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―闇の中で―
――漆黒の闇から伸びる手を振り切るように、走れるだけ走って逃げた。
暗闇が、現実なのか自分の眼や人工脳のバグなのかも判らないまま、ただ闇雲に走る。
抱える荷物は、たった一冊の本。
美しい虹の掛かった美しい空が光輝いている表紙に救いを求めた。それさえも霞み、視界が次第に狭まり始めた。フッと遠のく意識回路の途切れ具合からも、バックアップ用の充電がほとんど残っていない事だけは分かった。
ここは何処だろう。
もう眼は何も写さなくて、何も見られなくて。
ただ辺りには、梅雨入り前の濃い新緑と雨の匂いが立ち込める。
「モ……ダメ……。ゴメ……ン」
口から零れた言葉の意味も、誰に対して言った言葉なのかも、自分の脳は理解していない。
“あそこ”を出てから、数日頑張った充電が、本当に残り僅かなのを知らせるように、パルスとなって、極微かな意識をチカチカと灯す。
無心で腕の中の本を抱き締めた。縋る様に。
タイトルも作者名も無い本。ただただ美しく、温かな色彩で虹空が描かれた本のページを捲るたび、普段は意識する事も感じる事もしない胸のモーターがキュルキュルと不規則に回り、内部のヒーター温度が上がる。それが不快ではなく、むしろ自分の存在を教えてくれる。
まだ、ココに居る。
「――――っっ! た、いっ! …――」
誰かの声を聞いたような気がした。
瞬間、ブワリと、この入れモノの奥底から湧き上がる強い『何か』と、刹那の中に見た一筋の眩い光。
それは暗く沈み行く冷たい意識の中縋った本の穏やかな虹彩ではなく、強く、どこまでも真っ白に輝く。
(……あぁ、やっぱりバグか……。アンドロイドも天国って行けるのかな……虹がかかっていれば良いな)
そんな笑いたいような事を考えながら、最期を足掻き続けたバッテリーは途切れた――。
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