家を興す機会を窺っていたが、終に蔵元付中間(くらもとつきちゅうげん)中継養子(なかつぎようし)であった伊藤武兵衛に見込まれて彼の代役を務めることになり、妻子を呼び迎え再び暮らせるだけの余裕をつかみ取ることに成功した。  利助が琴子と供に彼女の従兄にあたる法光院住職の恵運にあいさつを済ませ、江戸屋横丁の通りを歩いていると、一人の少年が大人の侍と言い争っている所に出くわした。 「わしの凧を踏み破っておいて謝らぬとは怪しからぬやつ! はよう謝れ!」    鼻梁と鼻翼のところに多くの痘痕(あばた)を残したその少年は強い口調で何度も侍を詰った。 「分かった! 凧を踏み破ったことは謝るけぇ、勘弁しちょくれ!」    その少年の激しい剣幕に気圧されたのか、侍はかなり狼狽している。 「例え子供相手とはいえ侍たるもの、無礼な振る舞いをしたら謝るのが礼儀じゃろう! もし本当に誠意があるなら土下座をして謝れ!」    その少年の口調はますます激しくなっていく。 「分かった! 土下座でも何でもしちゃる! じゃがここは人目につくけぇ、人目のない所で土下座をする形でもええか?」    観念した侍はその少年を物陰へと連れて行った。  しばらくしたあと、侍は逃げるように物陰から立ち去って行き、痘痕面の少年もどこか満足げな様子で物陰から出てきた。 「わしとそねー歳がかわらぬのに、大人のお侍様を負かしてしまうとはすごいのう」    少年と侍のやりとりの一部始終を、母琴子と共に見ていた利助は、感嘆して思わず声を洩らした。    百姓の子の癖に二本棒を腰に差して侍をきどり、郷里である東荷村では年長の少年達も従えた餓鬼大将であった利助でも、侍を負かしたこの少年には敵わないことを、この時直感で感じた。 「まだ年端もゆかぬのにあっぱれな子供じゃ。利助も見習わんといけんぞ」    琴子もその少年の豪胆さにいたく感心している。    この痘痕面の少年こそ、後に長州の風雲児となり、明治維新を導くことになる高杉晋作その人である。
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