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何処からか、優しい声が聴こえる。
『虹もドロップみたいに甘いと良いのに。そうしたら――――』
誰の声かも分からない。
ただただ優しい声に、揺らされるみたいに意識が引き戻された。
「ン、夢」
目覚めたそこは、未だ散乱している缶や、あちらこちらに散らばった色取り取りの粒で、甘い香りの立ち込めるままの部屋。
倒れていた時間はほんの僅か、数分ほどだったようだ。
瞼を開くのと同時に、何かに誘われるみたいにして、視線は自然と窓の外へと向けられた。
「ア!」
そこには見事なまでに完成された、空を渡る七色の橋。
本物は初めて見た。
畳の上の粒と同じ色に、思わず数個を手に取って光に翳した。
「欠片……」
とっさに先生の姿を探した。
この部屋に居るわけなんてないのに、無意識に辺りを見回す。当然そこに居るはずもなく、虹の欠片を手に弾かれたように走り出した。
バタバタと足音を立てて家中を歩き回っているのに、どこからも声が聞こえて来ない。
お昼休みなのに台所には居ない。昼食をとった形跡もない。居間にも、仏間にも。二階にある自分の部屋まで戻り、その隣の先生の部屋にも居なかった。
漸く見つけたのは、広い中庭。
さっき自分が寝そべっていたベンチの傍にポツンと立ち、空を眺めている。
「っっ」
その顔に、深い深い孤独が宿っているのを見つけ、呼びかけの声は言葉にならず、気付いてと挙げようとした手も、重力に従い下ろしてしまった。
その横顔の中には〝タクイ〟という存在などない。ただ独りでそこに立っている。
(俺はここに居るのに)
その孤独はアイツにしか埋められない。
それでもと、急いで中庭に降りて行く。
きっと、自分では駄目なのだと分かっていた。分かってはいるけれど、抱き締めずにはいられない。
たった独りで淋しそうなその背中に、アンドロイドの機械の温もりでも、ひたりとくっ付けば、少しは温かく思ってくれるような気がして、そうっと近づき、キュッと背中から抱きついた。
ビクリと一瞬震えた体は、それでも何も言わず、抵抗もせずに、この腕の中に納まる。
そうして、消えゆく虹を無言で二人、眺めていた。
奇跡が薄れて消えていく。
ここに先生を残して。
偽物と、二人だけを残して。
ふと気付いたように、先生が顔だけでこちらを振り返った。
「タクイ、この匂い大丈夫か?」
「ン? アァ、コレダ」
背中から先生の腰に巻きついていた腕を緩め、そのまま掌を開き、握り締めていた粒を見せた。
「これがドロップだ」
掌を見下ろして、先生は緩く笑った。
自分も先生の肩越しに掌を見下ろす。自身の温度で少し溶けかけた粒は、キラキラと光っていた。
「ドロップッテ、虹ノ欠片ダッタンダナ」
そう言って先生を見ると、彼は驚いたようにこちらを振り向いた。
その顔には、どこか見覚えがある。
「沢……意」
茫然と呟かれた名前は、いつも呼ばれている名前のはずなのに、不思議な感じがした。
「先生ワ虹ガ嫌イナノカ」
「どうして」
「サッキ、淋シソウダッタカラ」
「だから沢意が来てくれたのか」
「俺?」
腰に巻き付けた腕を離し、先生と向かい合った。
先生はじっと何かを探るようにこちらを覗き込んでいたが、緩々と首を振って「違う」と呟いた。
「俺デ、ゴメン」
多分求めていたのはアイツで、傍に来て欲しかったのもアイツ。決して、似ているだけの自分じゃない。「違う」と言った言葉の中を正しく理解出来たから、謝らずには居られなかった。
「悪くない。タクイはタクイだ」
いつか聞いた言葉を、そのまま繰り返される。
聞き分けのない自分に、そして目の前に居る者にアイツを重ねてしまう己に、言い含めるような慎重な響き。
「俺は虹の出ている日に、祖父さん祖母さんの元に置いて行かれたんだ」
「誰ニ」
「俺の父親。祖父さん達の息子に。もう二十五年以上も前の話しだ」
もう一度見上げた空にもう虹は無く、所々にまだ分厚い雲が浮かんでいるだけ。
彼が見上げているのは、当時の空だろうか。
「まだ健在だった祖父さん達に俺は渡された」
「渡サレタ?」
突き放すような言葉に引っ掛かる。
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