① 雨の日の怪異

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☆ 「ただいまぁ」 あの雨の日の不思議な出会いから一週間が過ぎ。普通の日常生活を過ごす佑太は、本日は少しだけ元気が無い。 高校生になり二ヶ月が過ぎて、新しい友達もできた。公共交通網が少ない田舎である。中学からの友達も、殆どが近場の高校へと進学し、佑太もまた家から徒歩圏内の高校へ入ったため、今までと然程変わらない毎日だ。 「お帰り!あら、また傘忘れてたの?」 帰宅した佑太を迎えた母親が、ずぶ濡れの息子を見て呆れた顔をした。 「あーそーですよ、俺の不注意ですー」 不貞腐れた声を出し、母親が持ってきたタオルでとりあえず水滴を拭っていく。 「洗濯する母親のみにもなりなさい。とくにこの時期は大変なんだからね」 「ごめんって」 母親に風呂場行きを命令され、素直に従う。 佑太の元気を奪う原因。それは単に梅雨時期に差し掛かった事。佑太は雨が嫌いなのである。傘を持つのも面倒で、というよりもよく忘れて出かける。そもそもただでさえ通学カバンが重いのに、傘は余計な荷物に思えるのだ。出かける前に降っていなければ尚更で、結局帰りにずぶ濡れとなる。梅雨時期は特に。 どんよりとした雲ばかりの空も嫌いで、憂鬱な気分になるのも、学校の帰りに友達と寄り道できないのも、全部雨のせいだ。 鬱屈とした気分でシャワーを浴びて風呂場から出ると、ちょうど妹とかち合った。 「うわ、佑太またびしょ濡れで帰ってきたの?」 蔑むような視線を向ける妹の佑香は、佑太の双子の妹である。妹と言いつつ、実際の権力は妹の方が上である。 「……そうだよ」 「もー、今の時期は洗濯大変なんだから、傘ぐらい持ちなよ」 母親と全く同じような仕草をする佑香だ。双子といえど二卵性。佑香は佑太よりも、母親の方にソックリだと佑太は思う。 「わかったわかった。気をつけますー」 「とか言いつついつも忘れるくせに。あ、そうだ」 小言を言いつつ廊下を進む佑香が、パタリと立ち止まって振り返る。 「なんだよ?」 「今日、あたしがお店のお手伝いだから、佑太は宿題やっといてね。あと、夕飯は店に食べに来いって」 それだけ言うと、佑香はパタパタと早足で去って行く。一応後ろ姿に「はいよ」と返事をし、佑太は早速今日の宿題を片付けるために自室へ向かった。 上岡家は家族経営のご飯どころを営んでいる。そのなもズバリ、『めし屋』である。 これでも三代続く意外と古い店で、今は両親が朝10時から夜中の2時まで店を開け、佑太と佑香は日替わりでその手伝いをしている。忙しい日には2人揃って店へでるのだが、小さい頃は「双子ちゃん可愛い」ともてはやされ、悪い気はしなかった。 今となっては、初めてくるお客さんには双子と気付かれもしない。まあ、二卵性の男女なのだから当然だ。 店を手伝わない方が宿題をやっておく、というのも、小さい頃からのルールのひとつで、同じ高校に進学し、さらには同じクラスとなった今も続いている。 男女とは言え双子。産まれた時から全て共有してきた2人にとって、それは当然の役割分担であった。どちらかがやったものを、あとでどちらかが写す。小学生の頃は直接書いて提出していたが、当然のようにバレてしまい、それ以来写すようにしていた。 自室にて黙々と宿題をこなし、さてそろそろお腹がすいたなあと手を止める。18時半。 「飯食いに行くか」 そう呟いて、佑太は一階の店舗へと向かう。佑太たちの生活スペースは主に二階。間取りは3LDKで、中学から1人部屋を与えられたため、狭いけれども居心地は悪くない。 一階は賑やかな店舗スペース。昔ながらの食堂といった雰囲気で、4人がけテーブルが6組、奥にカウンター席となっている。ここは城下町の観光地にある商店街。客入りはまずまずでそれなりに儲かっている。はずだ。 今は観光シーズンではないため、今日は空席が目立つ。 佑太はいつもの、カウンター席の端に座ろうと思い、しかし今日は生憎とそこは既に客が座っていた。ならば反対の端に、と歩を進める。 「あ、佑太。今日は鮎の塩焼きがあるよ」 佑香が厨房から顔を出す。 「マジか!俺それ一番好き」 「知ってるよ。てか自分取りに来い!」 はいはいと、一度厨房へ向かう。と、カウンターの中へ入ると佑太はなにやら既視感を覚えた。 カウンター席に座る男。どこかで会ったことがあるような気がする。 さりげなく、その男を見る。 目が合った。 「あ!!」 思わず大きな声を上げる佑太。対して然程驚いた様子もなく、ニヤリと口角を釣り上げてみせた男。 「ほらな、またあっただろ」 澄んだ青い瞳が、驚きに後ずさる佑太の目を捉えていた。 「ちょっと!大声出さないでよ」 何事かと厨房から顔を出した佑香が、鬼の形相でたしなめる。周りを見ると、食事をしていた他の客も手を止めてこちらを伺っていた。 「ご、ごめん。ちょっと驚いてさ」 「もー。んでどうしたの?」 それが、と言いかけた佑太を遮るのは、青い瞳の男だ。 「悪いな。僕が驚かせた」 「え、そうなんですか。なんだかすみません」 男は爽やかな笑みを佑香に向ける。 「佑太とはついこの間偶然知り合ってな。再開に驚いてくれたようでなによりだ」 と、今度は佑太に向けてイタズラ大成功とでも言いたげな、得意げな顔をしてみせる。 「へー、そうなんですか。って佑太、早く夕飯食べちゃってよ。なんならご一緒させてもらったら?」 突然の再開に、さらに突然の提案。佑太の頭は大混乱だった。 「は?なんで?」 「なんでって、この人、先週隣に越してきた人だよ。ご近所さん。これから仲良くするの」 「……は?」 男の顔を見れば、どうやらそれは本当の事のようで。徐に隣の席をポンポンと叩き、「まあ座れよ」とでも言いたげだ。 「マジか」 呟く佑太に、佑香が夕飯の乗ったお盆を押し付ける。 仕方ない。と、佑太はあからさまに溜息を吐き出し、男の隣に腰を落ち着けた。 「改めて、僕は水野龍(みずのりゅう)。隣で万屋をやっている」 「どうも。上岡佑太です」 相変わらずのシャツにデニム姿の水野は、一週間前に出会った時の印象のままだ。 要するに、楽しんでいるのか、怒っているのか、表情は笑みを浮かべているのに本当のところは掴めない。やはりころころと印象のかわる不思議な人だった。 「ところで佑太。相変わらず雨は嫌いか」 なんの話かと思えば、あのバス停での会話のことだ。確かに佑太は雨が嫌いだ。それに梅雨時期はもっと嫌い。 「まあ、嫌いですけど」 「大昔、人は雨が降らなければ生きてはいけなかった。作物だけではない。生活用水としても、雨水を貯めて利用していた。雨が降らなければ川は干上がり、すると人々はどうしたと思う?」 お猪口の酒をチビチビと飲みながら、水野は唐突に訊ねる。佑太は夕食の小鉢を箸で突くのをやめて、水野に視線を向けた。 「どう、って、雨乞いとか?」 と言いつつ、脳内で人々が天に向かって土下座をするようなイメージが浮かぶ。なんとも安直な想像である。 「そうだ。雨乞いだ。人は天に向かって色んな物を捧げた。まず食い物だ。己が食い扶持も維持できないくせに、いるかどうかもわからない神に捧げる。次には酒だ。最後には人。それも、年端もいかぬ幼い娘だ」 「それって生贄ってやつですか」 胸糞悪い、と思えばそれまでだが、現代とは違う大昔の話だ。実際にやっていたかもわからない。それに水が無い、なんて状況がそもそも想像できない。 「そうだ。そんな事をしても、なにもできやしないのにな」 呟くような言葉を、佑太が理解できるはずもなく。気を取り直すように水野は続ける。 「というわけで、だ。あまり嫌ってくれるな。こちらも悪気があってのことではない。それにここは湖の国」 「琵琶湖のこと、ですか?」 「そうだ。水との縁は切れない。それにここに住む人々には龍神の加護がある」 佑太は怪訝な顔で水野を見やる。龍神の加護?本気で言ってんのか? 「なんだよ、僕の言うことが信じられないか?」 「そりゃなあ。確かにさ、琵琶湖には龍が住んでるとかいう伝説があるし、竹生島は龍神を祀ってるけど。全部ただの伝説ですよね」 きっと誰もがそう思っている。龍神はただの伝説。パワースポットだ何だと言われている場所もあるが、佑太は自分のような鈍感な人間にはなにも感じ取れたりはしないのだ、と思っている。要するに信じていない。 「この間の話覚えているか?」 ふと確認するように水野が問うた。何のことかと首を傾げ、思い出す。 「困ったら琵琶湖に言えってやつですか?」 「そうだ。信じないと言うのならばそれまでだがな、いざとなったらやってみるといい。僕は嘘は言わない」 ふふっと不敵に笑う顔に、不覚にも少し見惚れてしまう。またも水野という男の印象が変わる。男なのにどこか妖艶さを感じさせる、そんな風に見えたのだ。 「ってことで、お隣同士だ。今後ともよろしく。僕は万屋だから、なにかあれば頼ってくれ。まあ、金は払ってもらうがな」 そう言って水野は残った酒を煽り席を立った。気付いた母親が会計を済ませる。 「水野さん、お隣なんだしいつでもおいでね」 「そうします。では」 引き戸を出る音。気付くとカウンター越しに佑香が立っている。 「ね、佑太。なんだか仲良さげだったじゃん。ずるいよ」 あからさまにむくれる佑香に、うんざりした顔を返す。 「仲良くなんかねえよ。なんなんだ、あの人」 「あれ、佑太、水野さんがイケメンで落ち込んでんの?」 「んなわけねえよ!?」 否定の言葉は思いのほか強くて、驚く佑香をよそに佑太は冷めきった夕食を掻き込む。 本当に不思議で、わけのわからない人物だ。
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