番外編① 龍神さまの休日

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☆  彦根市はけして何もないわけではない。  国宝の彦根城は有名だし、実は国宝・重要文化財の総数は全国で4位であったりもする。  琵琶湖を筆頭に自然豊か、琵琶湖を一周する「ビワイチ」というものが流行っており、県内外から人が訪れる。  近江牛は三大和牛。ブランド店なんかも人気で。  観光客が一日楽しむ分には、それなりと言えるだろう。  問題は、地元民にとっては不便な土地であること。例えば大型のショッピングモールなんかは、主な移動手段が自転車の学生には些か遠い。滋賀県が一人当たりの自動車所有率一位の原因のひとつだ。  と言うわけで。夏は自転車の後ろに水野を乗せ、必死でショッピングモールを目指していた。  本日の水野が和服ではなく、白いシャツにデニムだったのは良かった。  それにしても、と夏は思う。こうして普通の格好をしていると、不思議と同じ年頃に見えるのだ。仲間内で一番長身である郁と同じくらいの身長で、大人びた雰囲気と言った印象だったのだが、こうして自転車の荷台を楽しむ姿は、なんだか子どもっぽいというか。どうにも掴み所のない人物だった。 「着きましたよ」  自転車を走らせたどり着いたのは、この辺りでは一番大きなショッピングモール。琵琶湖に面した立地で、広い敷地にはコーヒーショップやガソリンスタンドなんかもある。 「今日も我が家は穏やかだな」  自転車から降りて琵琶湖を見ていた水野がポツリと零す。 「?」 「おい、さっさと案内しろ」  どういう意味かな、と首を傾げていると、水野は険しい顔で夏を睨む。とても怖い。 「わかりましたよ。水野さんは何か見たいものとかありますか?」 「特にない」 「……じゃあ、佑太くんは何か言ってませんでした?」  ショッピングモールの中へ入り、涼しい室内に一息つきながら夏は水野に問いかける。今日は彼の付き添いなので、入り口近くのソフトクリームとか、かき氷なんかの誘惑は頑張って無視する。 「食器くらい揃えろと言われた」 「食器も無いんですか」  確かに人間らしい生活ではないようだ。今年から一人暮らしを始めた生活能力の無い姉ですら、食器くらいは揃えていたのに。 「じゃあこっちから見てみましょうか」  夏は水野を連れて食器コーナーへ向かう。量産品で値段は良心的。拘りがなければここで大概は揃えられる。 「水野さんは料理とかするんですか?」 「いや、いつもは佑太の所で済ませている。ただ、佑太が来た時に……そうだ、食事をする机もない」 「机は流石に持って帰れませんよ!」  慌てる夏である。この人、とんでもないなと思い始めるが、もう遅い。水野自身は特に気にした様子もなく、ああそうだなと呟いている。 「どんなのが好きですか?使い勝手とか色々あると思うんですけど」 「昔は漆塗りの杯を使用していた」 「そんな高価なもの、ここには無いです」 「それくらい見ればわかる」  早く終わんないかなあ、と思い始める夏だ。  しばらく見て回り、結局大きさの違うプラスチックの皿が数枚セットになっているもので落ち着いた。コップも同じようなものにし、何故か大ぶりのカレー皿を2セット、スプーン2本と一通り買い終わる。 「今日はこのくらいにしましょう。あまり買い過ぎても自転車には乗らないので」 「ああ、すまんな」  こうしてひと段落、時刻はちょうどお昼時だ。  そろそろお腹も空いてきた所に、油の匂いが鼻をくすぐる。近くには有名ファーストフード店。 「あの、一緒にお昼どうですか?」  水野も気付いたらしく、ファーストフード店の方へ視線を向け、そしてまあなんとも嬉しそうな表情を見せる。 「僕もちょうど腹が減っていた。付き合わせた礼だ、僕が出すよ」 「本当ですか!やった!」  こういう好意に素直に甘えられるのは、夏が根っからの弟体質だからなのだが、素直に喜ばれると龍神さまも悪い気はしない。  2人して向かいあい、ハンバーガーに被りつきながら取り留めもない話をする。 「水野さん、もっと怖い人かと思ってました」 「それは当然の感情だ。人は神聖なものの前では自然、畏怖を覚えるものだ」 「……?」 「やはり調理されたものは美味いな」 「ですよね!水野さんは普段どんなの食べるんです?」 「生魚や野菜、米に酒はよく献上される。が、火を通した方が美味い」 「……?」  などと若干どころかかなりズレのある会話ではあるが、概ね穏やかに過ごした2人は、食べ終わると帰路に着いた。  ケーキ屋の前までたどり着く。そう、本当の夏の任務は、姉のためにケーキを調達することであり、危うく忘れる、なんて事はけっして許されない。 「世話になった」  水野は両手にビニール袋を持ち、珍しく優しげな笑みを浮かべる。佑太を眺めている時の、あの顔だ。 「いえ、いいんですよ!僕も楽しかったので」 「礼のかわりに、何か困ったことがあれば淡海堂に来るといい。佑太の友人でもある、遠慮はするなよ」 「ありがとうございます」  ペコリと頭を下げれば、今度は悪戯っ子のような笑顔の水野と目が合う。 「心霊スポットには、行かないでくれるといいのだがな」 「いやー、その節はどうもすみませんでした」  ふふっとどちらともなく笑い声をあげ、じゃあなと水野は帰って行った。 「変な人だけど、面白いなあ」  水野の背中を見送りながら、夏は満足そうに微笑んだ。
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