-ミツケテ-

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「お疲れ様ね、総先生。そう言えばタクイちゃん、お庭で寝ていたわよ」 「まったく、またかっ。あぁ、ウタさん、教えてくれてありがとう。お大事に」  遠い意識の中で、そんな会話が聴こえて来る。どうやら最後の診察が終わり、午前の診療を閉めたようだ。 (あぁ、ばぁちゃん。先生に言うなよ)  小さな諦めの溜息を零しながら、雨が上がる度に寝床となるベンチの上で寝返りを打つ。  酷く魘された翌日から、少しの止み間を挟みながらも降り続いた雨が、漸く上がった空は、それでも重たい雲が立ち込めていた。 「こら、タクイ。此処で寝るなって言ってんだろ」  そう言って怒る声の主に、腕を引っ張られ、起こされてしまう。 「ん」  上体は惰性で起き上がったものの、眠気にかまけたままの意識がダラリと(こうべ)を下げさせる。 「しっかり起きろ」  慌てて支えてくれる彼、石竹総武の元に来てから二週間が過ぎていた。  その間、博士やドクターに見つかることもなく、先生と自分の求める形が大きく違うこともなく、一見穏やかな日々を送っている。 「寝るなら部屋で寝ろ。風邪ひくぞ」 「アンドロイドワ、風邪ヒカナイシ」 「万が一調子が悪くなっても、俺じゃ診てやれないかもしれないだろ」  言外で「心配している」という脅しを掛けられる。  人間の医者で診られないから、ドクターに連絡するしかない。そう言われているのだ。 「先生ワ心配性」  医院の患者が彼の事を「総先生」と呼ぶのに倣い、「先生」と呼ぶ自分に最初は嫌そうな顔をしていた彼は、今では諦めたように聞き流している。 「タクイが悪いんだろ。ほら部屋に行くぞ。何だか雲行きが怪しい」  手を引いて促され、しぶしぶ立ち上がった時、ポタッと冷たい雫が額を打った。 「ア」 「あぁっ、ほら早くっっ」  見ている間に、せっかく乾いてきていた辺り一面が濡れていく。あまりに勢いのよい雨足に、母屋に入るより医院へ入るほうが早いと判断し、二人で医院から中庭への戸口に立って空を見上げた。  低く分厚い雲の向こう側には、明るい青空が斑に見えている。 「雲が切れているな。すぐに上がりそうだ」 「通リ雨」 「そうだな」  頷いたきり、先生はむっつりと黙り込んで空を睨んでいる。  次第に弱まって来た雨に、先生は母屋へ入るようにだけ言い残して、一人医院へと戻って行った。  ポツンと残されたのは自分なのに、見送った背中の方が独りぼっちのように見える。 「先生」  小さな呼びかけは、行き着く先を失ったまま、濡れた草の上に落ちた。  ふと思う。  今この時に彼の傍に居るのが〝アイツ〟だったならば、彼は独りになんてならなくて済んだのだろうか。  そっと寄り添う事を許されて、その背中を撫でる事を許されたのだろうか。  自分には立ち入れない、二人の優しい関係。  孤独になる為に、置いて行かないで欲しかった。  何も出来ない事は分かっているけれど、自分にもせめて傍に居させて欲しかった。  けれど自分に出来るのは、言われた通り一人で部屋に戻り、ベッドに転がる事だけ。しかし、見えない〝アイツ〟が今も先生の傍に居るような気がして、自分の中にドロドロと重たいモノが溜まって寝付けない。 「此処ダッテ、アイツノ部屋ダシ」  先生と一緒に居ても時折チラつく三人目のアイツの姿に、いつしか自分の中からも〝アイツ〟が離れなくなっていた。  アイツの事を知りたくて堪らない。  アイツはどんな人だったのか。  アイツと彼はどんな風に過ごしていたのか。  ――彼にとって、アイツは、何だったのか。  窓の外に見える分厚くて灰色の雲のように、自分の中にも広がる醜い澱。  徐にベッドから起き上がると、今まで決して触らないと決めていた机に近づいた。  此処にある全ては、元々アイツの物。だから自分が勝手に触ってはいけないと、誰に言われたのでもなく思っていた。  自分が触れるのはベッドと、拾ってくれた次の日に先生が買ってくれた衣類が入っている、半透明の押し入れ収納ケースだけ。  他人の物を覗き見る罪悪感に、後悔しか湧かないのは分かっていた。分かっていて、それでも部屋の主を待ち続ける机に、主でもない自分が手を伸ばす。
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