第四章

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第四章

そんなこんなの地獄を経て、仕事は終わりを告げた。五時十五分から、チームごとに終礼を行うシステムとなっており、今はその時間である。 とりあえずノートやら資料やらを、キジョウリエとフルネームで書かれたテプラが側面に貼られてるボックスにまとめて、鍵がかかるロッカーにしまう。 ……そういえば、実働という言葉をよく聞くけど、今日はオフィス、全チームいらしたような。 というか、どういう風にやってくんだ。まさか電話で注文承るわけじゃないよね。ビジネスフォンあるけど。 「殺しの依頼は、基本不祥事もみ消したい腐った企業社長やら官僚やらがコネ使って所長んとこに持ってくんの。で、それを割り振ってく感じ。たまになんでか直通番号知ってるひとが直接かけて依頼することもあるよ。『カインとアベル』って言って、受話器三回たたいたら、殺しの依頼。電話で直接受けたやつは、受けた人のチームが基本受ける」 カインとアベルって、世界最初の殺人じゃないですか。なんというキーワードだ。 「キジョウさん、まじでやめるなら、今のうちだからね」 「マキウチさん、なんでそんな辞めさせたいんですか。人が増えていいじゃないですか。ユヅとミナミさん辞めるなら、なおのこと人ほしいっすよ」 カノウさんが口を挟む。少なくとも、マキウチさん以外の人から見れば、増員は喜ばしいことらしい。たとえ、リーマンよりちょっといい給料にのこのこつられてやってきた、あほ娘のわたしでも。 「馬鹿野郎、キジョウさんに殺し屋が務まると思うかよ」 それはちょっと傷つくよマキウチさん。ごもっともな心配ともいえるけど。 「いやあ、どうですかね。ミヤちゃんやサノっちがいけるなら、アリでしょ」 「お前、格ゲーが趣味のミヤマさんと、テコンドー大会三位のサノさんを一緒にすんじゃねえよ。キジョウさん、経歴見ると完全にインドア女子だぞ」 ミヤマさんの意外な趣味が暴露された。えー、何で知ってるんですかあ、とミヤマさんが恥ずかしそうに話に入ってくる。そしてさらっとわたしもインドア女子なのバラされるし。当たってますけど。アイドル解散ニュースからめっきり外出するのが減ったし。 「インドアっていったら、わたしだってそうですよ。単なる一介の主婦なんですからね」 ニシノヤさんまで参戦した。そうか、ニシノヤさんの表の顔は主婦なのか。でもこの給料、完全に扶養オーバーだと思うけど、あれか、兼業主婦ってやつか。 さすがのマキウチさんも、ニシノヤさんの意見には黙り込んだ。反論材料が無いらしい。そもそもマキウチさんだけなのだ、やめろってここまで言うのは。なんでそんなに辞めさせたいんだろう。殺し屋の勘で、こいつに武器を持たせたらいけないとか思われちゃってるのかな。 それとも、イガラシさんの言ってた、妹さんの話は、多かれ少なかれ無関係じゃないのか。多分言ったらわたしが処分されそうなので、言わないけど。 「なんか、マキウチさん、キジョウさんのお兄さんみたいですね」 やめてミヤマさん!笑顔で爆破スイッチ押さないで!恐る恐る横目で見たら、マキウチさんの顔は意表を突かれた表情ではあったけど、怒ってはなかった。そのことにほっとする。 お兄さん、かあ。わたしは弟一人の長女なので、実はひそかにお兄さんという存在にあこがれていた。多分、同級生とそのお兄さんが、すごく仲が良かったので、そのことがとてもうらやましかったんだと思う。わたしの弟は風来坊で、父存命のころから家に寄り付かない奴だった。まあ、向こうもわたしのことは、猫より頼りにならんあほ姉と思ってるだろうけど。 「……今時十も離れた兄妹はなかなかいないって」 マキウチさんのそう呟く姿は、どこか寂しげだった。 さらっとマキウチさんに、年齢をばらされたことに気づいた。でも、わたしもそれでマキウチさんの年齢を知ったので、おあいこ、なのかな。 マキウチさんは残務処理で少し残るそうだが、ほとんどの人がさっと五時半のチャイムを合図に帰っていく。わたしもお先に失礼します、と挨拶して帰った。定時で上がれることの幸せ。前職時代は、終電ギリギリとかしょっちゅうで、最終的に泣く泣くホテルに泊まったこともあったっけ。 「お疲れ様っす」 「お疲れ様です」 カノウさんとばったりと入り口で一緒になった。カノウさんも地下鉄で帰るそうなので、いっしょに向かう。いやあ、疲れますよね、とカノウさんは首を回しだした。 「でもキジョウさん、ラッキーですよ、マキウチさんに気に入られたの。うちの知恵袋ですからあの人」 「あのう、そんなにわたしって、気に入られてるように見えますか……?」 「いやあ、俺から見たらもう、マジ気に入ってますよ。あの人ほんっと甘える奴には冷たいですから。新人相手にはさすがに手加減しますけど、もうほんと、ミサキっちやオノ相手は毎回ドスの利いた声ですからね」 ドスの聞いた声って、あれか。お昼のあの時イガラシさん相手のときのあんな感じか。絶対迫力ある。そんな声で喋らせないように気をつけなきゃ。 そしてふと、気になることを思い出した。 「カノウさん、ご存じだったらでいいんですけど……マキウチさん、妹さんいらっしゃるんですか?」 「それ、どこ情報っすか」 カノウさんの声に、緊迫感が宿る。やばい、これほんと危険な奴だ。 「イガラシさんが、お昼でもめてるときに、そんなことを……なんか、わたし、リエなんですけど、同じ名前だと……」 恐る恐る探るように言葉を選んだ。 「いや、本当ですよ、マキウチさんにリエって名前の妹いるの。正確に言うと、いた、ですけど」 いた、という過去形に、ぞわぞわするものを感じる。なんだか、嫌な予感がする。 「亡くなってるんすよ、マキウチさんの妹さん」 カラスが後ろで泣きわめいている。街路樹が風に吹かれて、かさかさと音を立てる。ぞわぞわする気持ちが、わたしの中でせりあがってくる。 「いわれると、俺、ちらっと写真で妹さん見たことあるけど、キジョウさんちょっと似てるかもしんないっすね。髪型なんか、丸っきり一緒だし」 だからかあ、とカノウさんは納得したようだった。わたしもかえって、腑に落ちた気がする。なぜ、あんなにも頑なに、やめろと言い続けるのか。 亡くなった妹さんに、なんとなくわたしがダブって見えて、殺し屋なんて因果な仕事をしてほしくないと思ったわけだ。 マキウチさんは妹思いの、優しいお兄さんなんだな。でもごめんなさい、わたしは給料に釣られてのこのこ来るようなあほの子なんです……。 帰宅すると、母がすでにロールケーキを切り分けて味わっていた。表情を見るに、絶品だったようである。 「リーちゃん、これすごい美味しい。このね、生地がいい」 ものすごく力説された。母はケーキは生地がなによりという持論の人なので、相当お気に召したらしい。よかったよかった。クリスマスケーキ、あそこで買おうかな。 「そういえばね、マサキが、クリスマスはうちに来るって」 「えー……なにそれ」 「マサキ、今栃木の工場で働いてるんだって」 マサキとは、わが愚弟である。大学中退してから、ふらふらと家を出てはふらっと帰ってくる奴で、父はとことん弟をこき下ろしていた。わたしも社会の歯車として、弟に対し嫌悪感を抱いていたけど、たぶんあれは羨望の裏返しだったのだと、今なら思う。なんせそのころ、わたしはブラック企業で心をすり減らしていたし。 「お父さんが死んで、ようやく帰る気になったのかね。もう家ないけど」 「ほんとよ。お父さんのせいで、リーちゃんは病院のお世話になるし、マサキは出てくし、散々よ。死んでくれてせいせいしたわ」 基本、母は父の言うことに逆らう人ではなかったが、相当根に持っている。なんせ、死後離婚したくらいだし。いろいろな事情の末、母は旧姓には戻らなかったが、姻族関係終了届を死亡届を提出するついでに出したらしい。なお、わたしはそれを、過呼吸を起こした父方の祖母の見舞いの時に知った。お母さん、気づかない娘でごめんね……。 「ま、介護することなくぽっくり死んでくれて良かったけどね。介護って、テレビで見てても大変でしょ。お金もかかるし、よかったわ」 母のブラックな本音を背に、わたしはお風呂入る、といって浴室に逃げ込んだ。父に対する恨みはわたしもあるが、母の場合はより根深い。 父と母のなれそめは、親にいい歳なんだからと見合いをさせられたことがきっかけだ。そのまま言われるがままに結婚したそうだが、もうそれは母の世代だと時代遅れなやり方だった。母は同級生に会うたび、断ればよかったのにとか口々に言われたらしい。 そのうえ結婚に伴い務めていた会社を辞めることになり、専業主婦になった。その後二年ほど子供が授からず、姑ではなく実母からチクチクと言われ続け、ようやく芽吹いたのがわたしである。その二年後、愚弟・マサキが生まれた。 一応母は、父との結婚生活の中で、わたしたち子どもを授かれたことが一番うれしいと言っている。確かにわたしもマサキも、父と母の間からしか生まれることはない。だが得た子供すら、のこのこ給料に釣られて殺し屋やろうとする馬鹿娘と、フラフラ生きてる風来坊である。もはや母の三十年は何だったのかというレベルだ。本当に申し訳ない。 後悔はシャワーで流そう。どうせわたしが考えたところで、母の三十年は帰ってこないのである。 しかし、髪が長いってめんどくさいな。前の職場時代、美容院に行く手間を惜しんで、ワンレンロングヘアを貫き通した結果である。来月バッサリ切ってこようかな、といいつつお気に入りのバレッタが使えなくなるのは惜しい。セール品で買ったものだが、三日月モチーフのシンプルなデザインが、飽きが来なくていい。かわいすぎず、地味すぎずな、ちょうどいい感じなのである。こんな年頃になると結構、そういうのを求めがちなのだ。 しかし、ゆっくり湯船につかれるって、本当にいいなあ。気持ちいい。極楽じゃ。 ほかほかと気分よく出て夕飯だ。今日はハンバーグである。就職祝いということで、作ってくれたらしい。やったぜ。 ケチャップとウスターソースを混ぜて作ったハンバーグソースを絡めていただく。うん、おいしい。甘辛いソースが肉によく合う。 半分ほど進んだところで、母がこんなことを言い出した。 「リーちゃん、そういえば、職場はどう?いい人いる?」 「それはちょっと気が早いんじゃないかな……」 そういわれてなぜかマキウチさんの顔が浮かんでしまって、いやいやと打ち消した。確かにやさしいし、頼りになる。少なくとも六股なんて女をもてあそぶような馬鹿な真似はマキウチさんはしないだろう。実に紳士的なお付き合いを……ってだから違う! きっと一番話をした男性だからだ。うん。別に嫌なタイプじゃないけど。声は素敵だし……そうじゃない。 「でもね、恋で傷ついたら、恋で癒すのが一番よ」 お母さん、なかなかの名言ですな。母の恋愛遍歴は知らないので何とも言えないが、妙に説得力がある。 まあ、女は上書き保存という言葉もある。忘れて次に行くのも大事だろう。 「なによ、お母さん、経験あるわけ?」 「ふふ、どうでしょうね」 母は女性としては長身だけど、写真を見る限り、独身時代はかなりスマートだし、結構おしゃれだ。モテてたかも、と想像は付きやすい。 なおわたしは標準身長程度である。父が母より小柄だったせいである。弟は運よく母の長身を譲り受け、自販機よりも背が高い。男というのは背が高いと二割増しでかっこよく見えるらしいが、まさに弟はそれにあてはまるだろう。大学時代、パリピ系女子に呼び出され、何事かと思ったら、弟を紹介してくれとお願いされたこともある。 まあ、わたしからすれば、中身空っぽのあいつの何がいいのかという感じだが。それにわたし自身、この身長なのでそこまで長身じゃなくてもいいな、というのもある。マキウチさんとか……だからなんでそこでマキウチさんが出るのよ!違う違う。 「そういえば、お母さんはお父さんのどこがよかったの?」 「そうねえ、やっぱお金かしらね。お父さん、お母さんの上司より給料良かったから」 それを聞いて、わたしは自分はやはり母の娘だと思った。そうだね、世の中金だよね。
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